11 蒲原 由比 望嶽亭 さった峠 清見寺 静岡 15 km 2002/02/10
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蒲原城は、武田軍の攻撃に遭い、落城したが、城主北条新三郎は城を抜け出し、常楽寺まで逃げたが、寺に火を点け、自害した。その墓が、道から少し上がった山の中にあった。城跡も、お寺も今は無いが、この碑は地元の人が供養したもの。 |
江戸の東海道を歩く。由比の本陣跡は立派な建物が建っていた。東海道広重美術館だった。中には、入らずじまい。 その前に、由比正雪の生家があった。染物用の甕が埋めてある紺屋だった。又、この辺りの山の中に、由比城があったが、今川方の城主が戦死して廃城になった由。 昼食は、桜えびの天ぷら定食を食う。冷凍ものだそうだ。 |
さった峠の上り口に、元宿屋の望嶽亭藤屋があった。無料で公開していた。初めて中に入った。 さった峠で官軍に追われた山岡鉄舟が逃げ込んで、藤屋の蔵屋敷で漁師に変装して隠し階段から逃がしてやった 。その階段、蔵を見せてもらった。この屋の女主人がいろいろ説明してくれた。 富士山は雲に隠れ見えなかった。実に綺麗に見える所ですが、今日は残念でした、とのことでした。 |
大菩薩峠のさった峠。平将門の乱、足利尊氏と弟直義との戦い、信玄の敗走などがあった。交通の要衝だった。海よりの道は、親知らず子知らずの道であった由。十六夜日記には、さった峠の名はない。海の記述ばかり。この海の道を通ったかな。 |
十六夜日記にも清見潟の歌が見える。清見寺は礎石と木柱2本のみで、建物は無かったようだ。今は埋め立てられ、見晴らしはきかないが、昔は随分と景色の良いところだったのだろう。平安の時代からの歌枕で有名であったらしい。更級日記、西行、海道記、東関紀行、枕草子にも詠まれているようです。 五百羅漢あり |
本日歩いた概要図
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