川口常孝の短歌を見付ける

2016.7.29  服部


入選投稿短歌・その他

 

 

 私より20歳ほど年上の兵隊返りの歌人川口常孝の短歌に出会いました。岩波新書 小高賢『老いの歌』に記述があり、それを読んだ時は、本当にびっくりしました。

 『人間の条件』五味川純平の、鉄砲を絶対に放さない梶さん程度しか知らなかった私は、何処にでもいる隣のおじさん(第1次学徒出陣で出征し幹部候補生にもならなかった人らしい)が兵士になって戦争を書き残した勇気ある短歌に出会ったのです。

 『兵たりき』は、晩年の1992年に出たと言うのが、少し気になりますが、運良く生き残って帰った兵隊さんはほとんど何にも言わないこの世の中で、人間というか、動物そのものを丸出しにして戦争を読み続け、人間であり続けたいと言う思いの発露と思いたい。この歌人のすべての短歌を読んでみたいと思いました。

 古本を探し回り、ようやく全集を手に入れました。4400首あるようです。これから読み始めます。我らの地方の図書館にはありませんでした。

1 川口常孝の短歌

徹底的に無価値となりし人間のまたも打たるる編上靴か

「学徒兵などと威張るな」威張るにはあらずただ単に人たらんのみ

嘔吐する大便漏らす兵もいて突撃の命待つなり壕に

「お母さん助けて」と叫び殺さるる兵ありき塹壕の白兵戦に

手応えのありて敵兵の倒る見ゆ草生の靡き日に煌めきて

殺人を正当化する戦争に一兵という加担者我は

 

みづからを卑屈になしてはばからぬ中華民衆を憎めり我は
親兄弟夫婦の区別今はなしとらはれ人ら引かれゆくなり
悠々と頭をあげて歩みゆく幾人かがありとらわれの中に
眼の前に妻を犯され黙々と立ちてゐるよりなす術あらず
頭から油あびせられ火を放たれ燃え狂ひゆく一人の女


強姦をせざりし者は並ばされビンタを受けぬわが眼鏡飛ぶ

犯されしままに地上に横たわる女を次の兵また犯す

犯したるおんなは殺せ戦争はかかる不動の法則を生む

きりぎりす鳴く声もなき夏の野辺歴史の記さぬこと終わりたり

犯されし果てに遺体となりてあるこの女をせめて土に埋めん

 

売られゆく女並びて身をかばう黄河の岸にどんぐりの落つ

一体が三十円という女たち見送るもののなきままに立つ

朝鮮の女性も兵の慰みのために召されて今黄河の岸に

 

武装せる我の入るべきところならず北京大学の大き講堂
抗日に命奉げむと離散せる北京大学生を肯はむとす
民族の自立といふは難きかも紫禁城跡佇み思ふ

銃殺を宣言されし学生が眉間に笑みて兵に従ふ

おのづから墓穴を掘りてその前に殺されむため立てる学生

日本のなすこと悪しと死に際に明るく言ひて殺されゆけり

銃殺音山にとどろき帰り来し兵はあたりの雪とりて食ふ

妻子らの写真見せてせめてだに命許せといふなり捕虜は
いささかの水を与えて眼を閉じしその瞬間を忽ちに刺す
くづれゆく心支へむ術のなくとらはれの兵はげまし歩む
とらはれの兵を渡すと炎熱の街に待ち居り部隊の来るを


2 川口常孝の略歴

   ・三重県生まれの人

・1919年 生まれる

・1937年 窪田空穂 「槻の木」に入会

・1943年 第1回学徒出陣

・1945年 病を得て内地還送 広島にて原爆に遭う

・1945年 津市役所勤務

・1946年 三重県立農林学校教諭に 以後学校回りで転勤

・1948年 ガリ版私歌集『地平の果』

・1949年 二三子と結婚

・1956年 第3歌集『裸像』 1963年 第4歌集『最初の風景』 

・1966年 帝京大学に勤める

・1970年 第5歌集『虚妄の海』 1972年 第2歌集『落日』

・1982年 第6歌集『月明抄』 1986年 第7歌集『白き憂い』

・1991年 帝京大学退職 名誉教授

・1991年 第1歌集『地平の果』復刻版 ・1992年 第8歌集『兵たりき』

・1999年 第9歌集『命の風』

・2001年 没年 82歳

 

3 参考資料

  ・老いの歌 岩波新書 小高賢

  ・川口常孝全歌集 砂子屋書房

  以   上

 

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