a 第1日目 2009/10/04 (日) 経路 −自宅−名古屋駅(鉄道)−紀伊勝浦駅(バス)−熊野那智大社−1番・青岸渡寺−那智の滝(バス)−補陀洛山寺− 勝浦泊 歩き距離 12.7千歩 8.3km 地図上距離 9km 出発 6時 到着 16時 晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 勝浦シティプラザリゾートホテル 泊まりのお遍路 0人
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JR紀勢線南紀1号で、那智へ。 自由席は、人でいっぱい。鈴鹿サーキットでレースがあるんだそうだ。 外国の若い人が、席を譲ってくれた。ちょっと前までは、結構です、と断っていたが、今はありがたくお礼を言えるようになっている。 今日は日曜日だったが、鈴鹿を過ぎれば、ガラガラになった。 |
11:30 紀伊勝浦駅。 昼食は 、駅前で中華料理。 JR紀伊勝浦駅〜熊野那智大社 バス使用。大門坂で下りて、坂登することに気がつかなかった。下りを歩くことにする。 |
宿探し。 駅を降りてすぐ、観光案内所を訪ねた。那智大社周辺の宿は、すべて断られたので、宿探し。 那智駅の周辺もやっていないだろうという。結局、紀伊勝浦駅近くのビジネスに決めた。リュックを預け、那智大社、岸渡寺お参りに出かけることにした。 先の思いやられるスタートとなる。 |
熊野那智大社への登り口。バス停からすぐに階段の参道。 |
実方院
跡。那智山の宿坊。上皇や法皇の熊野参詣の際に、御宿所として利用されていたといわれる史跡。 ほかに那智山の尊勝院と浜の宮の廊之坊があり、那智三大宿坊という 。尊勝院に泊まるつもりでしたが、満員で断られた。 |
13:30
熊野那智大社お参り。 那智の滝。 |
第一番 天台宗 那智山岸渡寺(なちさんせいがんとじ) 如意輪観世音菩薩 お参り。 熊野那智大社の隣にあり。参道を素直に上がると、大社に出てしまう。先回 は、下の息子と車だったが、熊野大社だけだった。 |
熊野那智大社の歌碑。 普陀洛や 岸打つ波は三熊野の 那智の御山にひびく滝津瀬(たきつせ) 岸渡寺のご詠歌。 こちらは、読めない。 |
14:20
大門坂。 この坂は下った。 敷石の坂。267段、600mの坂。 |
多富気 (たふけ)王子跡 。大門坂の途中にあり。 |
大門坂の登り口。左が旧道。 夫婦杉。
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15:20
浜の宮(はまのみや)王子跡。 神社があるが、熊野三所大神社となっている。 この森は、渚の森。歌枕だった。 |
王子とは、熊野古道沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた熊野修験の手で急速に組織された一群の神社をいい、参詣者の守護が祈願された。 したがって、その分布は紀伊路・中辺路の沿道に限られる。 九十九王子(くじゅうくおうじ)という。若干数の近世以降の比較的新しい王子を含めて、101社。 |
補陀洛山寺
(ふだらくさんじ) お参り。
こちらも、神社の際にあった。 坊さんが、この船に乗り、南海の観音浄土(補陀洛浄土)を訪ねた。 二十数回渡海したという。 |
神武天皇頓宮跡の碑。 ここは、往古神武天皇丹敷戸畔を誅し給う地なり。 丹敷戸畔(ニシキトベ)とは、日本書紀に神武天皇の東征の折の記述に登場する人物。 |
16:00 紀伊勝浦駅まで戻った。今回は、宿で苦労しそうな気がする。 |
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b 第2日目 2009/10/05 (月) 経路 −勝浦(バス)−熊野那智大社−舟見茶屋−舟見峠870m−地蔵茶屋−石倉峠800m−越前峠870m−円座石−小口−熊野川温泉泊− 歩き距離 23.5千歩 15.3km 地図上距離 15km 出発 6時半 到着 18時 曇りのち雨 すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 熊野川温泉さつき 泊まりのお遍路 0人
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6:30
熊野那智大社まで、1番バスに乗る。客は1人。 紀伊勝浦駅前に、「秋刀魚の歌 あはれ秋風よ 情 ( こころ ) あらば伝へてよ ・・・」の歌碑。 「佐藤春夫記念館」が、新宮の熊野速水大社の近くにある。 |
