4 鳳来寺山 奥平仙千代の墓 鳳来寺 愛知 1997/08/15 作成 2003/07/31
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奥三河の作手城の奥平氏、田峰城の菅沼氏、長篠城の菅沼氏は山家三方衆というが、奥平仙千代は、奥平貞能の次男として誕生しました。 山家三方衆の支配した地域は信濃・三河・遠江の要所で、分岐点であるため、 家の存続をはかるために常に強い者に従い、その都度、人質を送った。 武田信玄が死んだ後、山家三方衆は家康に付いたため、武田に出ていた人質の仙千代は、ここ鳳来寺の地で殺された。2人の菅沼氏の人質も同様に殺されている。 |
利修仙人は、飛鳥時代、山城国に生まれ、役(えんの)行者の兄弟と言う。その後、千寿峰に移り住み、鳳来寺山山中にあった霊木7本杉の1本を切って、峰薬師如来を彫ったと言う。その後、百済に渡って仙術や仏教を学び鳳凰に乗って帰国し、鳳来寺山中に住み三匹の鬼神を自由自在に使っていた。利修仙人は309才で入寂された、と言う。 |
時計回りで、鳳来寺の裏の鳳来寺山を回った。 |
東照宮へ寄るのを忘れた。 |
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