3回目 第24番最御崎寺から第33番雪渓寺まで 1998/09/14〜1998/09/23 四国遍路八十八カ所へ 次へ 1999/03/31 作成 第1日目 1998/09/14
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6時49分のいつものひかりに乗りました。いつも、ガラガラの自由席が一杯です。単身赴任のお父さん達です。多分、毎週、ほとんど同じ席に座り、居眠りし、廻りの人とも挨拶はしないが、見慣れた顔に囲まれた月曜日の出勤風景。私もそのような時期がありました。
空いた席が一つ、二つあり、座ることは出来ました。ついつい、みなさんの居眠りしている顔をじろじろ見てしまいました。みんな、ばりばり仕事をしているいい顔でした。新大阪で降り、神戸へ。実は、新神戸まで行くと、特急料金が高くなるため、節約のためです。 ところで、我が社は、不景気で、14日、18日が休業日となり、急遽出発することにしました。神戸からの高速バスも混んでいるかと心配でしたが、楽に座れました。徳島から甲浦まで鉄道で。甲浦で降りたのは、私1人でした。15時過ぎでした。 阿佐鉄道とは、阿波土佐の意味ですね。気が付きませんでした。 少し歩いて野根泊。これから先は、「淀ヶ磯」四里の難所になります。オランダの人と同宿でした。遍路の事、相撲の事、鮎釣りの事、野根川は鮎釣りのメッカとの事など、いろいろ話をしました。遍路は4回目で、今回は番外霊場をすべて廻るとの事。実に詳しい。いろいろ教えて貰った。明日は、室戸までの予定との事、私は、途中、もう一泊して室戸へ。 頭を丸めていたが、大学の先生かなと言う感じでした。なぜ、遍路しているかと尋ねられたらどうしよう!。 そのような問い掛けはありませんでした。宿のおかみさんとも懇意でした。 |
第2日目 1998/09/15
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オランダの人が、正式の白装束で、先にスタートしました。少し遅れて6時30分出発。雨が降り始めた。これから、「淀ヶ磯」4里です。
聞いていた通りの、海と空と山と一本の道路の連続、家は1軒もない。時々強い雨、海は大きな波ですが、擁壁で高上げされた立派な道路と、時々、車が通るので、1人で歩いていても救われる思いです。昔は、「ゴロゴロ石」と「飛び石、跳ね石」の凄い所で、孤独と不安な気持ちで、しかも危険と隣り合わせで苦労したんだろうと思う。目の先には、次から次へと新しい御崎が見えますが、きりがない。此の道はどこまで続くのだろうと思う。とにかく人家のあるところまでと先を急いだ。 |
途中に、佛海庵、佛海上人のお墓がありました。道を整備して、遍路を助けて、よく勤められた方のようです。凄い人が居たんですね。 お大師さんも若いとき、多分、山の獣道を通って、時々、海に降りて、室戸まで、行かれたのだろうと思いながら歩いた。 |
佐喜浜で土砂降りにあう。バケツをひっくり返したような雨でした。30分ほど雨宿りして食堂に飛び込み昼食。おかみさんが、これから先は楽ですよ。と教えてくれました。 雨と風で涼しく、歩きは、極めて楽。予定より、歩けそうです。朝日の見える宿に泊まろう。今夜の泊は、予定より、少し先のドライブインと決めた。 |
第3日目 1998/09/16
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5時30分起床。晴れている。波は、まだ大きい。6時30分まで、日の出を見ていた。太陽の登る早さは随分早いものだなと感心する。日の入りの太陽は、大きく見えるが、日の出は、小さかった。日の出を始めてみたような気がしました。 8時出発。室戸岬まで、7km。風力発電の風車が見える。昨日も見えていた。いい目標になる。歩きが、早くなる。 |
