安城市における人事闘争の経過
安城市教委・「教職員全員との面接を実施」と!

 2004年の不当な人事で安城市の稲垣先生が県人事委員会へ不服申立てを行っていましたが、県人事委員会は不当にも県側の証人尋問を行わず、「公開口頭審理は、これにて終わり」との暴挙を行いました。
 2005年11月15日開かれた公開口頭審理にて、申立人と代理人は、それぞれ安城市教委と県教委、そして、県人事委員会に対して、全面的な批判を行いました。

「全員の面接を行う」と市教委が。

安城教職員人事で貴重な前進!!

2005,12,22 三河の人事を考える会・三河教職員労働組合

公開口頭審理で、安城市の異常な教員人事を告発!

 2004年11月16日、安城市の一方的な人事で希望に沿わず異動を余儀なくされたI先生の不服申立にもとづく公開口頭審理が行われました。4人の代理人は、「希望を聞くシステムがない安城市の教員人事は不当で、異常なこと。」「この人事を行った校長は、県教委の異動方針にある校長像とは全く反する不適格校長であり、I先生と三河教労への差別意識に基づく者で不当だ。」と指摘しました。当日の公開口頭審理における4方の陳述を下記に掲載します。

T 安城の教員人事に対する私の思い

○ 校長が「異動希望調査表」を集めず、教頭に集めさせていた

 私は、前回の異動の時何の打診もなく、その時に大変嫌な思いをしたことがありました。だからこそ、異動希望調査票を提出するときには「来年度も本校に残って働きたい。異動の希望は無い。」と、校長に自らの気持ちを話しました。しかし、異動希望調査票を提出しようとしたら、教頭が集めており、それも教頭の机の袋に入れるようになっていました。ですから、希望調査票を出す時に、もう一度しっかり話そうとしましたが、機会がありませんでした。その後、年が明けて1月が過ぎ、3月になっても校長からは私の人事がどうなっているかという説明が無く、したがって人事についてどう思うかという打診もありませんでした。そして、3月19日の内示で突然二本木小学校への異動を告げられたのです。

○ 突然の異動内示、全く希望しなかった学校に驚き

それだけでもひどいやり方だと思いましたが、内示で告げられた学校は無理やり記入させられた「人事交流計画による転任希望校」の3校以外の学校でした。そこで、私は抗議文と申し入れ書を作り、組合の仲間と共に学校に行き、校長に説明を求め納得できる話をしてほしいと申し入れを行いました。

しかし、校長は雨の降る寒い日であったにもかかわらず玄関や廊下で私たちを待たせました。そして、市教委は、はじめから会う気はないという不誠実な態度でした。課長は「病気」だとかで会う約束さえとれませんでした。それから、毎日安城市教委に行きましたが、課長は「休暇だ。」とか「病院に行った」というだけで、全く会うことができなかったのです。

そして、県の人事委員会に出した措置要求書は4月9日に却下されてしまいました。そこで、私は5月28日にこの処分に対する不服申立ての手続きをしました。

B       校長の不誠実な対応

 I校長は異動希望調査票を配布する際に「記入する前に人事の希望を申し出てください。」と、口頭で話したので、私は面談を申し出て「異動の希望が無い」と伝えました。しかし、処分者側の書面では「何の申し出もなかった。」と、ウソが書かれていたことに私は驚きました。また、12月に異動希望調査表を提出しましたが、人事のことが心配で、I校長と会って私の人事がどうなっているか,面談をしようと思いました。私が校長に「人事について話がしたいのですが。」と申し出た時に、「人事のことか。今は勤務中だ。」と、勤務中には人事の話をしてはいけないというようなI校長の態度に、なかなか言い出せなかったのです。そして、「勤務時間中に人事の話ができないのか。」と驚きました。

