18 名電赤坂 赤坂宿 古道切通し 宮路山 御津 愛知 14km 2006/05/03
|
![]() 名鉄の名電赤坂駅が、自動改札口があり、綺麗に改造されていた。 9時半、歩き始める。 |
![]()
|
![]() ここ赤坂宿は、遊郭だった。飯盛り女が沢山居たという。 飯盛り女にも、幸せに成った人がいたとのこと。書いたものが残って居るんだそうだ。 江戸時代は、性についても、今より大らかだったようだ。喜多さん弥次さんもこの辺りで、遊んでいる。この二人も実に堂々としていて気持ちいい。
|
![]() ![]() 阿仏尼の「十六夜日記」に「紅葉の宮路山」がある。 紅葉いと多き山に向かいて行く。風につれなきところどころ、朽ち葉に染めかえてけり。ときは木どもも立ちまじりて、青地の錦をみるここちす。人に問えば、宮路の山という。 京都から鎌倉へ、息子の為の訴訟のために行く、勇ましい母親である。鎌倉で死んでいる。 義経、頼朝も、叉もっと古い、聖徳太子、持統上皇も通ったと思われる。 |
![]() ![]() その若葉。
|
![]() |
![]() ![]() 南の方面、蒲郡、豊橋方面。 豊橋の三河港は、外車の輸入港として有名。 |
![]() 子供らの弾んだ声を聞きながら、むすびの昼食。小さい頃、良く付いてきた息子達を思い出した。 |
![]() ![]() 急で、手が入っていない。途中、太い木(名前解らず)があった。 林道からの登り口。 |
![]() 左手の霞む無線鉄塔のある山は、五井山。 |
![]() 昔、三河国分寺があった土地だ。 御津(みと)は、持統上皇が上陸した土地ともいう。 14kmの歩きだった。次の次の日、太ももが痛くなった。 |
以 上 TOPへ戻る |