froufrou
強い風が吹いた。
その風に乗って、懐かしい声が響いた。
様な、気がした。
「トリニティー嬢?どうかしたか」
鼓膜をゆさぶるのは、耳になじんだ新しい声。
懐かしさを交えたあの声ではない。
全然似ていない。
「…いや。何でもないわ」
「…そうか」
そう言うと彼−スミスはトリニティーの肩に手を載せた。
彼はトリニティーの瞳を強い光をたたえた瞳で貫き、言った。
「何を気にしているのか知らんが、忘れることだ」
その言葉にトリニティーは息を呑む。
スミスは瞳を逸らし、肩に置いた腕を降ろして前を見た。
そしてゆっくりと歩き出す。
「…生きて、ザイオンに帰りたいならな」
小さくそう付け加え、スミスはトリニティーを振り返る。
スミスの言葉に動けないトリニティーは彼を直視した。
「私が生きてあの地に帰れたなら」
二つの影がトリニティーの心を占領していた。
そのどちらをも失いたくなかった。
片方は今、トリニティーを静かに見つめている。
もう片方は、遠く離れたかの地に。
トリニティーが愛を誓ったかの地に、今でも彼女の心を縛り付けて。
「帰れたなら?」
不意にスミスは視線を逸らし、歩き出す。
今度は振り返ることはせずに。
トリニティーも彼の後を追うように歩き出す。
スミスを追い越さないように気をつけて歩きながら、トリニティーは言う。
「帰れたなら、その時はあなたがいなくなるわね」
トリニティーの言葉にスミスは少し笑った。
それは、彼の特徴的な自嘲気味な笑みだった。
「君がザイオンに帰れても、彼が君と共にそこにいるとは限らないだろう」
その言葉に、今度はトリニティーが笑った。
…笑おうとした。
「でも、私より先に彼が死ぬとは考えられない」
スミスはそれに対しては何も答えず、少し歩みを早めた。
トリニティーはそれに従い歩き、前を行くスミスを見た。
まっすぐに前を見つめるスミスはトリニティーの視線には気づくことなく歩く。
「それに」
トリニティーはスミスから視線を逸らすと今度は空を見た。
涙をたたえた灰色の空は今のトリニティーの心と同じ色をしていた。
そして、その色はかの地の彼を思い出させる。
自分と同じ色の瞳を持つ、彼のことを。
「私はザイオンへは帰らないわ」
そう言ってトリニティーは歩みを止めた。
それに気づいたスミスはまたトリニティーを振り返る。
そして、今度はトリニティーの強い瞳と視線がぶつかる。
「私が生きている限り、私はそうする」
少しの間、二人はお互いの視線から逃れようとはしなかった。
そして先にトリニティーが目を逸らし、歩き出した。
スミスを追い越し、早足でビルへ向かう。
スミスは彼女を追いかけ、歩き出す。
「私がもし君をザイオンに帰さなくても」
トリニティーを追い越すとき、スミスはそう呟いた。
その声をトリニティーは風の中で聞いたような声がした。
「私は無に帰すのかもね。君の力で」
スミスの言葉はトリニティーの心を通り過ぎ、雑踏の中へ消えて行った。
大きな雷の音が響いた。
空はより黒くなり、今にも涙をこぼしそうだった。
強い風が吹いて、もう一度、彼女を呼ぶ声が聞こえた。
懐かしい、あの声。
帰りたいのかもしれない、かの地に。
できるだろうか、今更そんなことが。
そして、雨が降り出した。
まるで、彼女の変わりに涙を流すように。