題 名: 桃源境(とうげんきょう)
(27cmx24cm)
2004年(平成16年)制作 作品
2004年(平成16年)色紙展出品作

晋太元中、  晋(しん)の太元中(たいげんちゅう)、
武陵人捕魚為業。  武陵(ぶりょう)の人(ひと)、魚(うお)を捕(とら)うるを業(ぎょう)と為(な)す。
縁渓行、忘路之遠近。  渓(けい)に縁(そ)うて行(ゆ)き、路(みち)の遠近(えんきん)を忘(わす)る。
忽逢桃花林、  忽(たちま)ち桃花(とうか)の林(はやし)に逢(あ)う、
夾岸数百歩、  岸(きし)を夾(はさ)むこと数百歩(すうひゃくほ)、
中無雑樹、芳華鮮美、  中(なか)に雑樹(ざつじゅ)無(な)く、芳華(ほうか)鮮美(せんび)にして、
落英繽紛。  落英(らくえい)繽紛(ひんぷん)たり。
 
漁人甚異之。  漁人(ぎょじん)甚(はなは)だ之(こ)れを異(あや)しむ。
復前行、欲窮其林。  復(ま)た前(すす)み行きて、其(そ)の林(はやし)を窮(きわ)めんと欲(ほっ)す。
林盡水源、便得一山。  林(はやし)水源(すいげん)に盡(つ)き、便(すなわ)ち一山(いちざん)を得(え)たり。
山有小口、  山(やま)に小口(しょうこう)有(あ)り、
髣髴若有光。  髣髴(ほうふつ)として光(ひかり)有(あ)るが若(ごと)し。
便捨船従口入。  便(すなわ)ち船(ふね)を捨(す)てて口(くち)より入(い)る。
初極狭、纔通人。  初(はじめ)は極(きわ)めて狭(せま)く、纔(わず)かに人(ひと)を通(とお)すのみ。
 
復行数十歩、豁然開朗。  復(ま)た行くこと数十歩(すうじゅっぽ)、豁然(かつぜん)として開朗(かいろう)なり。
土地平曠、屋舎儼然。  土地(とち)は平曠(へいこう)にして、屋舎(おくしゃ)は儼然(げんぜん)たり。
有良田、美池、桑竹之屬。  良田(りょうでん)、美池(びち)、桑竹(そうちく)之(の)屬(たぐい)有(あ)り。
阡陌交通、鶏犬相聞。  阡陌(せんぱく)交(まじわ)り通(つう)じ、鶏犬(けいけん)相(あい)聞(き)こゆ。
其中往来種作、  其(そ)の中(なか)に往来(おうらい)し種作(しゅさく)する
男女衣著、悉如外人。  男女(だんじょ)の衣著(いちゃく)は、悉(ことごと)く外人(がいじん)の如(ごと)し。
黄髪垂髻、  黄髪(こうはつ)垂髻(すいちょう)、
並怡然自楽。  並(なら)びに怡然(いぜん)として自(みずか)ら楽(たの)しめり。
 
見漁人、及大驚、  漁人(ぎょじん)を見(み)て、及(すなわ)ち大(おお)いに驚(おどろ)き、
問所従来。具答之。  従(よ)って来(きた)る所(ところ)を問(と)う。具(つぶ)さに之(こ)れに答(こた)う。
便要還家、  便(すなわ)ち要(むか)えて家(いえ)に還(かえ)り、
為設酒、殺鶏作食。  為(ため)に酒(さけ)を設(もう)け、鶏(とり)を殺(ころ)して食(しょく)を作(つく)る。
村中聞有此人、  村中(そんちゅう)此(こ)の人(ひと)有(あ)るを聞(きき)て、
咸来問訊。  咸(みな)来(き)たりて問訊(もんじん)す。
自云、先世避秦時亂、  自(みずか)ら云(い)う、「先世(せんせい)秦(しん)の時の亂(らん)を避(さ)けて、
率妻子邑人、  妻子(さいし)、邑人(ゆうじん)を率(ひき)いて、
来此絶境、不復出焉、  此(こ)の絶境(ぜっきょう)に来り、復(ま)た焉(ここ)より出(いで)不(ず)、
遂與外人間隔。  遂(つい)に外人(がいじん)と間隔(かんかく)せり」與(と)。
問今是何世、  問(と)う「今(いま)は是(こ)れ何(なん)の世(よ)ぞ」と。
 
乃不知有漢、無論魏晋。  乃(すなわ)ち漢(かん)有るを知らず、魏(ぎ)、晋(しん)は論(い)うまでも無し。
此人一一為具言所聞、  此(こ)の人、一一(いちいち)為(ため)に具(つぶ)さに聞(き)ける所を言(い)うに、
皆歎椀。  皆(みな)歎椀(たんわん)す。
餘人各復延至其家、  餘人(よじん)各(おのおの)復(ま)た延(まね)きて其(そ)の家に至(いた)らしめ、
皆出酒食。  皆(みな)酒食(しゅし)を出(いだ)す。
停数日、辭去。  停(とど)まること数日(すうじつ)にして、辭(じ)し去(さ)る。
此中人語云、  此(こ)の中(なか)の人(ひと)語(つ)げて云(いわ)く、
不足為外人道也。  「外人(がいじん)の為(ため)に道(い)うに足(た)ら不(ざ)る也(な)り。」と。
既出、得其船、  既(すで)にして出(い)づるや、其の船を得て、
便扶向路、  便(すなわ)ち向(さき)の路(みち)に扶(そ)い、
處處誌之。及郡下、  處處(しょしょ)に之(こ)れを誌(しる)す。郡下(ぐんか)に及(およ)び、
詣太守説如此。  太守(たいしゅ)に詣(いた)りて説(と)くこと此(かく)の如(ごと)し。
 
