14 鎌倉古道 手越少将井神社 手児の呼坂 誓願寺 蔦の細道 静岡 18 km 2002/07/30
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「平家物語」、能「千手」の千手のふるさと、手越を尋ねた。以前、来た時は、本当に何も無かった。負けた平氏、清盛五男の重盛を手厚く持て成した千手の君の手越である。 少将井神社を探す。古い神社は高台にあり、を目標に探す。小さい鳥居を見つけ、近付いて見れば、少将井神社だった。 境内に、「千手の前」の像があった。地元の人達が建てた物だ。 |
神社の直ぐ下のお宅からお婆さんが出てきて、研究に見えたかと尋ねられる。恥ずかしながら「はいそうです」と返事を返す。最近よく見える。東京の人が多い。資料があるから見せてやるとのこと。 しばらく待つと、薄い印刷物を持ってきてくれた。「千手の里 てごし」とあった。持って行って良いとのこと。有難く頂戴する。 内容は、少将井神社の由来、千手の前について、神社の裏山、桜山についての説明冊子だった。 お遍路では、自分の名前の入ったお札を渡すようにしていたが、この場合も、言葉だけでなく、お礼に何か渡した方がよいと思った。 そうだ。名刺を作ろう。肩書きがない。肩書きは「歩く人」としよう。 |
歌枕の「手児の呼坂」に向かう。 ここも、住宅地になっている。水撒きの奥さんに「手児の呼坂」を尋ねると丁寧に教えてくれた。土地の人かなと思う。 小高い山の舗装道路を少し登ると、山道があり、古い、剥げかかった「この上、手児の呼坂」の案内看板あり。これを登る。 石碑があった。小さな峠。 富士の麓にも「手児の呼坂」があった。 手児の呼坂を越え、佐渡(さわたり)に出た。ここに、佐渡の手児の万葉歌碑があるとのことで、大分探したが、発見できなかった。「さわたりのてごに い行逢ひ赤駒が あがきを速みこと問わず来ぬ」 |
諦めて、江戸の東海道を宇津野谷峠に向かう。途中、誓願寺に寄る。秀吉の家来、片桐且元の墓があった。 蔦の道の入り口にある「道の駅」で昼食を取り、蔦の道を登り始める。道は歓昌院道よりもしっかりと整備してある。途中、一組とすれちがう。 |
40分程で、峠到着。在原業平の歌碑があった。「駿河なるうつの山辺のうつつにも 夢にも人にあ はぬなりけり」 伊勢物語の「わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦かえでは茂りもの心細く・・・」が「蔦の細道」の名の起こりだそうです。 岡部に下る。 |
岡部側の上り口 |
本日歩いた概要図
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