万葉集を読もう 「万葉集」の歌を古代韓国語訳で。
もう何年か前になりますが、李寧煕(イ・ヨンヒ)という方の『もう一つの万葉集』という本を読んで、目から鱗のおちる思いがしました。
わたしが高校生の時、確か「枕詞には意味はない。」と習いました。しかし、当時のわたしは「ふうん。そんなものか。」と思いつつ、「そんなことはないよな。」と漠然と思ったことを覚えています。たった31文字のうち5文字に意味がないとは、と思いつつ、そのままにしてきました。
しかし、「古典」には、わからないことばかりでした。「なぜ、万葉集の第1首から『雑歌』なのか。」など、解説と称するものが、雲をつかむようで、曖昧なものに感じられたのです。「わからないのが古典」とも思ってきました。
そんな時、古田武彦『「邪馬台国」はなかった』を読み、感動し、さらに「万葉集が古代韓国語(この場合、新羅・百済・高句麗を意味する)で読める。」という本に出会い、更に感動することとなったのです。
特に、わたしの好きな持統天皇の「春過ぎて…」の歌ですが、その赤裸々な新解釈を見て、「まさに、そうなのだろう。」と納得できました。「解読不能」の歌や「硬くて、平板」な歌が、生き生きとした歌に甦ったように思いました。
この「万葉集は、古代韓国語で読める」という考えについては、いろいろ議論が起きているようです。ならば研究者と称する方々は、研究者にふさわしい反論なり、研究を対置するべきだと思います。科学は、そのような論議を通して進歩するのですから。
わたしは、そんな論議を期待しつつ、しばらく、この「万葉集が古代韓国語で読める」という世界にふけりたいと思います。
いや、これが真実ならずっとですね。
以下は、わたしが関心を持ついくつかの歌を、李寧煕さんが新しく解読された方法で読んだものです。それを、並べてみました。
1,雄略天皇 巻一の一
万葉集巻第一 雑歌 (ジャブ ノレ=権力奪取の歌という意)
泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇
天皇御製歌 興毛興呂毛 (ゴモ ゴロム=貊、支配せり!)
籠毛與 美籠母乳 高麗よ 瑞穂の高麗たちよ (高麗とは貊のこと)
コ ムイ ヨ ミ コ ム チ
布久思毛與 美夫君志持 復旧よ 瑞穂の復旧たちよ
ボック ソ ムイ ヨ ミ ボック ソ ムチ
此岳尓 菜採須兒 この丘に 私は先代と並び立ち
イオンドクエ ナ ラ ソ ゴ
家吉閑 名告紗根 ここに家を造り 告げて住もうと思う
イエジルカナ ナ ニョロサネ
虚見津 山跡乃國者 斯廬・弥雛 大和の国は
サロ ミチュ ヤマト ネ ナラシャ ※ 虚=斯廬=新羅 見津=弥雛=沸流百済
押奈戸手 吾許曽居 押さえおきて 統治者は私一人である
ヌロノ ハ ソ ナ オジクイッコ
師吉名倍手 吾己曽座 鎮めねかして 私は自ら位に就く
シ ジュルナベテ ナ モム ソ アンジャ
我許背齒 告目 私は急ぎ来て 告げる
ナ オ ソ ワ ニルモ
家呼毛 名雄母 ここに来る 出で来ると
イエ オ モ ナ オ モ
※ 豊田市の旧地名である「挙母」(コロモ)は、この「興呂毛」(コロモ)と関係有りとすれば、面白いことです。
2,弟橘比売命 「古事記」歌謡
