歌集 小さな抵抗 渡部良三

2018.8.10  服部


入選投稿短歌・その他

 

歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵 渡部良三 について

 

2018.7.31  服部俊介

 

 新聞記事に、渡部良三の小さい記事を、偶然、見付けた。私より15歳ほど年上の新兵教育の中の捕虜刺殺を拒んだ、キリスト者で、学徒兵だった、兵隊返りの歌人渡部良三の短歌に出会いました。名古屋の本屋、図書館を探しても見つからず、インターネットで,ようやく見付け、文庫本(924首あるという)を手に入れた。

 

 作者が、自らの目で見、耳で聞き、肌で感じたことを、その場で詠い、また、それを記録し(紙をよく手に入れたと思う 厠で書く)、持ち帰ったという事が(復員兵の持ち物は厳しく制限されたという)、素晴らしいと思います。

 

 以下、作品の抜粋ではありますが、私の短歌作りの考え方にも、沿っていると思い、まとめてみました。

 

1 渡部良三について

 ・1922年生まれ、山形県の人。父はキリスト者。

・1944年、大学在学中、学徒出陣で中国河北省の駐屯部隊に陸軍二等兵として配属された。

 ・新兵訓練の中に、中国人捕虜を銃剣で突く刺突訓練があったが(各部隊には刺突銃があったという)、キリスト者として捕虜虐殺を拒否した。

 ・そのため、凄惨なリンチを食らう(敵前抗命であり、罰は銃殺刑。が、罰はなかった)。

 ・捕虜虐殺は拒んだが、ただそれだけで、汝殺す勿れを、上官戦友にも、一言も説かなかったばかりか、女密偵の拷問、焦土作戦後の掃討行動での略奪強姦老幼を問わぬ殺人を、目にしながら口を閉じ、制しさえしなかった、という。

 ・また、兵隊のクズと扱われ、歩兵から、通信兵、レーダー兵などを転々とした(結果的に、敗戦まで生き延びることができたという)。

 ・1946年、生きて、陸軍二等兵のまま、故郷に帰る。

 ・敗戦後は、役人となり、定年まで勤めた。

 ・この歌集は、定年後(敗戦後40年たって)、まとめた。それまでは、まとめることができなかった、という。

 ・また、有名な歌人に、気に入らない添削を受けたり、偉い方々、一般の人々から、きつく詰問を受けた事もあった、という。

 ・1992年、私家本として編まれた。1994年、シャローム図書より刊行。

 ・渡部良三の抵抗を紹介したもの:藤尾正人、読売新聞二十世紀取材班、大濱徹也、宮田光男、今野日出晴らの記事。

 

2 歌集 小さな抵抗 渡部良三 の抜粋

 1 目次

   1はじめに

   2短歌

    1捕虜虐殺 2拷問をみる 3殺人演習と拷問見学終わる 4戦友逃亡

   5リンチ 6東巍家橋鎮の村人 7逃亡兵逮捕さる 8教練と生活

 9湖水作戦

      以上、戦地において忘れることのできない経験を詠み,持ち帰る。

   10動員始まる 11学徒動員 12馬頭鎮駅下車

 13東巍家橋鎮駐屯部隊に配属される 14徐州市にて 15敗戦す

 16揚子江(長江、江)左岸にテントを張る  17復員し故山へ

 18極東国際軍事裁判始まる

      動員前から敗戦復員後の作品が時系列に。

       ・出征直前、父と山形の旅館唐津屋で数時間を過ごす。

その時の父の言葉。「一介の兵士として、人間として、神様の御心に叶う行動をする余地が必ずあるはずだ。それを知るためにも、常に胸を開き神様に祈ることを忘れないでくれ」、と。

       ・新約聖書、ロマ書十三章 時の権力に対してどうあるべきかを詳しく説く。

「世の権威に逆らうな。権威はすべて神に依ってたたてられているものである。神に依ってたてられている権威は神の御心に背くことはない。もし世の権威が神の御心に背くことがあったら、予言者も人々もともに黙すべきでない、心を一つにして行動せよ」、とある。

