9 武並 大井 中津川 落合  岐阜

28km   1996/09/29

西行・一休など    中山道へ


 

 中央線武並駅から歩き出す。

 藤村高札場。高札は、1村1カ所が普通だったが、ここは2カ所あったそうだ。相変わらず山の中の道を行く。

 神明神社の境内に「芭蕉ならびに句歌碑群」があった。
 黒すくも坂、乱れ坂、七本松坂、西行坂あり、十三峠の一部。馬茶屋、平六茶屋など茶屋跡も多い。

 槇が根は、伊勢道との追分けで、茶屋6軒もある立場があった。今は、看板のみで何もない。

 西行の墓あり、「待たれつる入相の鐘の音すなり明日もやあらば聞かむとすらん」の歌、「西行のわらぢもかかれ松の露」の芭蕉の句の歌碑あり。
 西行硯水あり、「道の辺に清水ながるる柳蔭しばしとてこそ立ちどまりつれ」の歌碑あり。

 西行は、日本海側から信州を通り美濃路に入って、ここ大井で死んだとの言い伝えがある。その為か、西行の遺跡が、他にも沢山あるとのこと。西行の東大寺勧進の旅の帰路、信州阿智の里以降の歌がないそうだ。

 西行は、「願はくは花のもとにてわれ死なむその如月の望月のころ」の通りに、建久2年2月15日河内弘川寺で死んだことになっている。

 大井の宿には、古い建物が残っていた。

 庄屋古屋家
 庄屋古山家

 

 宿役人の問屋役林家
 門と庭が残る本陣林家 角向こうの角
 宿の東外れ、上宿に石仏群。悪人や悪病の侵入を防ぎ、無病息災を願って建てたものとのこと。
 甚平坂、岡瀬沢、茄子川、坂本、を通り、上里の一里塚。また、双頭一身道祖神あり。
 中津川宿。ここも昔はなくなっている。中心部の本町には、本陣、脇本陣が相向かい合い、道の中央には、用水が流れていた。
 宿を出て、茶屋坂に「芭蕉句碑、すみれ塚」があった。 「山路来て何やらゆかしすみれ草」
 落合まで、1里。峠を越え、落合宿に入る手前に、落合五郎城跡あり。鳥居があり、「おがらん四社」の額が掲げてあった。落合五郎兼行は、おがらん様と呼ばれていた。

 落合五郎兼行は、木曽義仲の家来で、美濃口の押さえとして、ここに館を構えていた。平家物語にも名が出ているが、詳しく判らない人のようだ。

 落合宿。

 JR落合川駅から帰る。

 

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