佐泥佐斯 佐賀牟能 袁怒邇 毛由流 肥能
サ ネ サ シ サ ガ ム ヌン オ ノ ニ モ ユ ル
ビ ヌン
鉄造りの城の者たちの 相模(鉄磨)は 攻めてくるだろう 流れ行かず 祈る
ジャネ ジャシ ジャガム
(眠る・お眠りになる)(眠っていく)という祈り
本那迦邇 多知弓 斗比斯 岐美 波母
ポ ナ ガ ニ ダ チ デ ド ビ シ ギ ミ バ モ
帆が進んで行くから 太刀を身につけ 一際お見栄えのする 君を 見ることだろう
3,作者不詳 巻十二の三0九八
於能礼故 所罵而居者 駿馬之
面高夫駄尓 乗而応来哉
ヲ ヌ レ ゴ トヲ ノリ
デ イッ ジャ プサ マル ジ ヲモ ダカ ブ タ ニ ノリ デ タラ オ
ジェ
だれだ、お前は。 王座狙い、代々するようだ。潰すなかれ! 母と高安、争えり 王座狙い、代々するようだ
※ 「駿」は、正しくは馬へんに、総の右側の字。
4,額田王 巻一の九
莫囂 円隣之 大相七兄 爪謁気 吾瀬 子之 射立為兼 五可新 何本
メホル ドングルリジ クン サ シ
エ ジョ アル ゲ オ ラ
ジャッ シ ソ イッ ス ニ オ ガ セ ヨロ ボン
水郷 廻らせよ 大城に 拝謁せよ 来たれ 城が立ちにけりに 行き来せむ 幾たび
麻具を廻せよ 大股の麻具を識らせよ 来たれ 麻具立ちにけりに
行き来せむ 幾たび(裏読み)
※活字にするのも憚られる内容ですが、この赤裸々な表現(それも裏読み!)に何かしら古代の活力を感じるのです。
5,倭大后 巻二の一四八
青旗之 木旗能上乎 賀欲布跡羽 目尓者誰視 直尓 不相香裳
ゴラ ギ ネ ナム ギ ヌン ウペヲ ガ
ヨ プ
ト バ メ イ
ジャ スイ シ ジョ ギ プル サン コ
モ
青がそいつだ! 言い残す 御上を 賀輿 引き留めて 担がせたら すぐ 亡くなられた
まことに 不憫である
青=大海人皇子 倭大后とは天智天皇皇后。中大兄皇子によって斬殺された古人大兄皇子の娘。
「一書に曰く、近江天皇、聖躰不予御病急かなる時、大后の奉献る御歌一首」とある。
6,倭建命 「古事記」歌謡
夜麻登波 久爾能 麻本呂婆
ヤ
マ テ バ ク ジ ヌン マン ボ
ラ マ
やまたいよ くじは みはれ!
多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母礼流
ダ ダ ナ ドウ ク ア オン ガ キ ヤ マ ゴル モ エ
ル
みな しめて ぽっかり空いているようにして やま郡にあつまれ
夜麻登 志宇流波斯
ヤ
マ テ ジ ウ ル
バ シ
やまたい ほろばんとする
7,貊の戦勝歌(「古事記」・「日本書紀」歌謡一)倭における濊、貊の戦い
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾
ヤ グ モ ダ ト イ ドウ
モ ヤ ベ
ガ ギ ト マ ゴ ミ
ニ
濊、貊戦い 出雲濊の地 占領す 駐屯兵追いやり
夜弊賀岐都久流 曾能夜弊賀岐袁
ヤ ベ ガ
ギ ト グ ロ ジュ ヌ ヤ ベ
ガ ギ エ
濊の地占領す 勝鬨挙げよ 我ら、 濊の地占領す!
「古事記」歌謡一
(大意)
濊と貊が戦争して、濊の地であった出雲を勝ち取った。駐屯軍も殲滅した。
勝ち鬨をどっとあげよ。我々は濊平野を勝ち取ったのだ!
