よもやまトークのファイル帖

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去る1011日、愛大同窓会第2ブロック(三遠南信地区)支部長会議が新城の湯谷温泉観光ホテル泉山閣にて開催され、細井副支部長と参加した。 
会議は藤本ブロック長(豊橋)、安井同窓会長の各挨拶に続き、議事等は校友課樋口課長により説明され、その後の懇親会では佐藤学長並びに藤森入試委員長の挨拶により現況説明が行われた。
 これらの大要は、法科大学院生35名のうち16名が合格(合格率全国9位)した。キャンパスの名古屋ささしま移転計画は来年8月に着工し、0111月完成。124月開学とし、「国際交流・情報発信・相互交流」をコンセプトとして進めている。現三好校舎は売却し、豊橋の法経関係学部を移すとともに、新学部も創設し、「地域と歩む、国際大学」とし、有能な学生を受け入れるために、一般7割・推薦3割、3教科入試を堅持したいとの説明などがあった。 また、ささしま開校など5つの創立70周年事業500億円に対し、同窓会として50億円の募集を来月から進めたいとの説明がされた。
 また、各支部の活動報告もあり、岡崎支部では大原みりん著「ってな角度でどうでしょう」をPRしたところ、持参した20冊がわけもなく完売した。会議・懇親会終了後、絶景板敷川に臨む露天風呂につかり、地元の会員とともに日ごろの疲れを掻き落とし、帰路のドライブを楽しんだ。


 去る10月3日、「トヨタのものづくりとまちづくりへの期待」と題して、トヨタ自動車の渡辺捷昭社長の講演会が名鉄トヨタホテルで開催された。主催は中村寿一・豊田喜一郎顕彰会と豊田商工会議所、世界のトヨタ自動車工業社長のお話ということもあってか、定員400人のところ溢れんばかりの参加者で、顕彰会会長の鈴木公平豊田市長のあいさつからはじまり、豊田市としての期待の大きさをうかがわせた。
 トヨタ自動車工業は昭和12年設立で創業71年目を迎えたそうだが、世界企業として大きく飛躍されたが、渡辺社長は「強いもの、賢いものが生き残るのではなく、環境の変化に適応することが大事だ」と持論を述べられ、トヨタの姿勢は、「世のため、人のため、地域のためでなければならない」と信条を吐露された。また、車づくりの夢として、@走れば空気がきれいになるなる車、A事故をおこさない車、B一度満タンにしたらアメリカ大陸を横断できる車、の実現を目指している。また、「疾風に勁草を知る」、しなやかで強靭な企業体質を築いていきたいと豊富をのべられた。短い時間ではあったが、トヨタの精神の一端をお聴きすることができた。トヨタ自動車、そして日本経済、いや世界経済の牽引役としてさらなるご活躍を期待したい。


 9月28日、中央総合公園バーベキュー広場で中学時代の同級会を開催した。団塊の世代の1歩前、終戦前後を挟んでの生まれで、母校の同期生は小・中学校とも一クラスしかなく、今でもまるで兄弟姉妹のような仲間ばかりである。当日参加したのは10人ほどだったが、恩師のS先生も豊川から駆けつけていただいて、童心に返って楽しいひとときを過ごした。S先生は担任ではなかったが後に西高の校長などを歴任され、地学の大家で今もいろいろとご活躍である。この日の食材ははそれぞれが持ち寄っての会であったが、幹事のU君は大手電力会社を定年退職し、今は悠々自適、毎日釣り三昧ということで、鮎や鯵・太刀魚などを大量に持参された。田舎に嫁いだKさんは手広く農業をされ、ナス・ピーマン・オクラなどまるまると太った新鮮な野菜をドッサリ持参され、食べきれない分はおみやげにいただくことにもなった。
 同級生の幾人かはすでに鬼籍の人となったが、お互いが最後を見届けるような気持ちで末永く友情を育んで行きたいものである。その後、幹事の発案で、ふるさとの切越町の八面塚と夫婦檜までドライブし、いにしえの青春を思い起こしながら秋日を楽しんだ。