7:30
青岸渡寺から、那智の滝方向に行った所、左に登り口あり。 気を引き締めて、登る。 |
世界文化遺産の看板。 英語の文字もあり。外国人が多そうだ。 |
二の滝、三の滝の 看板。 |
8:10
広場あり。標高500m。 昭和52年、全国植樹祭あり。 天皇の歌の歌碑。 |
大雲取越の本格的な山道に入る。 若い子が1人、追い越す。 小口泊まりという。私と同じ、宿は違う。もちろん、先に行ってもらった。 本日1日、会って話をしたのは、この1人のみだった。 |
9:15 登立 (のぼりたて)茶屋跡。 |
10:10
舟見茶屋跡。青岸渡寺から4.5km 2時間40分。 すぐ、舟見峠。標高867m。 |
林道から、右に降りる古道。 |
12:40 地蔵茶屋。標高702m。 |
集められた石碑群。 |
13:20 石倉峠。舟見茶屋跡から4.2km 2時間10分 標高805m。 紀伊のくに大雲取峯こえに一足ごとにわが汗はおつ 斎藤茂吉 |
13:30 大雲取越えの表示。 |
石倉峠と越前峠の間。歌碑。 虎杖(いたどり)のおどろが下をゆく水のたぎつ速瀬をむすびてのみつ 長塚節 |
14:20
越前峠。石倉峠から1km 1時間 標高870m。 歌碑。 輿の中海の如しと嘆きたり石を踏む丁(よぼろ)のことは伝へず 土屋文明 丁 課役に招集された人足。 |
越前峠近く。 句碑。 瑠璃鳴くや雲取山のいきいきと 池本皎月 |
15:10
胴切坂。 長い下り坂。雨が降っていなくても、滑りそうだ。 |
歌碑、句碑。 風のゆく梢の音か瀬の音か下りの道は心たのしも 土屋文明 鯉のぼり大雲取の一軒に 須川峡生 |
歌碑。 わが越ゆる大雲取の山中に円に坐す地蔵菩薩は 杉浦勝 |
17:00
円座石(わろうだいし) 雨でかすんで分からない。 わらなどで編んだ座布団のような敷物のこと。大きな石の表面の模様を仏像に見立てたもの。
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18;00 小口到着。越前峠から4.8km 3時間20分。 雨で、敷石が滑り、一歩ずつ確認して降りてきた。胴切坂近くで、リュックサックを道ばたに見たが、便所に言ったのだろうと思い降りてきた。しかし、小口まで追いついてこなかった。 後で判ったが、雨で滑り腰とあごを打ってしまい、携帯を失い、リュックをおいて山を下りたという。 小口自然の家の宿泊断られた。泊まり人が少ないためらしい。熊野川温泉を進められた。登山口までの送迎と歩く人料金でOKした。 |
熊野古道のそのほかの句碑、歌碑。 那智山青岸渡寺境内 冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ 佐藤佐太郎 那智山青岸渡寺境内 瀧落ちて群青世界とゝろけり 水原秋桜子 熊野古道 大雲取越 まさびしきものとぞ思ふたたなづく青山のまの川原を見れば 斎藤茂吉 熊野古道 小雲取越 かかなべて待つらむ母に眞熊野の羊歯のほ長を箸にきろかも 長塚節 熊野古道 小雲取越 歩まねば供養ならずとなき母がのたまいてるし雲取に来ぬ 嶋正 熊野川くだすはや瀬のみなれ棹さすがみなれぬ浪のかよい路 古今集 後鳥羽上皇 神倉神社入口すぐ 見せてやりたい神倉山のお燈まつりの男意気 野口雨情 |
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c 第3日目 2009/10/06 (火) 経路 休日 歩き距離 2千歩 1.3km 地図上距離 0km 出発 8時 到着 18時 曇り すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 熊野川温泉さつき 泊まりのお遍路 1人
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8:00
大雲取越えは、初日、雨で、すっかり疲れた。 台風は気にはなったが、休日とした。終日、部屋に籠もる。 大雲取越えで滑って怪我をした人と同宿でした。あごを打ち、食事がとれないという。 リュックは、朝、宿の親父さんが取りに行って、10時頃戻った。 リュックは持たず、タクシーで、東京に戻っていった。 大学時代は山岳部だったという。直接、話はしなかった。 |
