最近、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をパロディーにした「雨ニモアテズ」という怪しげなる「文書」が某新聞に載せられたようで、職員室でも話題になりました。
このパロディー「雨ニモアテズ」は、現代っ子やその親の姿を写しているようで、その実偏見と思いこみ、そして意図的な言葉によって、子どもらやその親を馬鹿にした内容となっています。
以下、引用します。(茶色の部分)
知ってる?現代っ子「雨ニモアテズ」
7月12日8時8分配信 産経新聞
詩人の宮沢賢治に「雨ニモ負ケズ」という有名な詩がある。東北地方で貧しい農民たちと生活をともにした賢治が、こういう人になりたい、と自分にいいきかせた素朴で力強い詩だ。 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ |
「初め、感心して読んでいましたが、次第に腹が立ってきました。
こういう子どもを馬鹿にしたパロディー(ですね。)を作るのは、子どもらに対して冷たい人間ではないかと。
私は、毎日子どもらを前にして、彼らのがんばりや悩みをみていますが、
決して怠け者でもないし、ただ世をすねているのでもない。いや、世をすねてなんかいません。
友だちとのつきあいで悩み、塾の忙しさの中で、野球に精を出し、ゲームも楽しむけど生き物も真剣に飼う。太っている子もいるが、決して太りたくて太っているわけではない。また、我が校では、肥満傾向の子は、まだほとんどいない。子どもの食生活は疑問もあるが、それは子どもらの責任ではない。そして、親も本当に忙しい毎日である。
そういう子どもらがほとんどです。そして、親もそうです。
家庭の事情で問題を抱える子もいますが、彼らとて被害者であり、苦しんでいる。
そういう子どもらを前にこういう詩をつくる教育者がいたら、それは偽物だろうし、子どもを突き放した冷たい人だと思います。
そういう詩を作って喜々としている、または子どもらを馬鹿にしている(あわせて親も馬鹿にしていますね。)。
「コウイウ教育者ニハ、私ハナリタクナイ」
そういうパロディーですね。いや、パロディーではない。
弱いものを、さらにいじめる権力者が歌うのは。
国連・ユネスコは、日本の子どもらが置かれている状況をさして、「過度の競争と管理で、子どものらが傷つけられている。」と分析し、改善の要求を出しています。
私も、「今の子どもらの時代に生まれなくてよかった」と思うほど子どもらの現実はきびしいと思います。
どうも、あの詩のパロディーは、「戦後の教育はだめだ。戦前の教育にもどせ。」という
方々の息がかかった人物の創作であり、この新聞社の意図的な利用の雰囲気すら感じます。
それにしても、あの詩のパロディーを「そのとおりだ。」と共感する教師たちがいたら、と思います。子どもらに寄り添い、一緒に悩み、考え、日々の教育に邁進している教師のみなさんはぜひこのひどいやり方に怒りを持って欲しいと思います。
あのように、子どもをみたら、子どもらに寄り添った本当の教育はできないと思うのです。」
このパロディーに対して、以下のメールをいただきました。
私もそう思います。載せさせていただきます。
笑っているうちに、いつの間にか洗脳されている。毎日の膨大なマスコミ(とくに、テレビ)の害悪は、正常な感覚を麻痺させていると思います。
マジックで超能力を説き、霊視とかいって殺人事件を解決したかのような話を作り、健康を売り物に納豆を買いに走らせる、そんなマスコミの悪意ある宮沢賢治の利用は、墓の下の賢治を相当怒らせているでしょうね。
しかし、マスコミの力は巨大です。このパロディーから、子どもらへの不信や疑問が増幅されて、「だから今の教育はいかん。戦前の教育にもどさなくては。」という残滓が増幅されていくのが恐いと思います。
みなさんは、どう思われるでしょうか。
子どもたちは、5分の放課でも外に行って遊んでいます。
「先生、外で遊んできていい。」
「えっ!あと3分くらいしかないよ。」
「ねえ、ちょっとだけ。」
「しょうがないなあ。ちょっとだけだよ。」
本来、5分などという放課自体が人権侵害みたいなものです。しかし、「授業時間が足りない。」と、切りつめられているのです。
そして、その放課ですら、委員会の仕事や行事のために削られているのです。