12 赤坂宿 宮路山 五井山 愛知 14km 2003/12/04
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9時、名鉄赤坂駅から歩く。電車で、2人のご婦人と一緒になった。岡崎の年金者組合の山登りのメンバーだ。入会しろと誘われた。名電赤坂駅9時半集合して、宮路山と五井山に登り、蒲郡市三谷に降りるとのこと。2000年正月に登った時は、赤坂の4姉妹の2人の元気なお姉さんに合ったことを思いだした。
一緒に行こうと誘われたが、同じ道順のため、先に行って宮路山で待っている事にして別れた。結果は、合うこと出来ず、年金者組合にも入ることが出来なかった。行き先、ルートなど変更になったのだろうか、不思議だった。 |
登山道には、草木の説明が詳しくあり、実物がそこにあった。
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山頂の「宮路山聖跡」の碑は、持統天皇がこの辺りに来ている事を記念したもの。持統天皇は天武天皇の皇后だ。 夫の天武天皇が死に、壬申の乱で天武派が勝ったが、腹違いの息子、大津皇子を殺し(自分の子、草壁大路を天皇にするため、謀反の名目で処刑)、自分の息子、草壁皇子を差し置いて天皇となり、藤原京に遷都。その後、草壁皇子の子、自分の孫を天皇にして、自らは上皇となり、古事記唐の編纂を命じている。 その数代後、天皇は、天武天皇の兄、持統天皇の父である、天智天皇系の子孫となり、天武系は途絶える。乱世で、良い仕事をした人は、途絶える例が多い。 ここ三河も、大和朝廷に反抗した地で、穂の國と言われた時もあり、朝廷との繋がりが強かったと言う。草壁皇子が、壬申の乱の時、ここで兵を挙げたとも言う。持統天皇自身もこの地と関係が深かったのかも知れない。 「宮路山のドウダンツツジのもみじ葉に持統上皇は皇子偲びしか」 この地方では、国府(こう)、三谷、幸田、大井池、御津、大恩寺山、御所橋、五井などの地名がある。宮路山の北東、豊川には、国分寺、国府があった。
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途中、標高403mの三角点を確認。 |
蒲郡の町と三河湾が綺麗だ。昼食を取り、帰途につく。 |
ここも、年金者組合の人達は居なかった。往復の道でも出会わなかった。 |
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