?はさんずいに「歳」と書き、「ヱェ」と発音する字です。古代日本を形成した有力な人々。「八」で表されるといいます。
8,中皇命 巻一の十
題詞「中皇命、紀の温泉に往しし時の御歌」 (紀の温泉とは、白浜温泉のこと。)
君之歯母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
グム ガ チ モ ナ デ
モ トヲ
ジ ジェ イパ デン ネ オカ ガ
セ ネ オ ガ ロ メツ
デ ナ
四
六 四 六 六 (韻律)
ひびわれたので やたら動くと 言ったでしょう 伽耶の者は
つぶされる 叩かれる どう抜け出るつもり もう残っていない
9,作者不詳 巻一六の三八八七
天尓有哉 神樂良能 小野尓 茅草苅 草苅 婆可尓 鶉 乎立毛
アメ ニ アルジェ シン ラ ラ ヌン オ ノ ニ ガヤセ ガリ ガリガリ バ ガ ニ ウジュラ ホヲソヲモ
(苅苅)※本来、こちらであったと考えられる。
(古代韓国語に基づく訳)
お上よ!知っておけ 新羅らは やってくるよ。 伽耶の鉄太刀 刀刀を 打ち込むから 城砦 立てても無駄さ。
10,中大兄皇子 巻一の一五
渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比弥之 今夜乃月夜 清明己曾 『大系』
バダ チ
ミ ネ
ドンヨ ギ ウ ニ イ リ
ヒ ゙ ミ ジ イジャ ヤ ネ ドク ヤ マル バク コ ジュ
海人、 動く。 同盟傾きて、 伊理斬り出せ 今こそ 我聳え 頂占めむ。
渡津海乃 豊旗雲尓 伊理
比紗之 今夜 乃月夜 清 明 己曾 『全集』
バダ チ ミ ネ
ドンヨ ギ ウ ニ
イ リ ビ サ ジ イジャヤ ネ
ドク ヤ マル バク コ ジュ
海人、 動く。 同盟傾きて、 伊理斬り出せ 今こそ 我聳え 頂占めむ。
伊理=入鹿のこと
バクコ=跋扈(ばっこ)
比祢之=ビネジ=斬り出そう 比弥之=ビミジ=「斬り事」動く 比紗之=ビサジ=斬られたりする
※ 「明己」で「バクコ」というのだそうです。「跋扈」は「バッコ」といいますが、「ばっこ」が「頂占める」とすれば、意味は同じですね。
ブランコで「ギッタン、バッコ(ン)」といいますが、これも意味があるのでは。
11,大伴家持 巻二十の四五一六(「万葉集」最後の歌)
新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いやしけ よごと(吉事)
ケ フ フ ル ユキ ノ
と読んできましたが、裏読み(本当の読み)があるのです。
新年 乃始乃
波都 波流能 家布敷流 由伎能 伊夜之家 余其騰
サラ ドウジ ネ シ ネ バ ト バ ル
ヌン ヤ ポ ブ ル ユ キ
ヌン イ ヤ ジ ケ ヨ グ ドウ
新羅 征討の旨 防御 正す(固め) 武具は 続けて作れ
お出しになられる 矢降り浴びせよう 夜を徹して
12,持統天皇 巻二の二十八
春 過而 夏 来
良之 白妙能 衣 乾 有 天 之 香来山
ボム ジナ イ ヌヨルム オル ラン ガ サロ ダペ ヌン ゴロム ブシ アル ジアビ ガ ヒャン ゴル メ
春が すぎて 夏が やってくるのでしょう 白い肌着の(新羅との)
衣の紐をほどく あなたがかぐわしい
(繋がりを開く)
(本来の訳)
春が過ぎて 夏がやってくるのでしょうか。
白い肌着の 衣の紐をおほどきになる 貴方から 新緑の香りが匂います。
「ようやく私たちの時代がやってくるのだろうか。新羅とのつながりをほどくあの人が香しいので。」
