10 比叡山 坂本 大比叡山 修学院

19km            1998/03/29 

低い山登り・峠越えへ


 

 JR坂本駅から歩く。 門前町坂本を歴史街道として紹介看板があった。

 世界文化遺産に登録された比叡山延暦寺と歩みを共にした門前町である。独特の景観を見せる多くの里坊、石の美を感じさせる穴太衆積み石垣、趣のある家並みなど、歴史の足跡を色濃く残している。

 日吉大社の前に、六角堂の子育て地蔵堂があった。最澄の自作の地蔵尊と言う。

 日吉大社とケーブルカーの駅の間にある登山道を登り始める。ケーブルカーの音が聞こえる。途中、会う人無し。2時間程で東塔へ。拝観料の検問がない。後で判ったが、登山者からは徴収してないので、登山者は、その旨、申し出るようにとの案内板があった。

 東塔の一角の法然堂お参り。参拝心得として、正座して、焼香して、合掌、称名念仏「南無阿弥陀仏」をする、とあった。焼香は無人のため止めた。
 「要(かなめ)の地蔵尊」をお参り。大昔から参拝者の道中安全のため、表参道坂本の中腹にある「要の宿(やどり)」にあり、慕われた。明治初期まで、女はここまでしか登れなかったので、この地蔵さんに悩みを話して下山した。「悩みの地蔵」とも言われた。ドライブウェイが開通した時、ここに移された。

 「要の宿」は、比叡山中腹にある花摘堂の近くに小休止所を設けた。今は、花摘堂跡の碑があるのみだそうだ。

 蓮如堂お参り。新仏教の指導者は、比叡山で厳しい修行をした。蓮如さんも冬は夏の蚊帳を体に巻いて寒さをしのいだ、と説明があった。
 阿弥陀堂お参り。ここも滅多に来ない場所。
 大比叡山、ここも始めて登る。阿弥陀堂の横を通り裏山に登ると、比叡山の頂上、大比叡山の1等三角点を確認。標高848m。

 子供連れの家族が沢山居る。此の近くに遊園地もあるとのこと。滋賀県の人に会う。よく登りにくるとのこと。食事しながら、いろいろ話をする。同年代、同じサラリーマン。比叡山に詳しい。いろいろ教えて貰った。

 4月下旬からの四国遍路の計画を具体的に作り始めていることを話した。余り興味を示さなかった。

 帰りは、京都側へ降りることにする。滋賀の人は、坂本へ戻るとのこと。京都へ降りるケーブルカー際から修学院方面へ降りる道がきれいに整備されていた。沢山の降りる人達がいた。これに付いて、一緒に下 る。約2時間かかり、少し歩き出があった。

 「千種忠顕(ただあき)卿戦死之地」の石碑をお参り。足利尊氏と戦い、ここで戦死した。

 「水飲対陣之跡(みずのみたいじんのあと)」の碑。忠顕は水飲の地で戦死、と書いてあった。野の地蔵もあり。

 修学院離宮庭園のフェンスが見え出すと、谷底のようにえぐれた山道の雲母(きらら)坂になる。比叡山の僧兵が、日吉神社の神輿を担いで、京都の町へ降りたのは、この道だな、などと思いながら歩いた。

 雲母寺跡あり。平安時代の天台宗のお寺だったが、廃寺。
 途中、親鸞上人御旧跡雲母坂の碑あり。神輿だけでなく、京から比叡への主要道路だった。

 音羽川(コンクリートでしっかり整備されている)を約1km西に下ると叡山電鉄修学院駅。

 

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