鳥居先生の労災認定を!

あの夏の暑い時期に休みも満足に取らず、もちろん日曜日もなく、
倒れるまでの1ヶ月の時間外勤務は、なんと112時間超!
倒れるまでの1週間の時間外勤務は、なんと42時間超!
そして、倒れる前夜は「夜警!」で学校に泊まり込み!
そして、当日は慣れないユニホックの激しい模範試合。
そして、鳥居先生は倒れました。


 私たちは、鳥居先生の公務災害認定を求めます。

            2008年3月  鳥居先生の労災認定を求める会

「ええ!学校で倒れても労災じゃないの?」

〜鳥居(たつ)(ひと)先生の労災認定を求める取り組みへ

支持・協力・参加の呼びかけ〜

          2008.6.16 鳥居建仁先生の労災認定を求める会

 朝早くから夜遅くまで、中学校の授業・部活・校外活動に邁進し、倒れた鳥居先生

 2002年(平成14年)9月13日(金)石巻中学校の体育館で、学校祭の体験講座指導中に、鳥居先生は脳内出血で倒れました。

 鳥居先生は、朝は7時すぎから夜は8時や9時まで中学校の教員として、また陸上部の指導を行い、前日は学校祭の準備のために学校に残り、前夜は「学校祭の警備」ということで、学校に泊まり込んでいたのです。

 鳥居先生の時間外勤務は、倒れる前一ヶ月においては学校が認定したものでさえ119時間に及んでいました。それは、8月20日から9月13日にかけてのもので、いわゆる「夏休み」期間ということになります。その夏休みでさえ、時間外の勤務が100時間を超えていたのです。しかし、それは、朝練の準備時間や部活指導後の教材研究、学校祭の準備などの時間を除いたものです。また、休憩時間は全く考慮されていないものです。そして、前夜は「夜警」として校長室に泊まり込み、気の休まることさえなかったのです。

 地方公務員災害補償基金愛知県支部審査会は「公務外の災害」と不当な「認定」!

早朝から深夜のおよぶ長時間勤務の中で倒れた鳥居先生の病名は、「脳内血腫・左片麻痺」というものでした。勤務中に倒れ「せめて公務災害の認定を」との鳥居先生の願いに対して、審査会は「公務災害」を認めませんでした。その根拠は、「@通常の勤務と比較して特別なトラブルはなかったから、特に過重な業務に従事したものとは言えない。Aもやもや病があった。」というものでした。

「県審査会」は、「直前の残業が40時間以上あるという状況であり…時間的にはかなり過重な状況であったといえる。」と認めながら、「しかし、公務が関係ないとは言えないが、もやもや病、高血圧という危険因子もあり、いつ発症してもおかしくない状況であったと考えられる。」と、「病気のせい」にして、公務災害を認めなかったものであり、全く不当なものです。

 学校で倒れた鳥居先生は明らかに公務災害。公務災害をぜひ認めさせましょう!

 鳥居先生は、1999年石巻中学に異動してすぐに陸上部の顧問になりました。石巻中学は、鳥居先生が顧問になって翌年、駅伝県大会で優勝し、当時は3年連続の全国大会出場を目ざしていたのです。そのために、夏季休業中でも休みを返上して陸上部顧問として連日部活動に邁進していたのです。陸上部の練習のため、朝は7時前から登校し、夕練が終わるのは18時30分です。生徒を帰し、休む間もなく、学校の事務処理や教材研究に追われていたのです。また、生徒指導主事として、「全ての生徒が個性を生かした自己実現ができるように、自己指導力を育てる」ことを目標に、全教員の共通理解をはかるために責任を果たしてきたのです。

子どもが大好きで、一生懸命向かい合ってきた鳥居先生は、現在左上下肢麻痺で身体障害者1級、高次脳機能障害となり、日常生活も非常に厳しい条件下にいます。

「学校で、子どもらの指導中に倒れて、なぜ公務災害じゃあないんだ。」と怒りの声が上がっています。現在、中央審査会で再審中ですが、ぜひ鳥居先生の公務災害認定を勝ち取りたいと思います。「私は、絶対公務災害だ。」と、鳥居先生は退職金を受け取らず、不自由な体をおして「公務災害認定」を勝ち取ることを心の支えにしています。「これは、明日の自分だ。何としても公務災害認定を認めさせなくては。」と、教職員の間にも「公務災害を認めよ!」という声が広まっています。