C 校長の市教委への具申内容

その後、校長との話し合いで「保護者の苦情が出ている」ことが異動の理由のようでした。それならば、校長は「いつ、どこで、どのような苦情があるのか」きちんと調査し、管理者としてまず私に話をして問題を解決すべきだったと思います。しかし、それを行うのではなく、「噂を根拠に」一方的な具申をしたというのです。ショックでした。そんな「理由」で異動させられたら、たまったものではありません。校長として指導監督義務違反だと思います。このような「理由」が、異動の理由にされるなど、私は到底受け入れられるものではありません。

U 安城市における希望無視の人事体制の問題

1 安城市の人事の問題点

2003年末から2004年3月にかけての本件の人事の時には、安城市では異動希望調査票というものがあり、その中に「人事交流計画による転任希望校調査」欄というのがありました。その「人事交流計画」欄には、本人に異動の希望がある・なしに関わらず、小中学校を含めて3校の名前を書かなければならないことになっていました。たとえ異動の希望がなくても、その「人事交流計画」欄を根拠にして、本人の意向を確認する場は一切なく、転任させられるということが行われていました。そうしたことだけでも、安城市の人事がいかに本人の希望を無視したものであるのかということがいえます。(今回の不服申立以後、異動希望調査票から「人事交流計画」欄は削除された)。

Iの場合は、異動希望調査票に「異動の希望は無し」に○をうち、その「人事交流計画」欄に3校の名前を書いたにも関わらず、異動希望無しの意向を無視されたばかりでなく、名前を挙げた3校のどれにも該当しない学校へと異動が決まりました。安城市教委は、Iさんの希望を踏みにじると同時に、自らの設定した人事のルールを自ら無視するという暴挙を行ったのです。

2 問答無用の人事の発生は必然

2003年末の人事では、安城市では人事に関する面接すら行われていませんでした。内示前の本人の意向の打診というものも、もちろんありませんでした。異動希望調査票以外に自分の希望を述べる機会はまったくないまま、内示まで放置され、内示において問答無用の人事異動が行われていたのです。「異動希望無し」という教員にとっては、「人事交流計画」欄に基づいて人事がおこなわれ、本人の希望を聞いてもらう機会は一切なかったのです。

2004年度より市教委は面接をするように校長会に依頼しましたが、その内容は「必要があればやってください」というものであり、全員への公平な面接にはなっていません。これでは、例えば異動希望のない教員は自分からは面接に行かないということがおきます。そして、不意打ちの人事というのが依然横行しているのです。市教委は面接の意義を十分理解していないのであり、他市では行われている内示前の本人への意向の打診も「一人一人に意見を聞いた場合に混乱を生じる」からという理由でいまだに行われていません。

3 安城市の異常な人事体制は変わっていない

2005年1月に三河教労が人事について安城市教委と交渉を行ったときには、全員への面接や意向の打診を行う場を設けるということに対して、「そのような考えはございません」と言っていました。また、人事について不服があった場合は、どのようにしたらよいのかという問いかけにも、Iさんのように措置要求や不服申立てという手段に訴えるしかないということでした。安城市教委自身は、内示で決定した人事について、変更したり考慮したりするという姿勢は皆無でした。Iさんの人事が行われてからもその後も、本人の意向は一切無視して、校長や市教委の意向のみを通そうとする安城市の人事の本質的なあり方は変わっていないのです。人事に関して、一切希望を聞いてもらう場もないまま、まるで一つの駒のように扱われることに精神的な苦痛を感じている教職員は多いのです。安城市の、教員の希望を無視した人事体制を改善することこそ、この不服申立てで問いかけた中心的問題であるのです。

V 安城南部小学校I校長の異常な行動とその資質の問題点

1 はじめに

 わたしは、2002年10月に安城南部小学校を訪問しI校長に会いました。この年は、「指導力不足教員」を認定する制度が始まったとしでした。安城南部小学校のI校長は9月末の職員会議の席上「指導力不足教員認定のため(?)みなさん方の授業を見せていただく」と、宣言しました。翌週からI校長は特定の教諭の授業を集中的に参観していました。授業を見られた教諭は「自分が指導力不足教員に認定されるのではないか」と不安になり、三河教職員労働組合委員長であるわたしのところに相談に来ました。