13,柿本人麻呂 巻一の四八
東野炎立所見而 反見為者 月 西渡
セ ビョク ピョル セ ダ ポ イ パン ギョ ハ ジャ アラソ ガ ネ (新訳)
(本来の意味)
夜明けの星をかぞえていたら 明け空に 草壁の皇子のお姿が
ああ、うれしいなと思っていると 皇子は、私の方を見てうなずかれ、そして、消えていかれた
殯(もがり)の歌、「万葉集」に、この歌は「軽皇子宿安騎野時、柿本朝臣人麻呂歌」とあり、
167首の短歌には、関連するものとして「刺竹之皇子宮人帰辺不知尓為」とある。
「刺竹之皇子」とは、刺し殺されてうち捨てられた皇子」という意味があるという。
やはり、草壁皇子は暗殺されたのでしょうか。
草壁皇子に人一倍強い思いを抱いていた柿本人麻呂は、後に徹底した反持統となり、最後には処刑されています。
14,額田王 万葉集巻二の一五一(「怕ろしきものの歌」の題がある歌)
如是有刀 予知勢婆 大御船 泊之登万里人 標結麻思乎
ガ チュ
イシ ド アレガシ ア セ
バ オボ ミ ベ パク ジ ドウ マル リ ニ チメ メ マ シ オ
だしぬけです! やりなおしたい 親斬り 刺しも 止められるから しめ 結い なさるな
(しめゆ)
(今までは)
かからむと かねて知りせば 大御船
泊てし泊まりに 標結はましを
(これでは、意味不明です。)
15,高市皇子
三諸之神之神須疑巳具耳矣自得監乍共不寝夜叙多
○この歌は、十市皇女の冥福を祈るために巳の刻の儀式に詠まれた。
三諸之 神之神 須疑巳具耳矣自 得見監乍 共 不寝夜叙多
ミ モロ
ジ ガム シ ガム ス ギ ペアム グ ニ ウイ ジャ ドク ミ ガム サ ギョオン アニ シム
ヨ ソ ダ
お墓の土が涸いています。
行かれるのですね(済州島方言)
すぐにまたお会いできるよう(スギ=「直ぐ」の語源)
お祈りしましょう
毒を飲ませ とうとう 行かせてしまいました。
三諸之 神之神 須疑巳具耳矣自 得見監乍 共 不寝夜叙多
ミ モロ
ジ ガム シ ガム ス ギ ミ グ ニ ウイ ジャ ドク ミ ガム サ ギョオン ブル シム ヨ
ソ ダ
「水」(天武)を追いやりましょう
一緒に行動されるのですね。
すぐ撃滅できるよう
お祈りしましょう 毒を飲ませ とうとう 「火」をつけてしまった
16,舎人吉年(舎人のギルニョン) 巻二の一五二 天皇大殯之時歌二
八隅知之 吾期大王乃 大御船 待可 将 恋 四賀乃辛埼
エエ シム アルジ ア ゴ
オボ グミ ネ オボ ミ ベ
マジュ ガ マジャ ゴバ シ ガ ネ カラサキ
八島知る 若者 大君たち 父親 お迎え 続けて刺し 早々に行く 唐の手先
八島(日本)は知っていますよ 若き大君らが 親御様を斬り、お迎えの者も続けて刺し
早々に行かれたのを 唐の手先であるのを。
17,作者不詳 巻十二の三一六六
吾妹児乎 外耳哉 将見 越解乃 子難解乃 嶋楢名国
バギ モゴ オ バッギイジェ マジャパ ゴジゲネ アゴヲル ゲネ ソマ ナラ メングン
その意味は、
側室の子か 誰かが化けたのか 刀出し 息子が親を破る
よくみよく見る
島国を作った名君なのに
18,雄略天皇
暮 去者
小椋山尓 臥鹿之 今夜者 不鳴 寝家良霜
ジョムロ ガジャ ソ リャ メ イ
ヌプンシカ ガ グム ヤ ジャ
ブルミョン シイ ガ ラ
ソリ
その意味は、
夕闇せまり 「休めよ」(射ようか)山に 臥す鹿が 今宵は 鳴かぬ 寝よというらし
大意は、
夕方になって、「休めよ」(射ようか)山の小椋山で