太守即遣人随其往、  太守(たいしゅ)即(すなわ)ち人を遣(つかわ)して其(そ)の往(ゆ)くに随(したが)い、
尋向所誌、  向(さき)に誌(しる)せし所(ところ)を尋(たず)ねしむるも、
遂迷不復得路。  遂(つい)に迷(まよ)いて復(ま)た路(みち)を得(え)ず。
南陽劉子驥、高尚士也。  南陽(なんよう)の劉子驥(りゅうきし)は、高尚(こうしょう)の士(し)也(な)り。
聞之、欣然規往、  之(こ)れを聞(き)き、欣然(きんぜん)として往(ゆ)かんと規(はか)りしも、
未果、尋病終。  未(いま)だ果(はた)さざるに、尋(つ)いで病(や)みて終(おわ)りぬ。
後遂無問津者。  後(のち)遂(つい)に津(しん)を問(と)う者(もの)無(な)し。
『桃花源記』 陶淵明  とうかげんのき とうえんめい

平成十六年 十一月
いつの世も平和でありたい 秀樹書

大 意
 晋の太元年間(孝武帝、376〜396年)、武陵に魚採りを生業としている男がいた。 ある日谷川に沿って船をこいで行くうちに、どれくらい行ったか忘れたが、突然一面に咲きそ ろった桃の林に出逢った。川を挟んだ両岸には数百歩の間、桃の木以外の木は一本もなく、 香しい花が鮮やかに咲き誇り、花びらのひらひらと舞い落ちるさまは実に見事であった。

 漁師は甚だ不思議に思い、さらに溯って林の奥まで見届けようとした。 林は水源のところで尽きて、そこに一つの山があった。その山には小さな口があって、何かし ら光が射しているようだ。そこで船を下りてその口に入った。始めのうちはひどく狭くてやっ と人一人通り抜けられるくらいだった。

 さらに数十歩行くとがらりと開けて、土地は広く平らに、立派な家屋が立ち並び、よい田畑、 美しい池、桑や竹の類があった。道は縦横に通じ、鶏や犬の声が聞こえた。その中を行きかい 畑仕事をしている男女の服装は、どれもみな外国の人のようであるが、老人や子供までみな にこにこしていかにも楽しげである。

 漁師を見るとひどく驚いてどこから来たにかと聞いた。 そこで詳しく話して聞かせると自分の家に連れ帰って、酒の支度をし鶏をしめてご馳走した。 村の人々はその漁師の来たことを聞き、みなやって来ていろいろ質問して言うのであった。 「私どもの先祖が秦の時代の戦乱を避けるために妻子や村人を引き連れてこの人里離れた山奥に 来て、もはや決してここを出ず、そのまま外界の人々と縁が切れてしまったのです」。 そう言ってさらに「今はどういう御代ですか」と尋ねた。

 なんと彼らは漢代のあったことすら 知らなかったのだ。ましてや 魏晋はいうまでもない。漁師が一々自分の耳にした限りのことを 詳しく話してやると、彼らはみな驚いて嘆息した。ほかの人々もまたそれぞれ自分の家に招待して、 みな酒食を出した。かくて数日間この地に逗留して暇を告げて去ったのだが、そのとき村の人々は 告げて言った「外界の人に話すほどのことではありませぬよ」(これは外界の人に話しては困る ことを婉曲に言ったもの)こうして辞してやがて例の口を出てくるともとの船を見つけ、 前に来た路を辿って要所要所に目印をつけた。

 かくて郡の町に着くと、太守のところへ参って かくかくしかじかと話をした。太守は早速人を派遣してその漁師について行かせ、前に付けた 目印を辿って行ったが遂に迷ってもはや路を見つけることはできなかった。 南陽郡の劉子驥先生は高潔な人物であった。この話を聞くと喜び勇んでその秘境を探検しようと 計画を樹てたが、まだ実現せぬ内に間もなく病気で世を去った。 その後、遂にその地を訪れる人はなかった。

時代の背景など
中国最初の統一帝国秦はわずか15年で滅亡し漢王朝(BC206〜23年),魏・蜀・呉の三国分立の時代(220〜263年)を経て晋の武帝 が呉国を平定した(280年)。西晋による平和も武帝、恵帝と暗愚の帝が続いて八人の王族の内乱を機とした五胡の異民族の反乱と大旱 によってこれも36年で崩壊、五胡十六国の分裂時代を迎えた。 陶淵明(365〜427年)が生まれ一生を終えたのはこの混乱の時代であった。
このような戦乱にあえぐ時代であるが故に、争いのない、美しい桃の林に包まれた小さな所、理想郷(ユートピア)を想い描いたのでしょうか。
理想郷(ユートピア)に限りなく近い日本、60年程、戦争がなかっただけで平和呆けした日本はどうしたものでしょうか。
     
参考図書
陶淵明 寒山(中国詩人選集)・・一海知義、入矢義高注・・・・・・・岩波書店
陶淵明全集(下)・・・・・・・・松枝茂夫、和田武司訳注・・・・・・岩波書店
中国故事物語・・・・・・・・・・後藤基巳、駒田信二、常石 茂編・・河出書房新社