相談の結果、安城南部小学校を訪問しI校長から直接話を聞くことになりました。I校長とは2001年にもやり取りをしたことがありました。その時には、わたしが「おじゃましたい」と要望したところ、「お会いする必要はない」と言われました。「組合員が来てほしい、と言っているので委員長としては訪問して話がしたい」と再度話しても「話をする必要はない」と答えるだけでした。

 そんな経緯もあり、I校長が在校している2002年10月7日に安城の太田教諭とともに安城南部小学校を訪問しました。訪問して尋ねたかったことは、@校長は、「指導力不足教員を探して授業を見たのか」A校長は、職員が年休を申し出た時に、教頭が「また組合活動か。」とか「授業は大丈夫か。」と年休取得を妨害した問題をどう考えるのか、の2点でした。

 

2 安城南部小でのやりとりー何と!逃げだそうとした校長

 10月7日16:30に安城南部小に着きました。対応したのは教頭でした。

畦地  : 校長先生に面会したいのですがお見えですか

教頭  : どちら様ですか?

畦地  : 三河教職員労働組合の畦地です。

 教頭は校長室へ行き、わたしたちは職員室で立って待っていたら、しばらくして教頭は戻ってきました。

教頭  : 校長は17:00より会がありますので会えません。

畦地  : おじゃました要件だけ伝えたいので、5分だけでも時間をとってもらえないでしょうか。

教頭  : 5分だけですね。

 と高圧的な態度でした。わたしは次のように言葉を付け足しました。

畦地  : 5分というのは言葉のあやです。言葉尻をとらえないで下さい。10分はいただきたい。

 このやりとりを私と教頭で行っていました。わたしは学校に来客が来ていたり、校長所用があったりして、対応できないことはあると思いました。

その時です。わたしたちが外の入り口から校長室に行こうとすると、だれかが校長室から退室していきました。まさかとは思いましたが同席した太田さんが、「校長先生ですか?」と聞きました。その人物は返事をしませんでした。再度「校長先生ですか?」と尋ねると、その人物は「はい」と答えるではありませんか。

 わたしたちが「校長に会いたい」と言って、教頭を通じて折衝している最中に、校長である当の本人が別の出口からこそっと抜けだそうとしたのです。それは、わたしにとってまったく信じられないことでした。

 そういう場合に校長がとるべき対応は「申し訳ありませんが、本日は17:00より所用がありますのでお話しを聞くことができません。(いついつ)お越し願えませんか。」とか「教頭に対応させますので、それでよろしいですか。」というのが常識的な対応だと考えますが、いかがでしょうか。

 

3 I校長との話し合いー校長としては信じられない言葉と対応

 そこで、16:40頃より、玄関先で立ち話でのやり取りが始まりました。校長は開口一番。

校長  : こんな時間に話し合っていいのですか?

 何を言い出すのかと思ったら、「勤務時間中に組合活動をやっている」と言おうとしたようでした。

組合側 : 何を言っているんですか。今は休憩時間ですよ。

校長  : ぼくは勤務時間中ですよ。

と言うではありませんか。わたしたちは時間休をとって学校を訪問していて、なんら問題はありませんでした。一方I校長は、彼のいう勤務時間中に出かけようとしていたではありませんか。まったく信じられない言動です。時間がないので、わたしたちは次のように話を続けました。

組合側 : とにかくきょう来た用件だけ伝えます。二つあります。一つは「指導力不足教員」問題です。もう一つは年休問題です。第一番目ですが、不適格教員をすでに認定したのですか?

校長  : いや、認定はしていない。           

組合側 : 何度も授業を見ていますよね。    

校長  : 何度も授業は見せてもらった。 

(中略)               

組合側 : 年休の取得は届け出制ですよね。        

校長  : それはそうだ。                

組合側 : しかし、稲垣和男さんが年休をとろうとすると、いろいろ言うではないか?先日も教頭先生が・・。(横にいた、教頭が弁解をしようとしたが・・・・)      

校長  : 県の方に聞いたが、あなたたちとは話し合いをしなくていいと・・・

組合側 : それは県のどこの機関に聞いたのか?      