   3おわりに

   4講演記録 克服できないでいる戦争体験   渡部良三

   5解説 敵も殺してはならない   今野日出晴

 2 短歌 100首選んでみた。

   1捕虜虐殺 14首 度胸試し、と呼ぶ、殺人演習があった。

朝飯を食みつつ助教は諭したり「捕虜突殺し肝玉をもて」

稜威(いつ)ゆえに八路を殺す理由を問えぬ一人の深きこだわり

刺し殺す捕虜のかずなど案ずるな言葉みじかし「ましくらに突け」

深ぶかと胸に刺されし剣の痛み八路はうめかず身を屈げて耐ゆ

命乞わず八路の捕虜は塚穴のふちに立ちたりすくと無言に

きわやかに目かくし拒む八路あり死に処(ど)も殺す人もみむとや

憎しみもいかりも見せず穏やかに生命も乞わず八路死なむとす

纏足(てんそく)の女は捕虜のいのち乞えり母ごなるらし地にひれふして

みそかごとをぬすみ見る如きしぐさして戦友らの殺す八路を吾は見つ

刺されても呻かず叫ぶこともなし八路の誇りのゆえかあらぬか

新兵(へい)ひとり刺突拒めば戦友らみな息をのみたり吐くものもあり

すべもなきわれの弱さよ主の教え並みいる戦友に説かずたちいつ

捕虜五人突き刺す新兵ら四十八人天皇の垂れしみちなれやこれ

塚穴のまわりは血の海四人目がひかれ来て虐殺なお止まぬなり

 

2拷問をみる 2首 八路軍のスパイという20代の女。すでに拷問は始まっていた。

双乳房(もろちち)を焼かるるとうにひた黙す祖国を守る誇りなるかも

密偵の生命果つるに戦友も吾ももの言わざりきこのなさけなさ

 

3殺人演習と拷問見学終わる 2首

しろしめす御旨を恃(たの)み殺さざり驕れる者に抵抗てわれ

殺人演習(さつじん)の夜は眠れざり刑台に笑みつつ果てし八路たちきて

 

   4戦友逃亡 3首 捕虜虐殺の夜、新兵1人逃亡。

逃亡たるは夜半なりしとう虐殺の心いたみの捨処(すてど)欲りしや

天皇の兵を捨てしは逃亡ならず自由への船出と言いてやりたし

逃亡兵岡部も農の子なりしか麦畝踏まぬ心残せり

 

   5リンチ 6首 抗命兵に、銃殺、斬首、絞首刑,営倉もなかった。が、日々に加えるリンチは、昼夜の別なく凄まじかった。

わが頬の激しく打擲(うた)るゲートルは全く音なく血の出ずるらし

かほどまで激しき痛みを知らざりき巻ゲートルに打たれつづけて

古軍靴と木銃構えし助教らは人情(なさけ)ありげに「歯をくいしばれ」

炊事苦力ゆき交いざまに殺さぬは大人(たいじん)なりとぞ声細め言う

後の日のそしりをおそれ戦友らみな虐殺拒みしわれに素気なし

眼(まなこ)とじひと突きすればすむものを汝の愚直さよとう衛生兵なり

 

   6東巍家橋鎮の村人 2首

むごき殺し拒める新兵の知れたるや「渡部(とうべ)」を呼ぶ声のふえつつ

村人のまなざし温(ぬく)しいと小さきわがなしたるを誹ることなく

 

   7逃亡兵逮捕さる 2首

逃亡兵逮捕のしらせ伝われば新兵はみな目にてもの言う

穏(おだ)しく言葉少なき戦友なりき「営倉」なれば逢うもならざり

 

   8教練と生活 8首。

六粁行軍に列をし離(か)れば虜囚とぞおどし受けつつ耐えぬ新兵らは

射撃のうで戦友に優るとも人殺す尖兵になるまじ弾丸そらすべし

擲弾筒炸裂事故死の補充要員虐殺こばみしわれの名指さる

かすめうばい女を犯し焼き払うおごる古兵も「赤子」とうかや

いずくより如何な運命ぞ北支那に身を苛(さいな)みて慰安婦は来ぬ

兵等みな階級順に列をなす浅ましきかな慰安婦を求む

墨に消す検閲の文すかし読む東条内閣すでに潰(つ)えしを

「特高犯スパイの親族」に米麦の差別さるるを母書ききたる

 

