くさびら
茸が生えますよ、と彼女は言った。
ボスコノビッチの研究施設が破壊されて一週間。義賊集団として知られる卍党首領の吉光は鬱ぎ込んでいた。
被害は甚大、ボスコノビッチは怪我を負い党員の中には死者も出た。騒ぎの元凶は一人のサイボーグ。先の大会で瀕死の所を吉光自身が保護した男だ。
騒ぎを聞いた彼が−−−おのれ、恩を仇で返すとは正にこのこと。犬畜生にも劣る−−−そういきり立ったのも束の間、逃亡の痕跡を隠そうともせぬ相手を追ううちに一つの疑念が湧いた。
即ち、これはどこまでが義で私怨なのか。
もとよりその男に手を差し伸べたのは恩を売ることが目的ではなかったのだし、期待するのも筋違いというものだろう。責められてしかるべきは元凶を連れ込み、危機管理を含む総てにおいて認識が甘かった己だ。
義賊であるとはいえども法の下に照らせば犯罪者には変わらず、だからこそ賊に「義」が付くか否かの差が明晰化され難いメタフィジカルなものである事を自覚する程度の客観性を吉光は持ち合わせていたし、戒律として「我欲による偸盗と私闘」を禁じたのもそのためだ。今の己の行動は、自ら課した戒律を破るものではないのだろうか。
そして吉光は義賊であるという拠り所が存外脆いものであることを認識していたが、同時に、既に連綿と続くうちに一つのシステムとして成り立ってしまった「卍党」という組織に於ける首領−つまりは象徴(シンボル)としての己の立場も心得ていた。
シンボルが揺らげば組織は崩れる。
男の行為に怒りを覚えたのは紛れもなく、自身への腹立ち、護れなかった事へのやるせなさは本物だ。感情に身を任せるのは簡単ではあるけれども、それは結果的に吉光を「義」の伴わぬただの賊へと下落させ、更には卍党全体をも貶める行為に他ならない。
組織を維持するために必要なことであれば己の感情などはいくらでも押し殺せる。しかし。
一方で、同胞や恩人を傷つけられてそのまま捨て置くというのもまた「義」に背く行いではないのかとの思いも払拭できない。
自分がその男と対峙したときに、そこに私情は一切差し挟まず純粋に義のみで居られるのかという疑念も、また。堂々巡りだ。
イデオロギーを持ち出したところで詮ないのは重々承知だが、一度考えてしまうとどうにもいけない。
考えれば考えるほどに、己にとって、党にとって、何が最良であるのか道が見えぬ。
後ろ向きな思考が連鎖反応を引き起こし、結果、振り上げた拳のやり場をなくしてしまった。
早い話が途方に暮れていた。
そんなわけで、現在卍党の首領は、湿っぽい空気を−仮面のために表情は窺えぬものの全身に−纏わりつかせ、都心からも隠れ里からも離れた場所に存在するとある一室で、畳の目を数えたり天井を見上げ何事か呟いたりして一日中呆けている。
そして茫然自失を絵に描いたような男に居座られた部屋の持ち主は−かつての右腕で今は暫定的な保護対象である彼女は−そんな吉光を一瞥しこういったのだ。茸が生えますよ、と。
「生えるわけないだろう茸なんか」
力無く答える吉光に
「じゃあ訂正します、”黴が生えますよ”」
ご満足ですか? と、にこりともせずに答える。元々彼女−州光は感情を顔に出すことが少ないため冗談か本気か判別しかねたのだが、挙げ句に貴方は笑いながら回転して目を回してるのがお似合いです、などと真顔で言い出されるにいたって吉光はいよいよ困惑し、−それこそ”狐につままれたような”気分がしてきた。
「それは、言外に馬鹿だと言われている気がしてならないのだが」
「そう言っているんです。それすら判らないほど耄碌はしていないようで安心しました」
「お前、仮にも元上司に向かってだな・・・」
「だから”言外に”言っているだけで、明文化はしなかったでしょう」
急須から茶を注ぎながらそう切り捨てる州光は相変わらずの無表情だったが、言い草は随分だ。
「貴方がそうやって辛気くさい面を晒している原因は大方あの放蕩サイボーグなのでしょうけれども」
「耳が早いな」
「家に転がり込んで湿気を撒き散らす男が口を割らないのなら、自分で情報を集めるしかないでしょう」