いつも私を狙っていた「鹿」が、今宵は声もない。
それも、そのはずだ。私の手にかかって死んだのであるから。
ああ、今夜こそぐっすり休めと、この静けさが私に語りかける。
19,作者不詳 巻16の3889
人魂乃佐 青有君之 但独
相有之雨夜 葉非左思 所念
ビト ホン ネ ジャ アオアラ グミガ ダダビトリ アビアラ ガ ビ ヤ イプ ビ チャ サ トヲ ヨヲメ
「人」ひどいめにあわせよう
「青」と息子が仲違い
みんながみんなへそまがり
親父を息子が斬るのだと
言い漏らしている
用心せよ
20,但馬皇女 巻二の一一六
人事乎 繁美 許知 痛美 己 世尓 未 渡 朝川 渡
ビト ジ
オ バ ミ
オ チ イタ ミ イミ セ ニ イミ ガネ アサ ネ ガネ
日の出よ 夜は いかに 継ぐるよ すでに 夜が明ける 君が行く 奪い取って 行く
21,持統天皇 巻二の一六0
燃火物 取而裏而 福路 庭 入澄 不 言八面 智男雲
ヨン ブル マン ドウ リ サ イ ブク ジル ニバ ドウ リジ ブル ゴト ヱエ モ チ
サナ クモ
念仏ばかり 上げていたので 戦争 庭に 入れた 戦火 収め行け 王が 荒々しい
お経ばかりめぐらしていたので 戦いを家の中に引き入れたのです。
戦火を収めて去らせましょう
王が荒々しいようです。
※この王とは高市皇子のことであろう。天武を批判し、冷静に対応することを決意しています。
これが、天武天皇の葬式の歌とは驚かされます。
天武を見限り、新しい情勢に対応しようと側近の者にメッセージを送っているのです。
持統天皇とは、なんという人物でしょう。
22,大津皇子の歌 巻二の一○七
足日木乃 山之四 付二
妹待跡吾 立所沾 山之四 附二
アシ ビ ゲ ネ サン ガ
サ チュグ ニ メ マジュデ ヲ ダンチ ト テ サン ガ サ チュグ ニ
長枕が 生ばさみ 行かせんとす ほとをあわせよ ほてりまら吹き出る 生ばさみ 行かせんとす
姫枕が メ=山 ガシ=端(山辺)
妹=持統
(持統が)アシ=高貴な ビゲ=枕
待跡=対峙する
メ
ガ シ ブトウ ニ(殺そうとする) メ カ ゙シ チュグ ニ
妹待跡・吾立所占(早く事を起こして下さい)
イモマジュテ・ヲショ
トテ
意味は(表向きは)
※
長まくらを腰にあてると、まらはしめつけられ、すぐ行こうとします。
ほとをしっかりあわせてください。ほてりまらが吹き出そうとします。まらが行こうとするのです。
【裏読み】
姫枕(持統)、山辺殺さんとす(捕えんとす)
女(持統)に差し向かい 早々に事起こせ (持統が)山辺殺さんとす(捕えんとす)
23,石川郎女奏和歌 巻二の一0八
吾乎待跡 君之沾計武 足日木能 山之四附二 成益物乎
ナ オ マジュ デ
クン ガ セ
バガ ム アシ ビ
ゲ ヌン サン ガ シ チュゲ ニ ニル マシ ムル オ
来たれ あてあわせ 大鋏を 入れよ 長枕は 生鋏行かせんとす 相立ちてはさまむ
ナ オ マジュデ
クン ガ セ
バガム アシ ビ
ゲ ヌン メ ガ
シ チュゲニ ニル マシ ムル オ
出でよ 女に向かい 「大改新」打ち込まれよ 姫枕は 山辺殺さんとす 相立ちて戦かわれよ
(持統)
24,長屋王 巻一の七五
宇治間山 朝風寒之 旅尓師手 衣応 借妹毛 有勿久尓
ウ チ カン
メ アサ ガセ チャム ジ タビ イ シ ソ ゴロ ムン ガル メ
ト アル マル
グ イ
御上が逝かれたので 略奪に 耐えよう 全てを 空にしなさい そうすれば 裁くことは なさらぬだろうから
