17 鎌倉古道 志戸呂 番生寺 行者原 小鮒川 白津倉 日坂 掛川城 静岡 28 km 2002/08/21
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ハイキングコースは金谷に戻るコース、鎌倉街道は日坂にでるコース。途中まで同じ道。 |
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25000分の1地図の点線道は、見つからなかった。 駅で見た相田商店横の登り口を探す。大分南に下った1号線バイパス近くにあった。小型車の登れる道、地図にも実線で標示あり。 この行者原への登坂は、掛川坂と言われていたようですが、そのような雰囲気はない。舗装道のせいかな。点線道の山上の取り付き点も、はっきりと確認できなかった。 |
大きな送電線の鉄塔を建てていた。まだ、電線は張っていなかった。 |
お茶畑だけのため、目印がない。25000分の1地図だけが頼り。お茶の消毒噴霧中のご夫婦に道を尋ねる。この道は、この先、獣道になり人が歩いていないので、草ぼうぼうだろうと、1本西の道を教わる。 |
風通しの良い見晴らしのきく高台で、買い込んできたパンの昼食。実に気持ちよい風である。数日前までのうだるような暑さはない。南には、小夜の中山の尾根道が見える。 緩やかな下り道。途中、お百姓に声を掛けられて、世間話。鎌倉街道も知っていた。頼朝、義経の歩いた道を歩いていると説明した。十六夜日記の阿仏尼、西行法師は、小夜の中山を通っている。 |
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創立年代未詳。807年、坂上田村麻呂東征の際、本宮山から、この地に遷座す。「枕草子」にも、書かれているとのこと。「枕草子」は未だ読んでない。 「十六夜日記」には、「昼になりて、小夜の中山を越ゆ。ことのままとかいふ社のほど、もみじいとおもしろし」とある。 |
戦国時代、今川義忠が戦いに敗れ、この池に埋められたそうだ。それ以来、鞍骨池という。東山口地区地域作り部の署名のある手書きの説明看板があった。 |
お城周りもきれいになり、店もでて、市民の憩いの場となっている。今日は、無料入場の日に当たり、得をした感じ。 |
本日歩いた概要図
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