校長  : ……(答えられず)              

組合側 : きょうは交渉に来たのではないんですよ。話し合いに県も何もないでしょう。

校長  : Iさんの問題はわたしとIさんで話し合えばいい。あなたたちと話す必要もない。

組合側 : 組合員であるIさんが来てほしいと言い、やってくるのは組合として当然のことです。あなたが会う必要はないと言っても、こちらには話す必要がある。

校長  : そうやって、権利のことばかりいう……。    

組合側 : 権利のことなど何もいっていません。当然のことをいっているだけです。

    (このやりとりの最中に、I校長は突然次のように言い始めました。)

校長  : ところで、あなたはだれですか?名前も聞いていない。

(わたしは唖然としながら以下のように答えました。)    

組合側 : あいさつもさせずに、あなたが出かけようとするから用件から入ったんじゃあないですか。あいさつも自己紹介もするひまなかったでしょう。     

(そうしたら、校長は次のように逃げをはかり始めました。)   

校長  : とにかくぼくは忙しいので・・・・。       

(時間がたっていくばかりなので、以下のようにわたしたちとI校長と口頭での約束をかわして話を終わりました。その約束というのは。)

「(話し合いの)日程については後日調整する。ぼく(I校長)から稲垣さんに話をする。稲垣さんからおたく(畦地のこと)に連絡が行き、日程があえばそれでいい。日程が合わないときに、直接おたくに連絡をする。というものでした。そして、その後のやりとりの中で、I校長が、「ぼくとIさんの間で話がつけば・・・」というようなことを言い出したので、わたしは、「それはいけません。約束とちがいます。おかしい。」と言いました。

 

4 その後のこと

 I校長とわたしの間で、こういったやり取りがあり、わたしはI校長からの連絡を待ちました。しかしながら、彼からは何の連絡もありませんでした。連絡がないはずです。わたしたちとのやりとりがあり、上記のように「連絡をする」と約束したにもかかわらず、わたしたちが退席したあと、I校長は、稲垣教諭に「おれは連絡するつもりはないからな」とうそぶいたというではありませんか。

 

5 校長の資質を問うー「特に包容力のある豊かな人間性と高い識見を有する…」(県人事異動方針より)

 愛知県教育委員会の人事方針によれば、「特に包容力のある豊かな人間性と高い識見を有する…」と校長の資質としてうたわれています。今回の事例で安城南部小学校のI校長は、

@          来訪者に対して、会おうとせず別の出口から逃げようとした。(逃げようとしたんですぞ!)

A「連絡する」と約束したにもかかわらず。その舌の根も乾かないうちに「おれは連絡するつもりはない。」と約束を簡単に反故にした。(約束を簡単に破るとは!)

など、県教委のいう「校長としての資質」に全く欠けると言わざるをえません。もし、わたしの言っていることが間違っており、「そんなことは言っていない。」とか「そういうつもりではない。」という部分があれば堂々と公開口頭審理の場で証言してもらいたい。

 以上、公開口頭審理の発言をもとに加筆などを行いました。安城市の希望無視の人事は、三河の中でも異常なものとなっています。

「全員の面接を行う」と市教委が。希望を確実にとどけましょう!

 このビラを作っている時、安城市教委が今年から「全教職員と面接を行う」という話が届きました。これは、貴重な前進です。安城市の教職員のみなさん、もう面接はありましたか。希望は話しましたか。希望を確実に届け、自らの教員人生を実りあるものにしましょう。

「全員と面接を行う」と市教委・校長会は言っているのです。
確実に、面接を行わせましょう。
そして、希望を堂々と伝えて行きましょう。
もし、面接を行わない校長がいたら、すぐに組合へ。