13 奥殿陣屋 村積山 愛知 18km 2004/01/11
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岡崎市の北部に、徳川家康の祖の松平家親藩、奥殿松平家が支配した土地、奥殿町がある。
パンフレットによると、将軍秀忠の時、手柄を立て、奥殿に陣屋を移した。陣屋は、領主の居住、役所、道場など集合した所。 その一族は裏千家11世玄々斉宗室を出したり、幕末は、大政奉還、日本海軍の創設、日本赤十字社創設などに活躍した。 昭和60年、附近のお寺にあった書院を現在地に移して、奥殿陣屋が復元した。 |
直ぐ隣に、熊野神社がある。 |
村積山の登山道入り口に、曙塚がある。芭蕉の句碑である。
「曙や まだ朔日に ほととぎす」 芭蕉 |
登山道は、整備されていて、歩きやすかった。最初15分程、急な坂道だったが、後3分の2は、尾根道で、村積山の頂上に30分程で到る。 |
二万五千分の一地図(平成9年11月発行)には、この道の表示はしてない。 |
頂上に村積神社。お参りする。
標石のある三角点があるはず。神社のある辺りが1番高い所と思われ、捜したが、見つからなかった。 |
展望台あり。今日も寒く、風が強い。西方面の矢作川、高速道路が、よく目に付く。 |
下りは、西方面の北斗台団地に向かう。何人かの登山者が居たが、皆、引き返して行った。車で来ているのだろう。
200mほど下ると、舗装された林道に出た。村積山の案内看板があった。 |
林道を行かず、歩きの山道を下る。緩い下りであったが、距離は長かった。新香山中学校の際に降りた。
登山口の看板はなかった。知らないと登れない所だ。 |
県道に出て、奥山田町にはいると、林道入り口に、村積山の案内看板があった。この林道は、地図にある林道だ。 |
山の中の車道を通り、真福寺町に出て、東名沿いの側道を歩いて帰った。
25000歩、4時間半の歩きだった。 |
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