10回目 長尾寺、大窪寺お参りし、高松へ

2001/04/30〜2001/05/02

四国遍路八十八カ所へ  2001/05/05 作成


第1日目 2001/04/30

 

 1999/11/23、雨のため、女体山越えを諦めて、国道ルートで88番大窪寺へ向かった。それでも、11時には、大窪寺に着いていたと思う。そして、次の日の大阪峠越えが控えていたので、急いで、白鳥町の温泉に向かったのだった。

 今回は、その女体山越えへの挑戦です。2000年中に行う予定が延びてしまった。

 10時、高松着。今日は、長尾寺をお参りして、長尾で1泊の予定。時間が少しあるので、高松の町を歩いて、栗林公園をしっかり見るつもりである。

 JR駅から琴平電鉄の方向に歩き、遍路道に出る。ほとんど、覚えがない。讃岐別院ははっきり覚えている。あの時は、琴平電鉄の駅も確認した覚えがない。だだ、歩くだけで、前へ進むだけで、あたりを確認する余裕も無かったと思える。

 今日は、たっぷりと時間があることもあり、また、2回目でもあり、余裕を持って歩くことができた。予定通り女体山を越えられれば、明日の宿は、この付近と思い、いくつかの宿の外観の確認を行う。予約は、何時も通りの当日昼頃にしよう。

 北から南に歩く。逆打ちの方向である。例の遍路印はほとんど目に入らない。たびたび振り返ってようやく1つ見つける程度である。

 逆打ちは、よく道に迷うだろうと思った。サラリーマンを辞めた時に予定している。体力を保持するよう、それまで頑張っていこう。

 セルフサービスのうどん屋があり、客がぞろぞろ入って行くので付いて入ることにした。1杯160円、大盛り270円、薬味、汁は、自分で掛ける。うどんの腰がしっかりしていてうまかった。安いのに驚く。駅では、かけ300円ぐらいの値が付いていたように思った。

 栗林公園に入る。小雨の天気、止みそうもない。

 松の手入れが、見事なものです。相当数の手を入れているのだろう。それにしても、すみからすみまで、ぴっちりしている。プロの庭です。雨降りのためか、お客は少なかった。先回は南コースのみだったが、今日は北コースも含め、ゆっくり園内を見て回る。讃岐民芸館を覗く。商工奨励館、特産品売り場もゆっくり見て廻る。

 琴電瓦町駅で電車に乗る。瓦町駅は琴平、八島、港へ行くターミナル駅だった。「琴平そごう」の大きな建物に駅があった。そごうは店を閉めていた。

 45分位で、長尾駅に着く。途中、お客の出入りがあり、高松の人たちは、電車をよく利用しているのだなと感じた。

 長尾寺をお参り。お寺さんは、大体、正確に覚えている。本堂、大師堂をお参り。記帳してもらう。朱の印のみ二つづつ、並べて押してもらう。

 4時、宿着。先回とは、異なる宿にした。

 風呂に入り、6時夕食。食堂での会食。いつもの遍路宿の様子になる。10人位の客がいた。

 2,3人の人は2,3日前から、同じ宿どまりの様子。夫婦連れが2組いた。若い娘が1人。いつもの遍路宿の様子。出身地から、明日の予定の話でいっぱいとなる。

 満願まで、あと1つの気分が満ちている。私も、このようであったはずだ、とか思った。

 埼玉熊谷の娘さん、お金が無いので、安上がりの旅。昨日は、初めて四国入りして、善通寺をお参りして、駅で寝た。寝袋で寝たとの事。なかなかの若い人だ。明日は、お遍路の終わりと始めの88番と1番を廻るとの事。

 なぜ、遍路するかと尋ねられる。素直に歩くためと返事する。先回歩いた時は、その様に尋ねられたら、どう返事しようかとあれこれ考え、格好よく答えたことを思い出した。

 夫婦連れのお遍路さんが2組いた。87番まで、喧嘩別れしないで、よく一緒に廻る事が出来たと感心する。その理由を聞きたかったが、席が離れていて聞き損なった。

 

