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高隆寺の歴史

欽明天皇勅願寺

欽明天皇勅願所にて
推古天皇の時代聖徳太子の命にて秦川勝によって建立
寺号を高隆寺と伝う
中興開山行基なり、天智天皇七年に生じる天平二十一年
菅原寺の東南院にて寂、後弘法大師開基本尊薬師如来
と申し伝へ、往古は真言宗を見えたり事実不詳
年月不詳であるが足利左馬助義氏七堂を造営基後(一二五三)暦應年中足利尊氏により再興される(別として)滝山寺の縁起(建長四年)に高隆寺律浄坊とあり。
天文十二年(一五四六)観音堂建立(今の本堂)本尊三体観世音菩薩(聖観音・千手観音・十一面観音)
弘治元年(一五五五)兵火にて七堂伽藍十二房消失
弘治三年(一五五七)に松平元信(岡崎城主)によって寺領の寄付判物有
永禄七年(一五六四)松平家康(後の徳川家康)により恵定坊へ判物給う
しかしながら
天正十九年(一五九一)に豊臣秀吉家来田中吉政により寺領の没収とこの時十二坊滅す。
しかし、幸いにして観音堂(恵定坊)は残る後
徳川家康、関ケ原の戦いにて石田光成と戦い戦勝す
これにより、慶長八年徳川家康公により三十五石の寺、寺領の判物を給う。
幸いにして山城国伏見城にて弘治三年に判物賜うよし一坊(観音堂と思われる)を有の事を言上
これにより慶長八年徳川家康公により三十五石の寺領を給い再興す。
現在に至る

以上

 

   

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更新 2017年6月17日