弘法大師行水の池を見ながら波打ち際を通って、お大師さんが修行した洞へ。洞の中からは海と空しか見えない。それにしても、海から随分高い所にあるですね。昔からの遍路道を登る。急な登り道。久しぶりの登り道。途中、捻り岩を覗き見る。大師さんの立ち像のある総門に着く。大きく頭を下げ一礼する。自然に頭が下がる思いです。 23番薬王寺を立って、途中で挫折して、今回、改めて歩き出して、2泊して延べ4日目で、ようやく、24番最御崎寺に着く。何となく、嬉しい。ゆっくり、般若心経をあげ、本堂、大師堂をお参りして、記帳。ゆっくり休憩。実に気分がよい。ただし、お参りの人が極めて少ない。 |
室戸灯台を見て、遍路道を下り、元の道路に戻る。若い時、四国一周をしましたが、何も思い出せません。遊歩道が整備され歩き易い。今回は、マメ防止を兼ねて、ゆっくり行程で、計画。その上、 今日は、室戸岬をじっくり見たいので、なお、ゆっくりの行程です。 御崎の食堂が閉まっている。遍路地図で、ようやく見つけ、少し歩いて昼飯。次のお寺さんへ出発。天気が良く、暑い。濡れなくて良いが、暑い。雨の方が良いな。と思いながら歩いた。ゆっくり行程も良いものです。 |
25番津照寺到着。お参りを済ます。15時。今日は、ここ室津に泊まる。 地元の人達が港で釣りをしていた。クロダイが釣れている。台風で、海が荒れ、水が濁り、喰いが良いのだそうです。港のコンクリートに寝ころんで、1時間見学。その間に、5,6匹釣れた。お遍路や、釣りの話をする。 宿から、西の海に沈む日の入りをじっくりと見る。なかなか良いものです。日の出、日の入りをじっくり見るなんて事は、始めてのような気がする。 |
第4日目 1998/09/17
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6時30分出発。まだ、波は大きい。足のマメは大丈夫だ。天気は良いし、よく歩けそうだ。山の車道を登る。時々、タクシーや乗用車が追い抜いて行く。途中から昔の歩く山道に入る。しばらく登ると突然、車道に出た。目の前に長い階段が見えた。8時前に26番金剛頂寺に着く。いつもの通りのお参りして、納経所で記帳して貰い、一服する。
納経帳をよく見ると、お寺の名前が”西寺”と読める。25番が”津寺”、24番が”東寺”と読める。お寺の位置、港などで、なるほど、と思った。こんな事に頭が働くとは、少し、余裕を持って歩いているんだなと思う。 次の神峯寺への道が判りかねたので、納経所で聞く。階段の前の山道を下れとのこと。元へ戻ってしまうと言うと、それで良いのだ、とのこと。半信半疑で階段を下りる。5万分の1地図を眺めて、覚悟を決めて指示された反対へ歩き始めた。例のお遍路マークがあった。道は、畦道のように狭く、少々心細い。時々、地図と磁石で方向確認。 しかし、お遍路マークが正確に案内してくれる。30分程で国道に出た。道の駅「キラメッセ室戸」で一服。 |
吉良川の古い瓦を埋め込んだ白壁の商家のある町並みを見ながら、黙々と歩く。羽根の町で、おばあさんに呼び止めら、足を止める。お布施をしたいと言われる。有り難く頂戴する。どこから来たか、どこで泊まったか、これからどこまで行くか、いろいろ質問あり。落ち着いて、要領よく、返事が出来た。別れる時、合掌される。これは、少々、小恥ずかしい。 中山越えにしようか、海岸を行こうか、迷う。今日は、調子がよい。中山越えと決める。 お遍路さん、お遍路さんと呼びかけられる。自分が呼び止められたか、一瞬、廻りを見渡す。相手が判らない。また、呼ぶ。家の中からである。 中へ入れと言われる。入ると、私と同年輩の男の人がベットに腰掛けていた。体を壊し、歩けない。いつも、お遍路さんを待っているとのこと。足音、杖、鈴音でだいたい判る。それで声をかけたとのこと。 自分も遍路をしたいが出来ない。それで呼止めた。体を壊した理由など、いろいろ、話をしてくれた。本気でお遍路さんに頼み込んでいる気持ちが、ひしひしと感じられる。お布施、1円50枚のものを2つ貰う。お札を渡す。 思いも寄らないことで期待をされている事、自分一人の遍路ではない事を知る。この様な体験も、お遍路だから、と思った。 今日は、奈半利に泊まる。 |
