1 追分 神戸 白子 上野

25 km         1998/01/02 作成 2003/08/02

伊勢街道へ


 

 正月から、伊勢街道を歩いてきました。5日を要しました。四日市の追分から伊勢神宮まで、約70kmですが、真宗高田派総本山専修寺、松阪(本居宣長出身地)、斎宮、等寄り道したためです。

ise980102oiwake.JPG (16661 バイト) 四日市の「日永の追分」は、東海道と伊勢街道の分岐点。伊勢街道もすっかり自動車道になってしまったが、旧道が生活道路として残り、神社、寺、旧家、常夜灯、古い道標がいたる所に残っていて、盛んだった昔が偲ばれる。

 鈴鹿川(昔は高岡川と言ったそうだ)を前に、国道23号線の下を潜ると右に高岡神社があり、常夜灯があった。高岡神社は、川向こうの高岡町の氏神だ。鈴鹿川の市が変わっているのだろう。23号線に戻り、川を渡り右岸堤防に、常夜灯の土台のみが1基あった。
 神戸(かんべ)の見付。石垣が残っている。神戸の主に入る。曲がりの多い道が昔の名残かなと思う。常夜灯あり。
 神戸の外れに「鎌倉権五郎景政塚」と言う円形の石碑があった。景政は歌舞伎「暫」の主人公。源義家に従い後三年の役で名を成した豪傑。なぜ、ここにあるか不明。
 玉垣の地に、道標が幾つもあった。この道標は「左 さんぐう」と読めた。

 弥都加岐(みずがき)神社お参り。

 近鉄を越えた、江島本町の地蔵堂お参り。「北の端の地蔵堂」と言われた。寺家(じげ)白子(しろこ)の衆は、江戸へ登る時、この地蔵堂で無事を祈り出かけたそうだ。
 江島(えじま)の江島神社お参り。回船業者のの安全、商売繁盛の絵馬が沢山奉納されているとの事。近くに江島神社の常夜灯があった。
 海岸は護岸で固められていた。
 白子に「旧河芸(かわげ)郡役所跡」が、和田家の角に、石碑「さんぐう道」があった。
 子安観音お参り。境内には不断桜(ふだんざくら)(四季を通じて葉があり、春秋冬に花が咲くそうです)があり、昔から有名だった。昔の観世流の謡曲に「不断桜」があり、此の桜を謡ったものだそうだ。今、この曲はない。
 隣の比佐豆知(ひさづち)神社お参り。
 旧道が続く。千里(ちさと)の駅を通過。上野の宿は右の山に、上野城趾があるとの事。
 

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