| 
       2 津 雲出 
      
      
      8 km         1998/01/03 作成 2003/08/02 
      
      
      西行・一休など    伊勢街道へ  
      
      
       
       
        | 
    
        近鉄白塚駅から歩く。松や常夜灯がある、栗真町屋町の追分があった。写真は振り返っての撮影。左が伊勢街道、右が浜道。 | 
    
         三重大学前を通り、志登茂(しとも)川に架かる江戸橋へ。津から江戸へ行く時の橋、江戸橋としたと何処かで読んだ。橋を渡ると、伊勢別街道(鈴鹿峠を越え関宿を通る伊勢への道)との追分。常夜灯と「左 高田本山道」とある石碑がある。別街道を暫く行くと高田本願寺がある。 | 
    
        江戸の豪商安部家住宅が残っている。家の両端に卯建があり、大きな松が塀越しに見える。 | 
    
         安濃川の手前に四天王寺あり。お参り。聖徳太子建立とも言う。
      
       境内に平景清鎧掛松の石碑あり。景清は藤原秀郷(ひでさと 俵藤太とも言う)の子孫で伊勢の住人だったと言う。
      
        | 
    
        山門わきに、芭蕉翁文塚あり、二日坊が建てたもので、略歴、由来が書いてある。その左に、津の医者だった俳人二日坊の杖塚があり、句が刻んである。
      
         「聞たいも病むひとつなり時鳥」  「初雪や頂いて行く路て行」
      
        | 
    
       
      
        観音寺お参り。 
      
      
       岩田川に架かる岩田橋を渡る。津の西の見付。東の見付は江戸橋。
      
        | 
    
        岩田橋の東南800mに「阿漕塚」あり。謡曲「阿漕」(伊勢神宮の禁漁区であったが、度々、密漁した地元の漁師が、見つかり殺される筋)の謡蹟。かの西行の「申すも恐れある上臈女房を思い懸けまいらせたりけるを”あこぎの浦ぞ”と言う仰せを蒙りて思い切り」の阿漕が浦です。「たび重なれば人も知りなん」の意味です。 | 
    
         下弁財町に閻魔堂があり、閻魔さんが座っていた。
      
       閻魔堂の南、八幡町には、古い町並みが残っていた。
      
        | 
    
      |   | 
    
      | 
       以    上        TOPへ戻る 
      
        |