20 本庄 深谷 熊谷 鴻巣 桶川 上尾 大宮   埼玉

78km   1997/11/01〜1997/11/03  作成 2003/04/23

中山道へ

12 埼玉  本庄城趾 岡部六弥太忠澄墓 平忠度墓 熊谷寺 直実持仏堂 

1997/11/01〜1997/11/03  作成 2003/04/23

能舞台の名所・旧跡へ


 

11月1日

 

 JR本庄駅から歩く。

 本庄城趾は公園となっている。

 謡曲「千手(せんじゅ)」は平重衡と千手の話であり、その平重衡を捕らえたのが、庄四郎高家である。高家は武蔵七党児玉党の庄氏で、この地に居住し、その後、本庄氏を名乗っている。

 お城の隣の八坂神社お参り。

 その隣の城山稲荷神社もお参り。お稲荷さんには、ケヤキの古木があった。

 傍示堂(ぼうじどう)、鵜森、牧西(もくさい)の集落を通る。変わった字名だ。牧西には、八幡神社があり、金鑚神楽 宮崎組(かなさなかぐら みやざきぐみ)を伝えている。お面も使う神楽で、信州諏訪まで、出かけているとの事。立派な建物があった。

 岡に島護産泰(しまもりさんたい)神社。古い神社。また、島護([とうご]とも読まれる)と称するのは、この地方が利根川の氾濫により、常に被害を受けたため、島のようにある各集落の守護神として信仰したことによると伝えられる。

 雲雀塚あり。芭蕉の句碑だ。

      「原中やものにもつかず啼く雲雀」 芭蕉

 岡部町普済寺に、一ノ谷の戦いで平忠度を討った岡部六弥太忠澄の墓が普済寺裏の畑の中の小さな公園の一角にある。三基並ぶ五輪塔の中央が忠澄の墓で、左が夫人、右が父行忠の墓とのこと。

  深谷宿に入ると、清心寺に薩摩守平忠度のお墓があった。岡部六弥太忠澄が知勇に優れた男を惜しみ、領地の1番見晴らしのよいこの地に、五輪塔を建てた。

 宿東外れに、見返りの松があった。

 深谷に泊まった客が江戸に向かう時、振り返って見た所の松。樹齢300年。

11月2日

 

 11/2 熊谷(くまがい)宿 を出発。今は大きな町。真ん中に熊谷寺(ゆうこくじ)あり。お参り。門が閉まっていた。

 熊谷次郎直実は一ノ谷で、自分の息子と同じ位の平敦盛を戸惑いながら殺し、是が元で、出家し蓮照法師と名乗る。その草庵に建てたのがこのお寺。

 頼朝を伊豆に流したり、武士が出家したり、鎌倉時代は、まだ、のんびりしていた、よい時代だった。

 ここより数百メートル北へ行った所に、すたれた感じの蓮照寺があった。そこに直実の持仏堂があった。

 熊谷堤をとおり、吹上(ふきあげ)。間の宿だ。

 鴻巣の入り口に、蓑田(みだ)。ここは、頼光の四天王の1人、渡辺の綱。箕田の源氏の故郷。綱は、摂津渡辺庄の叔母に育てられ、羅生門の鬼、大江山の鬼を退治して名をあげた。平安時代の人。

 行田(ぎょうだ)に別れる箕田追分に、箕田源氏ゆかりの地のりっぱな説明文があった。

 氷川八幡社に、箕田碑があった。箕田源氏の由来を書いてある。

 鴻巣宿にはいると、鴻神社。お参り。

 勝願寺お参り。

11月3日

 

  JR北本駅から歩く。 

 北本は、本宿(もとじゅく)と称し、江戸の初期まで、宿駅だったが、その後、鴻巣に移されたとの事。

 桶川(おけがわ)宿を通過。

 上尾(あげお)宿に遍照院と言うお寺に、「廓室妙顔信女」と彫った墓石あり。上尾の遊女お玉の墓。25歳で亡くなったとの事。伊勢の古市にも、遊女の墓があった。

 大宮宿。武蔵一宮、氷川(ひかわ)神社お参り。

 長い参道は、元の中山道だったが、江戸時代にはいると旅人が増え、新しい道を造った。

 

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