   9湖水作戦 17首 八路軍の天津の海河の堤防を切った水浸し作戦で、多くの死傷者を出した負け戦に、通信兵として出動。

日に月に広ごり止まぬ俄か海(にわかうみ)抗日ごころ昂むるが如

隠れ居し老か火達磨に叫びつつまろびいでしを兵は撃ちたり

家焼かれ住処のありや広き国支那とはいえど貧しき農等

三光の余りに凄(さむ)しきしわざなり叫び呻きの耳朶よりきえず

キイ打ちて幾夜の眠り浅かりき乱数表のゆらめきて見ゆ

「無線兵は突撃するな」の命令ありて戦友より生命の延びし心地す

小さき村ひとつを攻略て戦闘は漸く終えぬ戦死二百五十名

部隊本部弾丸の補給に答えなくぎりぎりのとき戦闘終る

新兵四十九人初の戦死は「今野」なりさだめというか額射抜かれて

さ穏(おだ)しき死顔もてり捕虜虐殺を拒みし吾を諾(うべな)いし戦友

大塚の思想を説きし古兵も死す朝毎おもう今日はわれかと

これほどの数多若きを死なしむる権力とはなに国家とはなに

戦友の死を日日みつつわがこころ誰を呪うべき天皇か大臣か部隊長か

7明日の生命たのむことなくキイを打つ分速百字は古兵並なり

傷つきて喘ぎつつなお吐く息に抗日叫ぶ若き八路よ

臨終(いまわ)なる八路の額に軽機関銃を単射し古兵足はやにゆく

古兵らは深傷(ふかで)の老婆をやたら撃ちなお足らげに井戸に投げ入る

 

  10動員始まる 2首

非戦論の父ためらわず言い切りつ「日米戦は負け戦なり」

大臣の東条英機は自(おの)が子ろを軍に置けども征旅はとらせず

 

  11学徒動員 7首

雨しまく神宮広場を学徒兵声ひとつなく歩を揃えゆく

ひと筋に吾は否むなり兵の道赤子のみちなど容るる能わず

征くのみに帰還ものなき戦争時代(いくさどき)われはもついに兵ならましか

徴兵官わが睾丸を握りたりだみ声にいう「甲種合格」

声細め生命いたわれと言う母の瞳に雲も雪も映れり

わが歩みはかりつつ母は白銀の雪道たどれり川を挟みて

「さあ別れだ」父の手重く肩にのる発車のベルの耳朶をうつとき

 

12馬頭鎮駅下車 1首

駅舎なく見涯(みはて)の限り家も見ず踏む大地固し思いのほかに

 

  13東巍家橋鎮駐屯部隊に配属される 1首

支那を踏みなになすべきか知らざりき戦争のかげのぼうぼうに濃し

 

  14徐州市にて 5首 天津から徐州へ 平穏な駐屯地であった。

1938年、日中両軍の大会戦があったという

転属は度重なるも恨むべき戦友ひとりなく黄河こえたり

遠からぬ日に戦争は終えるかも戦後処理通貨の荷うごき激し

弾薬列車空爆受けぬ情報の米軍に伝わる疾(と)きに驚く

山積みの弾丸列車火を吹くもかかわりなげなる徐州の人ら

耳漏を治療(くすす)べく言い又の日を子等に約せる兵ひとりおり

 

 15敗戦す 9首

「聖戦」の旗印(しるし)かかげて罪もなき人死なしめし報いきたりぬ

戦友らより疾く敗戦を知りし通信兵(われ)安さかこつも口に出ださず

「聖戦」は終えたりとうか「終戦」の新語もつくる大臣司ら

復員の見込みを問いし士官いま戦犯指名にひかれゆきたり

敗戦に略奪(うばう)楽しみ失うと人なげに言う五・六年兵

客ありて案内を受けぬたちたるは子らをいやせし町の郷長

敗戦の日匪(にっぴ)おとなう郷長の心ひろきに額深く垂る

わが乗れる復員列車襲われぬ土匪ぞ物みな奪い去りたり

凄じき物奪りなりき土匪去れば「これであいこ」と古兵の呟く

 

