1 草津 守山 武佐  滋賀県

29km   1996/07/29

中山道へ


 

 草津川の下を潜るあたりの草津の追分、東海道との分岐点から、日本橋に向かう。 中山道、67宿、507km。

 草津覚善寺門前に大きな道標があった。明治以降の東海道の分岐点、江戸の追分は草津川の所とのこと。

なお、「なかせんどう」は「中山道」が正式の文字だそうです。

 伊砂砂(いささ)神社をお参り。雨乞いの神様。建物は室町時代のもの。国指定重要文化財。

 今宿の一里塚、滋賀県ただ1つのものとのこと。

 勝部神社、お参り。
 草津から1里半で、謡曲「望月」の甲屋跡がある守山。今回は甲屋はパス。又、東門院守山寺、慈眼寺、称名寺などの寺があり、慈眼寺をお参り。昔からの宿場であるが、本陣等の建物は目に付かなかった。
 「右 中山道美濃路」「左 錦織寺45町 このはまみち」と刻まれた、道標があった。
 野洲川を渡る。俵籐太の百足退治の近江富士、三上山を遠望。篠原(野洲町)に入る。加賀の篠原と同名の篠原。よく耳にする名前である。

 甲山古墳が発掘中で、目隠しされていた。丸山古墳は、石室を覗いてみた。

 篠原神社をお参り。

 歌枕で有名な鏡山が見える。

 平宗盛は、源氏に破れ鎌倉に連れて行かれるが、義経は兄頼朝に会えず引き返し、ここ篠原で宗盛親子を処刑した。

 鏡山の西麓、国道8号線際に、平宗盛終焉の地があった。お供え物があり、地元の人達が世話してくれているようだ。

 鏡山を過ぎると、竜王町鏡の里。源義経元服の池、義経宿泊の館跡、鏡神社がある。牛若丸元服の地といわれ、謡曲「烏帽子折」の舞台である。
 8号線を外れると、昔の面影を多少残す、道がある。

 武佐の宿。額田王と大海人皇子の紫野の相聞歌の蒲生野(がもうの)の地である。

 

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