25,額田王 巻一の八 『枕詞の秘密』P.242より
熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許芸乞菜
ニギ タ シ ニ ベ タ セ モ ドゥ ドングルデシャ シポ ド ガ
ナ ビ ネ
イジェシャ オ
ギ キナ ムセ
誰のせいであろう 船に乗ろうよ皆の者 なだめられ 嫌々ながらも行くとみえる 今こそ漕ぎだそうではないか
(従来訳)
にきたづに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまは こぎいでな (万葉がな)
熟田津で船に乗って出発しようと月を待っていると 月も出 潮もちょうどよいぐあいになった。さあ、漕ぎだそう。
26,石川朝臣広成 巻四の六九六
家人尓 恋過 目八方 川津鳴 泉之里尓 年之歴去者
イペ ビト ニ ゴビ スギ メ ヱェ モ ガッ パチ ナギ イッドッミ ガ サトヲ ニ ドシ ガ
レ サラ バ
イッドッムイガサトヲニ ドッシ ガ レ
サラ バ
家 傾きて 「子殺し」やらせむと 鍛冶王よ 泉のほとりの鉄場なのだから
目(女)失えり (続け聳えし身の里なり) 良鉄磨きつ生きて行かむか
27,聖武天皇 巻六の一0三0
妹尓恋 吾乃松原 見渡者 潮干乃滷尓 多頭鳴渡
イモ ニ ゴビ アゴ ネ ソ ボル ボ バダ バア シボ ビ
ネ ガタ ニ ダ
ドオ ナギ バダ
妹引き入れ、子殺せり 鉄刀、磨く地まで入れ すべておくれ!
あご(子)の鉄野の 砂鉄、貰はむか 開祖貰はむ
28,志貴皇子 巻八の一四一八 志貴皇子の懽(よろこ)びの御歌
石激 垂見之 上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
イシ パゲシ スイ ミ ジ ウペ ネ サ ワ ラ ビ ネ モ ヨ ナ パルル イ イッル オ カモ
継承潰し すみやかに押せ 御上らよ 「鉄の子」」着る 集い出で 正体あらわせり こちらへ来るかも
○
志貴皇子は、この歌を天武のために詠んでいる。「懽(よろこ)び」の歌なのである。志貴皇子は天智の子とされてきたが、これにより天武の子というのが正しいのはないか。
三河東部、特に豊橋近辺に「ぼっくう」という方言があります。
この「ぼっくう」という言葉は、「やんちゃ」「きかんき」「悪がき」「元気で、手のつけられない子」という意味があるのですが、この言葉の語源は、方言の研究者にお聞きしてもわからないようです。実際、わたしも聞いてみましたが、「わからない。」とのことでした。
時間は、言葉の語源などすぐに遠い過去の話にしてしまうのでしょう。
この「ぼっくう」という言葉の語源を、探しているのですが、「万葉集」の古代韓国語読みに「ぼっく」という言葉が出てきます。この双方に関連があるのか、ないのか。まだ、分かりませんが、調べていきたいと思います。「『ぼく』がなまったもの。」などと言わないでくださいね。
また、最後の「石激」という志貴皇子の歌ですが、今まで「岩ばしる」と読んできました。それは、それでとても良い歌だと思うのですが、「なぜ石が岩なのか。」「激」がなぜ、「ばしる」なのか。気がつけば、疑問ばかりでした。
これらが、様々な論議を経て、解決される日がくることを期待しています。
それまでは、この「万葉集の古代韓国語詠み」を楽しみたいと思います。
(これが、本当の訳だと確信しつつ…。)
なお、引用が間違っているかもしれませんが、それは引用者の責任です。