 16揚子江(長江、江)左岸にテントを張る 6首 土匪の襲撃は受けたが生命に別状なくなく揚子江左岸にテントを張り復員船を待った。

河南より江の左岸に立つひとり敗残なるもこころ誇りて

気だるさの極まる身もて川岸に漁るしじみの肥え太りおり

日匪なる言の意をしるや天皇も大臣も極むこの蔑みを

江岸にののしりあぶる生霊の恨みの声を天皇よ聞け

医薬なく糧さえ足らぬ幾万の兵の朝夕(あさよ)を大臣来て見よ

軍衣袴にメモを縫込めりリバティーに乗ればほとするわが青春の記

 

  17復員し故山へ 5首

ざらめ雪はだらに残る峡の村学徒兵ひとりいま復員(かえり)来つ

復員に疑うべくもなきうつつ民族(たみ)を見下ろす占領軍あり

ものゆ見るさまに吾子をし見詰めたる母は涙(なだ)耐え厨に消えつ

暁の不意打のさまに有無のなく父に縄うつ「特高」をきく

生命賭け捕虜虐殺を拒みしがいそのかみ旧(ふ)りしこととなし得ず

     高名な歌人の添削を受ける。納得行かず,旧のままとした。

       生命賭け捕虜虐殺を拒みたるあの日思えば遠世のごとし

 

 18極東国際軍事裁判始まる 8首

創世の御旨(みむね)に背き「聖戦」を国民に強いたる大臣裁かる

絞首刑七人なれど闇市に人群がりて昨日に変わらず

十五歳を迎えし皇太子は大臣等の縊らるることいかが聞きたる

戦争の敗れ幾年すぐるとも民族が負うべき責任(せめ)は変わらず

戦犯に絞首刑ありその親族哭(な)かむか帰らぬ兵を忘るな

天皇の戦争責任なしとうはアジアの民族(たみ)の容れぬことわり

自らの理(わり)にて大臣も天皇も裁きたかりき叶わざりけり

強いられし傷み残れど侵略をなしたる民族のひとりぞわれは

 

3 参考資料

  ・歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵 渡部良三 岩波現代文庫

  ・川口常孝全歌集 砂子屋書房 

  ・兵たりき 川口常孝の生涯 株式会社KADOKAWA 中根誠

 

4 読みにくい漢字と判りにくい言葉

 ・刺突訓練:しとつくんれん

 ・東巍家橋鎮:とうぎかきょうちん 中国河北省の小さい村 

・馬頭鎮駅:まとうちんえき 中国天津近くの田舎の無人駅

・八路:はちろ ぱろ 日中戦争時に中国共産党軍(紅軍)の通称

・助教:じょきょう 新兵教育担当(将校、見習士官)を補佐する下士官

・戦友:せんゆう とも

・天皇:てんのう すめらぎ

・虐殺:ぎゃくさつ ころし

・生命:せいめい いのち

・抵抗:ていこう あらがい

・逃亡:とうぼう にげ

・苦力:クーリー 労働者のこと。

・新兵:しんぺい へい

・虜囚:りょしゅう とりこ

・尖兵:せんぺい へい

・親族:しんぞく うから

・赤子:せきし 天子を親に見立てて、人民の称。

・運命:さだめ

・征旅:せいりょ たび

・耳朶:みみ

・耳漏:みみだれ

・大臣 司:おとど おおとど つかさ

・郷長:ごうちょう ゴウジャン

・再見 渡部:ツアイチエン トウベイ

・軍衣袴:ぐんいこ 大日本帝国陸軍の軍人が着用した制服

・民族:みんぞく たみ

・責任:せきにん せめ

・厨:くりや

・みそかごと: 秘密なこと ないしょごと

・いそのかみ旧りし:遠い昔のこと?

・海河:かいが 天津市内を流れ、渤海湾に注ぐ川 八路軍が堤防を切った。

・三光:中国で、「殺す(殺光)、略奪(槍光)、焼く(焼光)」をいう

・大塚の思想:大塚久雄の経済誌に関する学説。この古兵も反戦だった。

   以   上

 

以    上  トップに戻る