 秋分の日の飛び石連休を利用して横浜市にi行ってきた。神奈川県には厚木・小田原・鎌倉・茅ヶ崎・横須賀など歴史や文化に彩られた多くの都市があるが、県人口(900万人)の約40%を占めているのが横浜市とのこと。その中心が「みなとみらい21」といわれる地域で、20年前までは造船所や埠頭施設があったそうだが、これらを別の地域に移転させ、その空き地とその前の海を埋め立てて、一大事業として開発が今も続けられているという。開発地域の名称をひらがなばかりにしたことが却って斬新に感じるのは私ばかりではないようだ。
 すでに日本一の横浜ランドマークタワーや大観覧車「コスモクロック21」、新名所となった赤レンガ倉庫、おなじみの横浜中華街、そして林立 するホテル、そして夜景もすばらしい。
 今回のメインは、JR横浜駅東口地区の「横浜アンパンマンこどもミュウジアム」である。開館して数年とのことであるが新たな名所になり、子どもの世界ではここを観て置かないと肩身がせまいらしい。アンパンマンの生みの親である『やねせたかし(柳瀬嵩)』は大正8年、高知県香美市生まれで、郷里には記念館などもあるという。太平洋戦争にも召応、戦後は高知新聞そして三越宣伝部に勤務され、デザインされたキャラクターは枚挙に暇がないようだ。昭和35年には「てのひらを太陽に」を作詞され、漫画・絵本・詩にと多彩な才能を発揮されている。その一つが53歳でのヒット作『アンパンマン』で、昭和43年に大人の連作童話として連作された「12の真珠」の一遍だったという。
 館内は子どもたちが怪我をしないよう細心の配慮がされており、入場料は1歳以上1000円である。夢中になってアンパンマンと戯れる子どもたちを見て、両親や祖父母も楽しんでいる。幼稚園前の幼児の利用が多く、平日でも入場制限されるほどにぎわうこともあるという。お土産物も少々割高ではあったが、孫にせがまれてかなり奢ってしまった。
 岡崎にも子ども美術博物館がある。立地的にはやや不利ではあるが、子どもの可能性を伸ばし、大人も楽しめる施設としていっそう発展してほしいものだ。 


9月12日の中日新聞の特報によると、東京都荒川区が非常勤職員の昇進・昇給制度を導入し、波紋が広がっているそうだ。行政改革が叫ばれているものの、仕事の量はむしろ増えている。そのため各自治体では、経費がかかる常勤職員を減らし、その穴埋めを非常勤職員に委ねている。
 ところが非常勤職員は年収200万円余り、地方公務員法により契約は1年更新、常に雇用の不安にさらされている。荒川区の取り組みは社会問題化しているワーキングプアー対策への一歩となるかと注目していたところ、総務省から「雇用の継続につながりかねない」からとクレームを付けられたというのだ。
 ただこの論議で見過ごされがちなのが、常勤職員の給料体系、特に時間外の問題が忘れられているような気がする。先ごろ国家公務員の居酒屋タクシーには驚愕したが、終電がなくなるまで勤務して国の役人の時間外の経費はどうなっているのかと疑問を感じた。時間外するほど忙しいとの見方もあるが、現実には有能な職員ほど時間外は少ないのだ。穿った見方をすれば公団や事業団は国の幹部職員の天下り先となっているらしい。しかし地方では、経費節減のために外郭団体を作り、これがうまく機能しなくなると指定管理者制度とかPFI等の手法を考えたような節がある。これらは、いずれも初任給雇用者を当て込んだ人件費切捨ての何ものでもないのではないか。自治体労働組合でも最近は社会全体をとらえた活動もされているが、従前は組合員の処遇だけを護ることに執着し、そうした施策に迎合した組合幹部が有能とされ、行政幹部に登用されていた。しかし今や、非常勤職員を含め、地方自治に携わるもの全てが行政の担い手であるとの視点から、意識改革をしていく必要があるように思う。敢えて言わせてもらえば、教職員のように、行政常勤職員は全体の奉仕者であり、ワークシェアリングの見地からも時間外手当は返上してもよいのではないか。


 去る9月13日、サテライトスタジオでの市民カレッジに参加した。『ロハスとグリーンコンシューマー』を副題とする愛産大伊藤万知子教授の講演であった。
 『ロハス』とはアメリカ生まれの概念で「健康と環境を志向するライフスタイル」を意味する造語とのことで、そのルーツはヒッピーなどにあり、こうしたコンセプトによりすでに多くのヒット商品が巷に出回っているらしい。
 市民層の意識や価値の調査によると、@保守派=宗教的価値観を重んじ、新しいことを好まないタイプ、A現代派=産業社会を信奉し、科学技術の発展を重視するタイプ、Bは生活創造者のタイプで、「・持続可能な地球環境や経済システムの実現を願い、行動する。社会的成功を最優先しない。・人間関係を大切にし、自己実現に力をいれる。・なるべく薬に頼らず、健康的な食生活や予防医学に関心がある。」など、まさにロゴス派である。
 一方、グリーンコンシューマーは「環境に配慮した商品を積極的に購入するだけでなく、企業にも環境負荷の少ない製品を提案し、この実現に向けて行動を起こす」ことであり、その行動は、@Refuseリフューズ:断る。AReduceリデュース:少なくする。BReuseリユース:再使用する、CRecycleリサイクル:再生使用する。の4Rに集約されるとのこと。
 ロハスとグリーンコンシューマーの違いは、前者が自分から発想し考えて行動するのに対し、後者は地球環境問題から自分の行動を眺める。などの違いがある。講師からも提案があったが、こうしたコンセプトの商品や産業、また企画・イベントなどのネットワーク化を行って、まちおこしに起爆剤にしたいものである。
 また、来年度から岡崎でもレジ袋の有料化が予定されている。「脱レジ袋」が環境問題の縮図であり、入口と言われているそうだ。その成果に期待したい。
 補足、当日はセルビの駐車場を利用した。受講生はスタンプを頂くと2時間無料とのことであったが、機械が不調で駐車料金を支払う羽目になった。中心市街地の活性化が長年論議されているが、郊外の大型ショッピングに対抗するためには、駐車場の無料化は避けて通れないような気がする。