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d 第4日目 2009/10/07 (水) 経路 −熊野川温泉(車)−熊野本宮大社(車)−川湯温泉泊− 歩き距離 1.3千歩 0.8km 地図上距離 18km 出発 9時 到着 11時 曇りのち雨 すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 川湯温泉まつや 泊まりのお遍路 0人
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宿の人が、外人さんのお客を、田辺に出ると言うことで、川湯温泉に送っていくことになった。バスを予定していたが、急遽、一緒に乗せて貰うことにした。 台風が予想されたが、熊野本宮大社まで行くことにしていた。弱い雨。小雲取越の山道は諦めた。 |
10:00 熊野本宮大社お参り。 |
社殿。 |
拝殿。 |
咲きにほふ花のけしきを見るからに神のこころぞそらにしらるる 白川上皇 はるばるとさかしき峰をわけ過ぎて音無川を今日みつるかな 後鳥羽上皇 |
熊野本宮大社の宿坊瑞鳳殿に予約してあったが、台風がきており、瑞鳳殿が水につかる恐れがあるので、温泉の宿に移ってほしいと言われ、川湯温泉に泊まることにした。安い宿をお願いした。 すぐ、迎に来た。11時、温泉のビジネスホテルに到着。 昼飯は、弁当。 夕食は、立派な旅館の食堂だった。 夕方から風が出てきた。雨はひどくない。川の水も増えていない。 |
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e 第5日目 2009/10/08 (木) 経路 台風の大水のため休日 歩き距離 4.4千歩 2.9km 地図上距離 0km 出発 7時 到着 18時 晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 川湯温泉まつや 泊まりのお遍路 0人
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台風一過。家を直撃したらしい。 宿を出て、少し位置を変えたら、ケータイが通じた。家は、ビニールが2枚飛んだが、その他被害なしとのこと。 |
12:00 瞬く間に晴れてきた。 |
川の水はすごい。夕方には引いた。 川湯温泉は、川を掘れば温泉になるという。 |
田辺行きのバス停。7本/日。 1番バスは、確認しなかったが、昼のバスは、時間通りでした。 なお、山道を行く気であり、もう、1泊する。 |
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f 第6日目 2009/10/09 (金) 経路 −川湯温泉(バス)−田辺−高山寺−南方熊楠の墓−出立王子−芳養王子−南部町植田泊− 歩き距離 19.6千歩 12.7km 地図上距離 77km 出発 9時 到着 15時 晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 国民宿舎みなべ旅館 泊まりのお遍路 0人
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熊野古道は、谷の増水と山道の土砂崩れが確認できないので、歩くのは止めた。 4日間の温泉泊まり。贅沢をしてしまった。しかし、のんびり出来た。 9時半のバスに乗った。料金2000円、2時間の中辺路(なかへち)の国道(国道311号)を行く。 20万分の1地図を持っていたので、バスの行く道を確認できた。この道に沿って歩く道がある。 途中、栗栖川(くりすがわ)で、10分の休憩あり。左に見える山の頂が熊野古道らしい。 龍神温泉、一度行ってみたいな、と思う。 |
11:30
JR田辺駅着。 歩き始める。 |
12:00
高山寺(こうざんじ) お参り。 本堂、多宝塔。 「田辺の弘法さん」と呼ばれている。 聖徳太子の開創、弘法大師の中興という真言宗の寺院。 |
高山寺貝塚。 高山寺の境内一帯に、縄文時代早期の貝塚がある。 川湯温泉で作ってもらった弁当を食べる。 |
境内に南方熊楠(みなかたくまぐす)の墓あり、お参り。 昭和天皇の歌あり。昔、進講を受けたという。 雨にけぶる神島をみて紀の国の生みし南方熊楠を思ふ |
13:00
出立(でたて)王子 お参り。 万葉集 9−1674 わが背子が使い来むかと出立のこの松原を今日か過ぎなむ 作者不詳 |
13:50 芳養(はや)王子 お参り。 |
標識の中間あたりに、「赤色の矢印のマーク」が貼り付けてある。西国巡礼路の表示
。 正確に、欲しい所に的確に表示してあり、熊野古道の山の中では、気付きませんでした。 33番華厳寺まであり、助かった。 |