第2日目 2001/05/01

 

 朝飯のお握りを食べて、6時出発。高松の町の中は、遍路道を思い出せなかったが、ここは覚えがあった。途切れることの無い、ゆるい上り坂。1時間弱で、前山ダム着。先回、ここで、山越えを諦めた。

 昨夜の娘さんが、追い抜いて行く。声を掛けたが、そっけない返事。多分、夕食のおじさん(おじいさん?)とは思わなかったんだろう。それは、早い足だった。とても付いて行けないと諦める。

 来栖(くるす?)、譲波(ゆずりは)と言う土地を行く。この山の奥まで舗装してあると思いながら道を登る。譲波で、いよいよ山道。追い抜く人なし。行き逢う人なしである。山道と林道を登る。譲波標高250m、女体山772m、を登る。

 女体山の位置が、遍路地図と5万分の1地図と異なる。譲波からの道から見ると、5万分の1地図の方が正しいように思うが、大窪寺に下る道から見ると、遍路地図の方が正しいように思える。標高も、現地772m、5万分の1地図761.8m。

 道は、なかなか険しく、女体山頂上辺りは、鉄棒の手すりがあった。頂上に、祠。休憩所あり。

 一服していると、軽装のおじさん夫婦が登ってきた。すぐ下に駐車場があるとの事。ここ2,3年で携帯電話が、山の中でも通ずるようになったとの事。早速、携帯を出すと3本柱が立っている。大窪寺でもOKとの事。

 いよいよ、大窪寺へ下る。2,3分で駐車場。先ほどの夫婦連れと、お別れの挨拶して、山道へ。相変わらず行き逢う人なし。

 奥の院に寄る。登ってくる数人の人に会う。奥の院まで、800mの表示に従ってきたが、未だ着かない。あとどの位との事。降りるのも、1段ずつ足を揃えて降りる。急な坂である。道はよく手入れしてある。地元の方に感謝。

 11時、大窪寺着。人が少なかった。先回は11月末で、人が多かった。ゆっくりお参り。記帳をしてもらう。逆打ちの仕方を聞いてみた。

 うるう年にやる人が多い。しかし、こだわる事はない。88番から始めればよいとの事。

 昨夜の同宿の人に会う。6時半に出た。途中、追い越されなかった。出発、30分、到着10分の差。昨夜の娘の話になった時、地元の人が、10時頃、お参りしていたよと教えてくれた。私と1時間の差。私の足も、まあまあかなと思う。

 11時半、携帯電話を見ると、圏外と表示。公衆電話を探しながら、長尾に降る。1時間待てば、バスがあるが、歩くことにする。国道を行く。先回、歩いた道である。

 少し降った所に、食堂があったはずと思い降るがない。よく考えると、食堂のある場所は、66番雲辺寺に登る国道だった。両方とも、雨だったので、混乱したらしい。1時頃、竹屋敷で昼食。公衆電話を見付け、宿の予約をする。

 土地の字名が、実によい。昔が詰まった名前と思う。都会は、不便だからと言って土地の名前を変えてしまっている。

 相草から前山まで、旧の遍路道があるとの事でしたが、相草の入り口が判らなかった。前山は、例の案内札あり。やはり、逆打ちは大変そうだと思う。

 長尾から大窪寺往復、約30kmを歩く。山が急だったことを思えば、40km位になる。まだまだ歩ける。しかし、2,3日内に足が痛くなるだろうとも思う。

 ようやく、1998年4月から始めた、お遍路の予定をすべてやり終えた。次は、サラリーマンを辞めた時、通しの逆打ちをするつもり。それまで足を維持して、命を維持して、また来ようと思う。

 四国の皆さんには、すっかりお世話になり、本当にありがとうございました。草刈の奉仕も予定したが、その様な行事はあまりないように見受けましたので、インターネットなどで、次の機会を見付けようと思っています。

 4時、長尾着。

 

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