 去る9月6日、せきれいホールにて恒例のスポーツ大学がアテネ・ロサンゼルス五輪アーチェリーメダリスト山本博をお迎えして開催された。最初に岡崎体育協会長として柴田岡崎市長のあいさつがあり、続いて山本氏の栄光の記録ビデオを放映したあと、ご講演は「自己対話の活用術」をテーマとしてご講演をお聴きした。山本氏はロサンゼルス・ソウル・アトランタ・シドニ・アテネとオリンピックに5回出場されているが、これは単一競技では日本人最多記録とのことであった。ロスアンゼルスで銅メダル、そして20年後のアテネで銀と栄光の記録を獲得されるなかで、「勝負の世界は紙一重」を実感され、勝った選手は過大に報道されるが、その道のりこそ尊く大切であり、報道や指導者は負けた選手の気持ちを慮って、あらゆる言葉を使うことが必要だと説かれた。また、「自分を変えようと思ったら、人によって態度を変えていると、自分が分らなくなる。」と、競技生活で会得された含蓄のある信条をお話しになられた。中学1年からアーチェリーを始め、栄光の選手生活のかたわら、高校教師、そして今は日本大学准教授、そして日本テレビのスーパーモーニング、ニュース番組にも生出演されるなど、何事にも真剣勝負、まさに山本スーパー選手の生き様には脱帽である。


向山町のギャラリー『一会』をご存知でしょうか。店長は小野宗芳氏で奥さんと一緒に開設しておられとのこと。自称趣味の百貨店とおっしゃるように建築・旅行・古美術・歴史など豊富な知識と情報をもとに、東海愛知新聞でも「視点」を連載しておられる。8月28日、岡崎談話倶楽部の服部有哉代表から小野さんの講演会をコミュニティサテライトオフィスで開催するからとお誘いをいただいた。ちょうど「クルーズ旅行」が連載された直後のころであり、この方面のお話しかと思いつつ軽い気もちで参加させていただいた。今回は「自遊をもとめて」と題して、中心市街地の活性化といったハードテーマであった。
 先ず、50余カ国を訪問された経験からその街づくりについて、ニュージィーランドのクライスチャーチではガーデンシティーと呼ばれるように散策できる街路作りで賑わいを取り戻し、英国のコッツウエル地方は古い民家を活用して観光客を呼び込んでおり、ドイツのローデンベルグでは戦争で廃墟と化した街並みを瓦礫を集めて歴史の街を復元したとのこと。翻ってわが国の戦後復興では、日本的なものを捨て去ってしまった。しかし、シャッター通りとなってしまった中心市街地は、便利で綺麗な郊外のショッピングセンターに対抗するのは至難のわざであり、今一度、歴史・伝統・景観・自然遺産等を生かし、観光できる街づくりを考えるべきである。そして、岡崎の歴史遺産は岡崎城と大樹寺、そして八丁味噌だけではない。江戸時代の浮世絵師葛飾北斎、狂歌の太田蜀山人、彼らと交流のあった平賀源内、谷文兆、滝沢馬琴などの一流文化人やシーボルト、そして岡崎の三笑なども岡崎の歴史遺産として生かせるのではないか。また、国一を地下に埋め、岡崎公園と康生地区を一体化して、伊勢のおかげ横丁のような歴史的な街並みを復元し、歩いて楽しめる街づくりを目指すべきだとの大胆な提言をされた。 既にタワーレジデンス等の高層マンションが建ち、リブラの完成も間近いなこの時期にあって、やや遅きに失した面も見受けられたが、東公園に移築復元が決まっている本多邸は、康生地区にすべきだとの発想は一理あるようにも感じた。  


去る8月31日、甲山会館で浄土真宗額田組の夕べの集いが開催された。門徒の女性コーラスに続いての講演は、 「かけがえのない人間ー(生きる意味)を取り戻す-」と題して、東工大准教授・文化人類学の上田紀行先生であった。上田先生は「スタジオパークからこんにちは」でおなじみの武内陶子NHKアナウンサーのご主人で、また春風亭小朝師匠の従弟とのことであった。仏教ルネサンス塾を主宰され「ボーズ(坊主)ビーアンビシャス」のもと宗派を問わず若手僧侶の薫陶を進めておられるとのこと。八面六臂のご活躍の傍ら、数多くの著書もされ、特に「生きる意味」(岩波新書)は06年の全国大学入試において、40大学以上で取り上げられ、出題率第一位になられた。インドのダラムサルにおいて2日間にわたりダライラム14世と対談され「目覚めよ仏教・ダライラムとの対話」を刊行された。早くから『癒し』の観点から社会問題を提示され、「癒し」の元祖ともいわれている。先の秋葉原通り魔殺人事件にも触れ、不運な人・幸運な人、負け組み・勝ち組と人間が使い捨ての時代にあって、大切なものは信頼である。「かけがえのない自分を知ること」が大切であるなど、多くの感銘と示唆をいただくこととなった。