15 平沢 贄川 本山 洗馬 塩尻 長野 25km 1997/01/03 作成 2003/04/08
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JR平沢駅から歩く。雪が降っていた。駅舎の屋根からは、ストーブの煙突 。誰も居ない。降りたのは、1人。寂しいより、静かで落ち着いた感じだ。しかし、ここに住む人は大変なんだ。 |
平沢の諏訪神社に石喰いの欅があった。昔この欅の根本に穴があり、蜂が巣くったりしていたので、子供が石を投げ込んで埋めてしまった。時代が過ぎても欅はどんどん生長し、穴は、欅が覆い尽くした。また、欅は堅く頑固でもあったので、石喰いの欅と敬われた。樹齢400年程であるが、今も成長しているそうな。 |
平沢にある楢川村漆器館の前に、芭蕉翁の石碑。裏面に 送られつ送りつ果ては木曽の秋 言葉の美しさで人口に膾炙した句。なお、これは名古屋の門人達に送った別れの句だそうだ。 |
贄川宿に入り、観音寺、麻衣廼(あさぎぬの)神社あり。遠くからお参り。 |
贄川関所を復元してあり、村内の遺跡から出土した土器石器類の展示した木曽考古館となっていた。 |
桜沢に、「是より南 木曽路」の石碑。 裏に、「歌ニ絵ニ其ノ名ヲ知ラレタル木曽路ハコノ桜沢ノ地ヨリ神坂ニ至ル南二十余里ナリ」 |
日出塩の集落を過ぎ、本山宿。昔は栄えた宿場だったが、日出塩にJRの駅が出来、すっかり衰えたようだ。宿場名の入った石碑があった。 |
洗馬宿。ここも宿場石碑。芭蕉句碑あり。 梅雨ばれの私雨や雲ちぎれ |
太田の清水。ささやかな清水。木曽義仲と今井兼平がここで会い、兼平が義仲の馬を洗ってやったので、洗馬(せば)となったそうだ。ここも昭和の大火事で昔の面影は無くなった。 |
善行寺街道追分に戦国武士の細川幽斎肘掛松。細川幽斎が旅の途中、松に肘をついて月見をしたんだそうだ。 |
平出に平出遺跡。中山道沿いに「日本最北端の銅鐸 平出遺跡入り口」の、背の高さのある銅鐸の碑。 |
また、平出の乳松。ここ、桔梗ヶ原合戦の時に、武田軍軍師山本勘助が赤子を拾ったという伝説により、「勘助子育の松」。また、平出の乳松と呼ばれ、その葉を煎じて飲むと乳の出が良くなるという言い伝えもあるそうだ。 昔の塩尻の駅は、操車場になっている今の駅の南にあった。東京行きに乗って、名古屋行きに乗り換えた記憶がある。何しに信州へ出かけたか覚えはない。 |
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