41 鎌倉古道 草津本陣 野路玉川 西行屋敷跡 建部大社 俵藤太ムカデ退治 瀬田の唐橋 今井兼平墓 篠津神社 膳所神社 桃源禅寺 義仲寺 華階寺  滋賀

18 km   2003/07/06

西行・一休など    鎌倉街道へ 


 

 9:00 JR草津駅から歩く。商店街のアーケードを抜け、トンネルを潜ると、東海道との追分。トンネルの上は、天井川の草津川。

 始めて堤防に上る。見れば、普通の川と同じ。ただ、河床が上がり、それにつれて堤防も高くし、川の下にトンネルが掘れる程、河床が上がった状態。

  人間が、コントロールが出来ない、何処に流れるか判らない程の水量もなく、川が急で、土砂量が多い等の条件で天井川に成ってしまうらしい。神戸にもあったと思った。今、放水路が出来、草津川は無くなるそうだ。

 追分には、道標(中山道、東海道)あり。鎌倉時代、この辺りの道は、瀬田の唐橋を通り、野路に泊まった。野路が廃れたことと、草津が追分となったことは関係があるんだと思う。従って、今の東海道、中山道と異なった道筋と思われるが、大筋では、江戸の街道沿いと思う。

 室町時代の「覧富士記(らんふじき)」に「近江路や 秋の草つは なのみして 花咲くのべぞ 何処ともなき」と言う歌があるようだ。

 草津の本陣を見学。丁度、ガイドさんが話し始めたので、付いて廻る。

 大名の泊まりの時は、その宿に看板を掲げるんだそうだ。その看板の最後の字は、宿、泊、休と成っているが、宿:寝るだけ(食事は自分たちで作る)、泊:1泊2食付き、休:昼食、小休:お茶の意味があったそうだ。

 殿様の上段の間の、2段の畳は、偉い人の意味もあるが、縁の下の刺客に対する防御との事、畳の間に銅板など入れる場合もあるとのこと。従って、殿様は、食事から、会見、寝ることまで、すべてこの上で済ます。是も始めて知る。納得。

 「本陣の上段の畳二重とぞ貴人警護のためと聞きたり」

 廊下は幅1.5間の畳敷き。人数が多い場合、泊部屋となるそうだ。また、唐紙を閉めると、上段の間が何処にあるか判らなくなるそうだ。

 脇本陣が店屋になっていた。 ご主人らしい人と話をした。歩いて、大津まで行くと言ったら、驚いていた。天井川について教えて貰った。ここも写真を忘れた。

 街道交流館見学。旅人の持ち物、着る者、泊者、乗り物などあり。

 宿の食事献立があり、熱量の算定をしてみた。朝食:飯茶碗2杯、汁、焼き魚、野菜 520kcal 夕食:飯茶碗2杯、汁、焼き魚、野菜 590kcal 昼も同じ位とすると、計1700kcal。飯3杯としても、2100kal。飯4杯とすると、2600kal。明治時代の女工の米は、5合/日だったようなので、飯を沢山食べたらしい。

 献立の例 夕食 飯(写真で見ると、普通の茶碗に山盛り)、汁(味噌、湯葉、ほうれん草)、焼き物(塩あじ、大根おろし)、平付(かんぴょう、ゴボウ、かまぼこ)、なます(大根、ほうれん草、柿、三杯酢)。

 立木神社お参り。

 八橋(やばせ)道標があった。琵琶湖への八橋道の分岐点。

 野路(のじ) 町の玉水。萩の名所だった。平惟盛、源頼朝も、この路地に泊まっている。中世の宿場だった。八橋道を通り、舟で大津へ出たらしい。江戸時代も舟便は流行ったようだ。

  「あすもこん 野ぢの玉川 はぎこえて 色なる波に 月やどりけり」  源俊頼

  「うちしぐれ 古郷思ふ 袖ぬれて 行先遠き 野路の篠原」  阿仏尼

 「新田開発発祥の地」の碑。

 西行は、大津市大江の地に、 住んだことがあるらしく、瀬田小学校南端の旧東海道沿いに、西行屋敷跡の石碑があった。大江は荘園の名で昔からの名。。

 建部(たてべ)大社お参り。近江の一宮、日本武尊が神さん。

 瀬田川の左岸、竜宮秀郷社があり、お参り。神代の古から、この大川に鎮座する龍神で瀬田川と唐橋の守り神である。

 また、唐橋は都を守る重要拠点だった。戦争による焼失は10回以上と言う。1545年の架け替え記録があるようだ。

 橋を渡ろうとしていた俵藤太に瀬田川の龍が三上(みかみ)山のムカデ退治を依頼され退治した、と言う。俵藤太は藤原秀郷と言い、近江田原の生まれと言う。平将門を討った1人だ。10世紀の人。

 唐橋を改めて左岸堤防から眺めた。1人、4人、8人漕ぎのボートが行き来して静に水しぶきを上げていた。

 左:左岸(橋本町) 右:右岸(唐橋町)

 

 唐橋を渡り、JR石山駅を北に超え、青嵐1、2丁目あたりの「粟津原(あわづがはら)を行く。壬申の乱の合戦場。木曽義仲、兼平が負けた場所とも言う。

 今井兼平の墓を詣でる。墓と兼平庵。子孫が建てたとのこと。

 篠津神社お参り。祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)。古くから産土神(うぶすながみ)として庶民の信仰をあつめた。門は膳所城の城門を移したとの事。写真を忘れた。

 膳所神社お参り。祭神は豊受比売命(とようけひめのみこと)で、奈良時代の創祀と言う。中世には諸武将の崇敬が篤く、社伝には豊臣秀吉や北政所、徳川家康などが神器を奉納したという記録が残る。

 石坐神社お参り。写真を忘れた。

 桃源禅寺お参り。共に、大友皇子(弘文天皇)を祭る。天智天皇の弟と言われる大海人皇子に負けた、天智天皇の子である。

 義仲寺お参り。

 大津駅前の華階寺の門前に、「俵藤太 矢根地蔵 月見の石」の碑があった。

本日歩いた概要図

 

 

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