21 耳成山 天香具山 畝傍山 奈良 22km 2007/05/03
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近鉄ウォーキングの、大和三山を歩いてきた。始発の新幹線は満席。5月連休はジパングは駄目。
記録を見ると、10年前、5年前に歩いている。前々回は、耳成駅から、前回は樫原神宮駅から歩いた。今回は、大和八木駅から。 |
耳成山。
標高139.7m、平地部分で、80mだので、60mほど登った事になる。 駅から、30分で登った。 |
三角点あり。
みみなしの山のくちなしえてしがな思いの色のしたぞめにせむ 古今集 よみ人しらず 耳成山の口無しを得たいものだ。思ひという緋色の下染めにしようと思う。 耳成山の口無しで染めれば、どんな思いをしても、耳成だから聞かれることもなく、口無しだから噂を立てられることもない。 |
耳成山口神社 お参り。
登山道。幅あり、整備されている。三山ともそうだ。 地元で人気のある、散歩道のようだ。 |
醍醐池からの耳成山。
菜の花盛ん。 |
藤原宮 ほぼ1km四方の広さであった。周囲をおよそ5mほどの高さの塀で囲み、東西南北の塀にはそれぞれ3か所、全部で12か所に門が設置されていた。
藤原京 5.3km四方で少なくとも25平方キロあり、平安京や平城京をしのぎ、大和三山を内に含む、古代最大の都であった。 石神遺跡 立派な道路があったという。 |
歴史の勉強 645年 乙巳の変(いっしのへん) 中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足(後の藤原鎌足)らのいわゆる乙巳の変のクーデターによって、蘇我入鹿は宮中において皇極天皇の御前で暗殺された。 2005年からの飛鳥甘樫丘から蘇我入鹿の邸宅、「谷の宮門(たにのみかど)」の発掘結果から、谷の宮門には兵舎と武器庫の存在が確認された。 また、蘇我蝦夷の邸宅の位置や蘇我氏が建立した飛鳥寺の位置から、蘇我氏は飛鳥板蓋宮の周りに砦を置き外敵から都を守ろうとしたのではないかという説が出されている。 また、蘇我入鹿の名前は中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)によって、これまでの名前を資料とともに消され、卑しい名前として彼らが勝手に名付けたものであるという説が浮上している。 645年 大化の改新始まる。 661年 天智天皇即位。 672年 壬申の乱(じんしんのらん) 日本古代の最大の内乱であり、天智天皇の太子大友皇子(おおとものみこ)に対し、皇弟大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が反旗をひるがえしたものである。反乱者である大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱であった。大海人皇子は妻(後の持統天皇 天智天皇の娘)と共に吉野に逃げていた。 672年 天武天皇即位。 飛鳥浄御原宮で即位。論功行賞と秩序回復のため、新たな制度の構築、すなわち、服制の改定、八色の姓(やくさのかばね)の制定、冠位制度の改定などが行われた。天武天皇は天智天皇よりもさらに中央集権制を進めていったのである。 天武天皇がそれ以前の大王という呼称を「天皇」に改めるよう命じたのではないかと見るものもある。天皇の称号は、天武天皇が始めたとする説が広く支持されており、非常に有力となっている。 686年 持統天皇即位。 夫の没後、姉(大田皇女)の皇子・大津皇子を退けて、自分の息子である草壁皇子を皇太子としたが、即位する前に早世。自身が女帝として飛鳥浄御原宮で即位した。 694年(持統8)に飛鳥浄御原宮から遷都。710年(和銅3)に平城京に遷都されるまで持統・文武・元明の三天皇が居住した16年間、日本の首都だった。扶桑略記によれば、711年(和銅4)に宮が焼けたと いう。 凄まじい権力争いと殺戮の、天皇制成立期の凄い時代だったようだ。大規模な都を創ることが出来、また、都を移したい理由が あれば、都を移すことが出来たようだ。 能「國栖(くず)」は、天武天皇の吉野での攻防をを描いているもの。また、多くの小説家による、この時代の小説がたくさん描かれている。激動の時代だった。 |
月の誕生石
。初めて見る。知らなかった。蛇のつなぎ石も近くにあるそうな。
露出した花崗岩の大石で、幅6.5m、奥行き3mほどあり、全体の3分の1ぐらいの位置に幅20センチほどの窪みによって、二個の石のように見える。石は、妊婦が腹帯をして、横たわっているように見え、地元ではこの石を、「月の誕生石」と呼んでいる。
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天香具山 標高152.4m 12時到着。昼食。
国常立(くにのとこたて)神社 雨の竜王を祀る。お参り。
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天岩戸神社 お参り。
天照大神を祀る。日本神話で大神が引きこもった天岩戸の場所とされる神社である。 狭い境内は竹林に覆われ、大きな石がある。神殿はない。石がご神体という。 |
13時半、本薬師
(もとやくし)寺跡。
平城京が出来ると、寺も移った。西の京の薬師寺。 金堂の礎石が残っている。 |
東塔の跡。 |
わすれ草わが紐(ひも)に付く香具山の故(ふ)りにし里を忘れむがため 大伴旅人 3−334
わすれ草を私は紐につける。香具山がなつかしい、あの故郷を忘れようとして。 |
神武天皇陵。 この陵は、明治になって作ったもの。
神武天皇(じんむてんのう)は、日本の初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日(紀元前660年2月11日)- 神武天皇76年3月11日)。日本神話以降に相当するとされる初代天皇。 即位した2月11日は日本が建国された日とされ、第二次世界大戦前は紀元節、戦後も建国記念の日として祝日である。 歴史的実在について否定的見解が強い。 |
畝火山口神社(おむねやまくちじんじゃ)お参り。
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畝火山口神社の鳥居の際にあり。 思ひあまり、いたもすべなみ、玉たすき、畝火の山に、我れ、標(しめ)結(ゆ)ひつ よみ人しらず 7−1335 恋しくて、思い余ってどうしようもないので、畝傍山(うねびやま)に、(私のものだという)しるしを結び付けるのです。 |
15時 畝傍山山頂。標高199.2m。
耳成山を見る。 久し振りに、32千歩、歩いた。 |
帰りも、京都へ出て、東海道線乗り継ぎで、帰った。珍しく、帰宅10時だった。
京都で降りて、、例のラーメンを食う。混んでいた。此処も、10分ほど並んだ。 |
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