第5日目 1998/09/18
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雨が降りそうだ。27番神峯寺を目指す。田野町で、旧道へ入る所を間違えたが直ぐに気付き修正。 神峯寺への登り口に到着。4kmの登り。頑張ろう。タクシーのお遍路さんが行く。雨が降り出す。雨は台風の雨だ。強い雨が時々降る。雨宿りしながら登る。 1時間半で、お寺の駐車場着。一服して、最後の道を上がる。きれいな清水が湧き出ている。喉を潤す。本堂へは、階段150段。いつものお勤めをして、納経帳をお願いする。 納経所の人が、お茶を用意するから、少し待て、と言われる。間もなく、お茶と饅頭を持ってきてくれる。遠慮なく、いただく。他にも、お遍路さんがいたが、私だけである。どうも、歩き遍路に、接待してくれているようだ。 お礼を言って、下山し始める。相変わらず、強い雨が降る。登り口まで下る。歩きのお遍路さんに会うかと期待したが、往復とも、1人も会わず。 登る時は、気付かなかったが、レールのない鉄道の高架がある。徳島側の 今夜は、安芸で泊まる。宿の予約は、朝、電話するつもりであったが、どうしても、その日の様子を見てからになってしまい、昼になる。 気候の良い時期は、早めに予約する方が良さそうだ。 宿へ着いて、びしょぬれのズボンなど、直ぐに、洗濯。予備のズボンを持っていないので、少し、困る。これから、軽いズボンを持ってこようと思う。 |
第6日目 1998/09/19
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昨夜の泊は、私1人であった。8時30分出発。今日は、歩きだけ。ゆっくり行こう。安芸の町を外れると、自転車道が遍路道になっている。自動車なしで安心ですが、目標がなく、どこをあるているか判らなくなる。食事処にも、注意が必要だ。時々、国道へ出て、確認。
坂本龍馬のお龍君枝姉妹の銅像があった。立派なプールもあり、沢山の人達が泳いでいた。芸西村だったかな。後で、地図を見ても、どのあたりか判りかねた。地図に、忘れずに印付けをしよう。付けるつもりが、時々、忘れる。 雨は、時々、少しあり。 野市町で泊まる。足の指先に小さいマメが出来た。風呂に入った後、丁寧に、治療。 |
第7日目 1998/09/20
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6時30分出発。宿のおかみさんが、手を合わせ、送ってくれる。足のマメは、大丈夫。足取り快調。時々、小雨。 途中、龍馬歴史館があった。朝早いので素通り。28番大日寺に着く。 29番へ向かう。 田圃の中で、遍路無料接待所の前を通る。だれも見えなかった。汽笛が聞こえる。久しぶりの鉄道だ。 |
29番国分寺に着く。バス、乗用車、歩き遍路、誰もいない。ゆっくりお参り、納経をすます。 田圃の中の遍路道を行くが、結局、国道へ。時々、土砂降りの雨。高知医大を通過。雨を避けるように昼食をとる。 |
30番善楽寺の手前で道に迷う。どうも、行き過ぎたなと思った時は、神社の鳥居前に来ていた。少し、戻って、お参りを済ます。このお寺さんで、車で来ているらしい数人のお遍路さんと会った。
今日の泊は、サンピア高知。厚生年金の施設とのこと。久しぶりに、大きい風呂に入った。 |
第8日目 1998/09/21
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雨は上がった。大きな台風が来そうですが、後1泊する事に決める。