「それで?」
「”それで?”」
幽かに剣呑なものを滲ませ鸚鵡返しに答える州光の目は片方が義眼のため左右の色が僅かに違う。狐というよりまるで猫のようだななどと見当違いなことを考えた吉光は、彼女の顔が間近に見えるのは実際に至近距離で相対して屈み込まれた為だと一寸遅れで気が付いた。
「事の是非の判断を私に委ねると仰有るのなら、それこそどうとでもお答えしますよ。どんな言葉がお望みですか?」
「そんなのは欺瞞じゃないか」
「詭弁ですよ、そもそも私がどう答えたところで貴方は納得いたしますまいに」
完全に見透かされている。しかし、人の意見など聞く耳は持たぬが一方的に愚痴を言いたいだけ−要は子供が駄々をこねるのと変わらぬのであろうと指摘され、それをただ認めるというのも業腹だ。かろうじてそんなことはないぞと言えば、そうですかそれは結構と何の感慨も無さそうに返された。体よくあしらわれているようで、これはあまり、面白くない。やや不貞腐れ気味に茶を啜る吉光を無視してあくまでも淡々と州光は言葉を紡ぐ。
「さて、そんなことはどうでも宜しい。私の答は望まずとも、既にご自分で出してみえることにお気付きでないようなので、謎解きをして差し上げます」
此処で腐って茸の苗床になりたいというのなら止めませんけれども、と嫌味を付け加えるのは忘れないあたりが可愛くない。
「謎解き?」
「あるいは誘導尋問。テーマは”今後について”。如何です?」
「・・・愉しんでいるのか?愉しんでいるだろう?」
「滅相もない。ただ、今ここで貴方に揺らがれたのでは、シンボルに依存して思考放棄している組織などは堪ったものではないかと」
放逐された人間のせめてもの心遣いですよと、しゃあしゃあと言ってのける。
いちいち言い方に棘があるなと思ったが、同時にその謎解きとやらに興味を覚えた。
「その男に手を差し伸べたことを、後悔しているのですか?」
「それは、少し違う」
オーバーロードで機能停止寸前まで追い込まれていたあの男。今ですら、手を差し伸べたことそれ自体に後悔は微塵もしていない。
「では、もし仮にですが、時間がその時に戻ったとして、手を差し伸べるのを止めますか?」
「それでも、手を貸すことを止めないだろうな」
結果を知っていても、やはり自分は躊躇わないだろうと吉光は思う。差しだした手に再び牙を剥かれたとて、結果を事前に知っているならば、それを防ぐことに腐心すればよい。
そう答えると州光は目を伏せて僅かに判る程度に口元を綻ばせた。
「追って捕えて、手討ちにしたいのですか?」
「それは、わからない」
それだけが、判らないのだ本当に。
「ならばひとまず、判るところまで進めば宜しいのではないですか?」
あくまでも淡々と綴られた言葉を頭の中でなぞってみる。
謎解きと言うよりそれは、己の考えを再確認するだけの作業であったが。
それでも絡み縺れ合い自身を縛って動けなくしていた思考の糸は、一見(あくまでも、一見)無表情な狐にほどかれて随分とシンプルな答に化けたような気がする。
「それでもいいのか」
「そんなものですよ」
停滞することが許されぬならば、先に進みながら考えろ。
そう自分の尻を蹴飛ばしてくれた狐を見遣れば、その視線をどう捉えたのか、私の部屋で鬱ぎ込まれて茸の栽培を始められたのでは堪りませんから、と面倒くさそうに付け足された。
「それにしても」
「なんですか」
「相変わらず回りくどいな。慰められていると気が付かないところだったぞ」
煽る台詞も言葉の棘も、総て己にハッパをかけるために仕組まれたものだとしたら。 解いてみればシンプルな答だが、遠回しにも程がある。
あやうく礼を言いそびれるところだったではないか。
忍び笑いを漏らした吉光に対し、今度はあからさまな渋面を浮かべると
あなたとんでもなく無粋ですね、と彼女は言った。
鉄5ネタ。党首にキノコが生えるそうなので。(2004/11/28)
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