14:20
国道42号から見る田辺の海岸。 国道42号:静岡県浜松から愛知県田原、伊勢湾、三重県鳥羽、紀伊半島の海岸沿いに、和歌山までの、長い国道。
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15:00 今日の泊まり、国民宿舎。 |
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g 第7日目 2009/10/10 (土) 経路 −南部町植田−三鍋王子−千里王子−千里ヶ浜−岩代王子−榎木峠100m−印南(バス)−野島−清姫草履塚−塩屋王子−塩屋町北塩谷泊− 歩き距離 38.2千歩 24.8km 地図上距離 27km 出発 8時 到着 15時 晴れ すれ違ったお遍路さん 0人 宿屋 旅館寿 泊まりのお遍路 0人
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8:00 天気よし。出発。 |
8:30 三鍋(みなべ)王子 お参り。 |
千里ヶ浜への山道に、無縁塔の石碑
と墓碑。 道路工事の都度、集めたようです。
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9:30 千里ヶ浜
。 今日、3人目の足跡をつけた。 |
9:40 千里(せんり)王子 お参り。 |
千里王子境内 花山
(かざん)院法皇御歌の碑 旅の空
夜半(よは)の煙と昇りなば海人(あま)の藻塩火(
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千里王子境内 句碑。 桜貝大宮人の踏みし浜 非文 下村非文の句かな。確認できていません。 |
千里ヶ浜のこの突き出しを向こうに行けなかった。何度も挑戦してみたが、行けない。 間違えたらしい。 地元の人に聞いた道を行ったが、大分遠回りしてしまった。 |
10:30 JR岩代(いわしろ)駅。 |
10:40
岩代王子 お参り。 駅の際、海側にある。 |
有間皇子
(ありまのみこ)結松(むすびまつ)記念碑
。 磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む 有間皇子 万葉集2ー141 家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る 有間皇子 万葉集2ー142 椎の葉に盛る 天皇の子が、死ぬかもしれない旅での歌。食べる飯ではなく、神に捧げた物らしいが、不安な気持ちがいたわしい。 |
謀反ありとして捕られた有間皇子は紀温湯(白浜町湯崎)に旅行していた斉明天皇と中大兄皇子(天智天皇)のもとに護送される途中、松の枝を引き結び、2首の歌を詠み、自分の無事を祈ったが、帰途、藤白坂で、19歳という若さで絞り首にされた。 |
11:10
榎木峠。 20人ほどの歩く人と会う。 途中、中山王子の道を間違え、1本南の道を選んでしまった。 |
JR切目 (きりめ)駅。 |
12:20 切目王子 お参り。 |
境内に歌碑。文面読めず。 揚石(力石) 神前にて、灯籠に似た石を持ち上げ、競争したと説明あり。 |
印南(いなみ)町文化協会が、創立三十五周年記念で、万葉仮名の歌碑を建てた。
殺目山(きれめやま)行きかふ道の朝霞ほのかにだにや妹に逢はざらむ 読人不知 万葉集 12-3037 |
13:00
斑鳩(いかるが)王子跡。
少し遅れだしたので、たまたま来たバスに乗る。 印南(いなみ)〜野島(のじま) 6kmほど バス使用。 |
13:40 遠くに御坊発電所。
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清姫草履塚。 清姫が安珍を追って来て、ここにあった松に登って安珍を捜した。 すでに、日高川を渡っていたので、草履を脱ぎ捨て裸足で安珍を追ったそうだ。
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一里塚跡。 江戸時代に出来たという。今は石碑のみ。旧道に1里毎にあった。 |
右に入る道が、熊野古道。今、狭くなってしまったということのようです。 |
14:20 御坊市南塩谷の祭り。 |
塩屋 (しおや)王子 お参り。 |
15:00 御坊市南塩谷に泊まるつもりだったが、祭りで断られた。 北塩屋に泊る。明日は道成寺。 |
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