 皆様のご支援をお願いします。

「母として思うこと」より   鳥居愛子

息子が学校で倒れたという連絡をもらった時、「ああ、心配していたことが現実になってしまった」と思わずつぶやいてしまいました。朝早くから出かけて夜遅くなってからの帰宅で、身体のことを心配していても、なかなか話し合う機会もありませんでした。

 倒れる1週間前のこと「学校祭が終わるまで帰宅が遅くなるから先に寝ているように」と言われておりました。それでも私としては「無事に帰ってくるだろうか」と心配で、帰ってきたのを確かめて眠りについておりました。夏の暑い時期にも関わらず学校から帰っても風呂にも入らず、倒れるように寝てしまうことも何度かありました。翌日、疲れた顔で慌しく出かける姿を見るのはつらかったです。とりわけ陸上部の顧問として3年間連続全国大会出場という任務の上に前年度は進路指導主事、倒れた年は生徒指導主事と気の休まる時は無かったのではと思います。

 7月上旬の市内大会から始まって、東三大会、県大会と次々と勝ち進む中、生徒と一緒に現地まで行きコースの確認などをしているようでした。夏休みどころではなかったと思います。

 現在、息子は1人で暮らしています。私も73歳になり、息子が高次脳機能障害からくる神経の高ぶりに私自身が体調を崩し同居できる状態でなくなってしまったからです。離れていても気の休まる時はありません。電話が鳴れば「何かあったのでは」と胸が痛くなります。教師として一生懸命に働いてきた息子にせめて「公務災害を認めてやってほしい」と切に願っています。

O 「鳥居建仁先生の労災認定を求める会」
(略称「鳥居労災の会」)

・顧   問

 ・世 話 人・よびかけ人(個人および団体)

                 (略)

 ※多数およせいただいていますが、HP上は略させていただきます。

      (賛同者を追加する欄)

 ○ 事務局連絡先 〒440−0834

           豊橋市飯村町字東川17−2       杉林信由紀

           п@0532−26−2166(FAX同じ)     

           Eメール sizen-donya@sunny.ne.jp

 ○ ホームページ掲載アドレス

申し込み書

 ○ 賛同していただける方は、以下の用紙に記入しお渡し下さい。

  ・「会」(準)のニュースやお知らせをお配りします。

 

 

「鳥居建仁先生の労災認定を求める会」

への支持・協力・参加の申し込み

 

 

 

住  所

連絡先

 

 TEL (       )    −      

 職 業(よろしければ)

 

O 支持・協力・参加をいただける方は、下記に○をお願いいたします。

  ・会費(個人年会費 000円、団体年会費 000円)を納めます。

   ※会員になっていただいた方には、「会報」や資料をお送りします。

  ・例会、学習会に参加し、会員を増やします。・裁判等を傍聴します。

  ・カンパをします。   ・資料を普及します。

  ・審理に必要な資料を提供したり、証言したりします。

 

○ 学校が提出した「鳥居先生の時間外勤務の状況」

 全国のみなさまへ

 鳥居先生は、倒れた後、重い障害を負われ、不自由な生活を強いられています。
 そして、その後「分限免職」などという理不尽な措置を受けました。
 「ぼくは、公務災害です。」
 それが、鳥居先生の思いです。
 こどもらのために全身全霊をなげうって得たものが「免職」だとは。
 そして、退職金を受け取ることはしませんでした。
 一刻も早く労災認定を認めさせ、かなうことならば、今一度子どもらの前に立てたなら。
 鳥居先生の労災認定を求める取り組みは、始まったばかりです。
 会員になってください。
 カンパをお寄せ下さい。
 必ず認定を認めさせる日まで、私たちはあきらめません。

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3月30日、鳥居労災の会は総会を開き、正式に「鳥居建仁先生の労災認定を求める会」となりました。

3月30日、「鳥居労災の会」(準)は、総会を開き、正式に「鳥居先生の労災認定を求める会」(略称「鳥居労災の会」)となりました。
 その後、文部科学省への直接の話し合いや、豊橋市教委訪問、会員の組織化と中央審査会への要請署名に取り組んでいます。

現在、会員300名に! 呼びかけ人も増えています。

○中央審査会への要請署名にご協力を!
 
 ・署名の訴え   ・署名用紙
 ※全国からのたくさんの署名ありがとうございました。
   
                            審査会への署名は終わっています。

 ○中央審査会が非道な対応!