31番竹林寺へ向かう。歩き道を行くことにする。山への登り口で迷うが、直ぐ、遍路道へ。遍路マークで助かる。いつの間にか、植物園の中に入っていた。切符切の入り口が有ったが、黙って通してくれた。出たら、31番竹林寺だった。また、雨が降り出した。般若心経を唱え、賽銭、札を納め、納経帳に記帳。 32番に向かう。また、迷う。今度は、道路工事で遍路マークが動いていたためらしい。今日は、よく迷う。遍路地図にある食堂に着いてみると、本日休業の看板。今日は、昼飯抜きかな。 |
32番禅師峯寺へは、歩き道を登る。車のお遍路さんと会う。納経を済ませ、同じ遍路道を下る。種崎方面へ向かう。途中、パンと牛乳を買う。食べながら歩く。 強い風を伴った雨が、時々、降る。種崎の渡しを渡りたかったが、風が出てきたので止め、浦戸大橋を通って、国民宿舎桂浜荘に向かう。二日続けて大きい風呂に入る。少し贅沢した。 |
第9日目 1998/09/22
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6時に桂浜へ下りてみた。風が強く、雨も強い。TVが桂浜の大波を背景にして台風の取材をしていた。 後1泊の判断は間違えたようだ。今日は、33番をお参りして早めに引き上げよう。 33番へ向かう。また、道を間違える。工場団地の中へ入ってしまった。引き返したら、今度は、国道に出てしまった。 |
33番雪蹊寺をお参り、記帳する。お寺のおばあさんと話をする。今日は、まだ、10人にならない。いままで、1人もない日が2日あった。やはり台風で、水が溢れ、ボートを出した時だとのこと。また、台風でも、雨でも、女の人は、平気でお参りする。男は、すぐ、止める。と言っていた。 高知駅へ行くバスに乗る。はりまや橋で下りる。小さい、赤い欄干の橋があった。車道にも欄干はあったが、川は見えなかった。 風は、ますます激しくなるが、列車は動いているようだ。切符を買って、特急に乗り込む。倒木で、一時、出発見合わせ、と車内放送有り。パンと牛乳を買い、昼食を済ます。 今夜の夜行バスで帰ることにする。切符は、すぐに手に入った。 |
第10日目 1998/09/22〜23
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初めて、時間を持て余した。実に長い。本を読んでも、時間は過ぎない。それで、映画館に入ることにした。映画を見終わって外へ出ると、風雨は止み、道路も乾き始めている。食事して、バスを待つ。
夜行バスは、初めてである。8時10分出発。乗客は10人程であったが、やはり、狭く、窮屈だった。バスは何回か、休憩を取りながら、5時半、名古屋着だった。バスが休憩で、止まっている時、2回ほど、目が覚めた。しかし、不思議な位、よく眠れた。 先回は、マメにやられたので、今回は、無理をせずに、ゆっくり予定し、変更無しで、33番雪蹊寺まで、歩いてきました。 台風が来ても、予定変更無し。マメは、酷く成らなかった。少し痛いが、治りかけている。 予想外に、お遍路さんとの出会いは、少なかったが、お遍路を待っている人が居る事を知った。 雨と風で、歩きは楽でした。夏のあの暑さも少しだけあったが、楽に歩けて嬉しかった。ただし、毎日、洗濯が必要。冬に、これだけの雨に当たったらば、参ってしまう、良い雨具を用意しよう。軽い替えズボンを用意しよう。 台風5,6,7,8号と付き合ってきました。 荷物を少しでも、軽くして、歩く負担を少なくするよう工夫しています。今回はこれも利いたようだ。 今回は、7kg位でしたが、本など、”紙”をなお、少なく出来そうです。冬は、着る物が増えそうです。 |
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