19 鎌倉古道 国分寺 池田 行興寺 松の浦神社 普伝院 静岡 27 km 2002/09/05
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東海道沿いの府八幡宮をお参り。 市役所北に、遠江国分寺跡が整備されて公園となっている。発掘調査され、規模等がはっきりしているとのこと。 |
見付宿の西外れ、西坂町の交差で西に左折、姫街道へ。姫街道の標あり。江戸時代にも、「天竜川へ一里近き道あり」であったようだ。 弥次喜多さんも、見付で、疲れて、喜多さんは馬で本道を、弥次さんは徒で姫街道を行き、天竜川には弥次さんが先に着き、馬の喜多さんをまって渡しをうちこゆる、とある。 十六夜日記の阿仏尼も、「天竜の渡りという。舟に乗るに、西行が昔もおもひいでられて、いと心細し」。昔、西行がここで、人数が多いことから、坊主下りろと言われ打たれたが、額から血を流しながら、何も言わずに舟を下りた事を思い出した。 「見付の宿に泊まったが、里あれてものおそろし」と言っている。 |
一言坂の説明あり。ここで戦があり。家康の負け戦の1つとのこと。鎌倉街道も、昔の道は、弥籐太島、上神屋などに一部分だけ残っているとのこと。 今、地図を見ると、渡しが池田近くならば、1里位の差があるが、浜松中野町に渡る場所だとそんな差はない、などと思いながら、田圃の道を歩いた。 |
行興寺北側に、豊田町熊野伝統芸能館があった。屋外の能舞台、見所は藤棚を背負った芝生である。 350席設営でき、誰でも使用できるとのこと。以前、来た時はなかった。 |
行興寺の熊野のお墓は昔のままだった。藤も変わらず、勢いの良い枝振り。訪問者は1時間の間、私1人だった。 川に出る。池田橋の場所の碑があった。また、お休み所があり、池田の説明があった。ここは、信玄との戦いの時、家康に良く協力したので、渡しの権利を独占した、と説明があった。とすると東海道の渡船場はここ池田かなとも思う。 少し古い地図には、点線で池田橋の表示あり。現在は、橋がないので、1号線まで南に下る。 天竜川の1号線の橋、歩道がない。隣のバイパスの鉄橋も歩道がない。以前、東海道を歩いた時のことは覚えがない。仕方なく、1号線の狭い2車線の橋を歩くことにした。 車が一斉に来る時は、歩けずに橋にへばり付いて、とぎれるのを待つ。その繰り返しで、1kmほどの橋を渡るのに、1時間近く掛かった。時々、地元のおじさんが、自転車でゆうゆうと走ってゆくので、車が追い越しできず、数珠繋ぎとなる。堂々と歩けば良いとも思ったが、出来なかった。ダンプが通ると、橋が良く揺れた。良く揺れるから、橋は壊れないんだなとと考えながら歩いた。 左岸、富田を求め北上したが、判らず、東名高速道近くまで来てしまった。引き返す。右岸には、池田橋の標は何もなかった。 天竜川は、暴れ川だったようだ。池田の宿も良く流れたらしい。流れる筋も、西に東に動いたらしい。 |
松の浦神社を見付ける。変わった鳥居のしめ縄だ。いろいろ意味があろうが、今は判らず。歩いている人があったら聞こうとしたが、歩いている人は1人も会わなかった。 |
安間町の普伝院境内に800体の仏像がある、と勉強して知っていたが、お寺さんはあったが、仏さんは見付けられなかった。 |
子安町の子安神社を見つけ、お参り。 JR浜松駅から電車に乗る。JR浜松駅は、四,五十年ぶり。すっかり、モダンになり、昔の面影なし。 |
本日歩いた概要図
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