中央審査会は、不当にも「却下」の決定を行いました。それは、6月のことだったようですが、その後中央審査会を訪問した杉林さんらにも何も言わず、「審査中です。」と嘘を付き、なんと!7月になってから(1月もかかって)文書を一方的に送りつけるというひどいやり方でした。
 

○全国から多くの署名が寄せられました!ありがとうございました!
  2008年12月2日 提訴しました。いよいよ裁判闘争開始です!

 上記のようなひどい対応を中央審査会は行いましたが、この間全国からたくさんの署名が寄せられました。ありがとうございました。
 
そして、11月22日に豊橋で、会場を満員にして集会が持たれました。
 12月2日には、提訴。いよいよ裁判闘争の開始です。 


 
現在、会員は300名を超えるところまできていますが、さらに大きなご支援を。

 

11月22日の集会

 会場には入りきれないほどの多くの参加が。京都からは労災認定で勝訴された荻野さんがかけつけ、鳥居建仁先生ご自身も不自由な体をおして参加。父母・教え子のみなさんも、かけつけてくださいました。

名古屋地裁へ署名を!

名古屋地裁で裁判が始まりました。裁判所は教育現場の膨大な長時間勤務の実態や、鳥居先生が月130時間以上の時間外労働を行い、文字通り「寝食をなげうって部活や教育活動に邁進したことは、なかなか理解されない恐れがあります。
皆様方の署名をたくさん届け、公正な判断を求めていきましょう。
※裁判所への署名用紙を添付します。(下記に掲載します。ご活用を。)

 平成20年(行ウ)第101号  公務外認定処分取消請求事件

名古屋地方裁判所 民事第1部  御中

 

 鳥居建仁先生の公務災害認定を求める要請書

原告の鳥居建仁先生は20029月13日、愛知県豊橋市石巻中学校の体育館で学校祭の最中に脳内出血で倒れました。生徒指導主事、陸上部顧問として朝は7時頃から夜は8時や9時までの勤務が続く毎日でした。前夜は学校祭の準備と夜警のために学校に泊まり込み、校長室のソファーで電灯をつけたまま仮眠し、翌日はそのまま学校祭を迎え、ユニホックの模範試合の最中に倒れたものです。一命は取りとめたものの身体障害1級、高次脳機能障害となり分限免職となりました。公務災害の申請をしましたが認められませんでした。それは、全生活をかけて教育活動に邁進してきたこと全てが否定されたも同然でした。鳥居先生は「僕は公務災害だ。」と、退職金受け取りを拒否し、公務災害認定と教育現場への復帰をのみを思い、不自由な生活を送っています。

 労働基準法では、労使協定を締結した場合の時間外労働の基準の上限は1週間で15時間、1ヶ月間で45時間、3ヶ月間で120時間と定めています。ところが鳥居先生は発症前1週間の時間外勤務は44時間45分、1ヶ月では128時間50分、3ヶ月では345時間50分になります。鳥居先生の時間外労働は、労働基準法、厚労省通達の通常の基準をはるかに超えています。審査会は「直前1週間は残業が40時間以上ある」ことを認めていながらも公務は過重ではなかったと申請を棄却しました。

厚労省通達は恒常的な長時間労働等の負荷が長期間に渡った場合には「疲労の蓄積」が生じ、これが血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ、その結果、脳・心臓疾患を発症させることがあるとしています。教職員が長時間過密労働に追われていては、自らのいのちと健康を守ることも、子どもたちにより良い教育環境をつくることも出来ません。

この裁判を通して貴裁判所が公正な判断を行い鳥居先生の「公務外」認定処分を取り消していただきますようお願い致します。

氏   名

住           所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

















連絡先 〒
440-0836 
 

豊橋市飯村町字東川17-2 杉林方 鳥居建仁先生の公務災害認定を求める会

                                  電話・FAX 0532-26-2166

鳥居裁判署名用紙

(署名用紙は下記に掲載)

鳥居労災裁判署名(WARD版)
  
鳥居労災裁判署名(PDF版)003toriirousaisaibansyomei.pdf へのリンク

○静岡・尾崎裁判の記録より
 1 「尾崎裁判・東京高裁判決」より
(PDF版)

 
 
最高裁でも勝利しました! ご支援の感謝と報告」(PDF版)