11 三輪山 箸墓 大津皇子歌碑 國常立神社 香具山 本薬師寺跡 奈良 1997/05/18 作成 2003/07/30
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三輪明神のご神体、三輪山に登る目的で出てきた。 |
狭井(さい)神社で、入山OKのタスキと杖を持ち、写真は駄目という事で持たず、1人だけで登り始める。道は良く整備されていた。頂上付近になると、注連縄を巻いた岩が幾つかあり、岩が多い。見晴らしは、良くなかったと思う。往復2時間
半を要した。
写真は、入山の手続きをした時に貰った札。「13番」がその印。 |
箸墓に向かう。山辺の道を通り、檜原神社から山を下る。檜原の井寺池の辺に柿本人麻呂の歌碑があった。
「いにしへに ありけむ人も わが如か みわの桧原に かざし折りけむ」 柿本人麻呂 |
箸墓をお参り。
大きさは全長約272mで、奈良県で3位、全国でも10位。皇陵として宮内庁所管とされており、孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓と言う。
「日本書紀」では、大物主神(おおものぬしのかみ)とその妻倭迹迹日百襲姫命の話でよく知られている。大物主神は三輪の神様で蛇である。
日本書紀の物語 姫は、夜しかこない大物主神に対して、姿をみせよと訴えた。そこで、大物主は、「明日の朝、櫛入れの箱の中に入っていよう。しかし姿を見ても驚くな」と念を押す。翌朝、姫は箱の中を見ると、そこにいるのは小さな蛇で、驚いてしまう。大物主神は、姫に対して、「決して驚くなと言って姿を見せたのに、お前は俺に恥をかかせたな」と非難し、「俺もお前に恥をかかせよう」と言って、三輪山に帰ってしまう。 姫は後悔したが時既に遅し。脱力してしゃがんだ時に、ホト(女性の陰部)に箸が刺さって死んでしまう。この姫のために作った墓が、この「箸墓」。 ただし、この墓が本当に、この物語が伝える「箸墓」なのかは不明。 |
昔、香具山の北に大きな磐余(いわれ)の池があった。大津皇子歌碑はその辺りにある。
「百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲がくりなむ」 大津皇子 天武天皇が死んだ時、皇后(後の持統天皇)は、天武天皇の子、大津皇子を謀反ありと即殺した。その時の辞世の歌。 |
大和三山の内 耳成山を遠望。 香具山を遠望。 畝傍山を遠望。
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香具山は、大和三山の1つで、標高152m。耳成、畝傍はぽつんと平地の中にあるのに、香具山は、南の多武峰から続く山の一部である。
「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」 持統天皇 大津皇子を殺した持統天皇の歌。壬申の乱では、親の天智天皇を捨て、天武天皇と吉野に逃げた。しっかりした女という感じだ。 |
國常立(くにとこたち)神社お参り。香具山頂にある。小さな祠である。
麓に、天香山神社、天岩戸神社がある。 |
香具山から畝傍山(橿原神宮)に向かう途中の、本薬師寺跡を尋ねた。
天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し造営。しかし、完成後20年ほどで西の京に移された。今の薬師寺の前身で、金堂と東西両塔の礎石が残る。古びた本薬師寺跡の説明板とともに万葉歌碑がある。 「わすれ草 わが紐に付く 香具山の故りにし里 忘れむがため」 大伴旅人 |
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