16 塩尻 塩尻峠 下諏訪 長野 19km 1997/05/01 作成 2003/04/09
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JR塩尻駅から歩く。今は、この大門に町の中心が移っているが、塩尻宿は、少し東の塩尻。 大門に耳塚。耳塚様と呼ばれ、昔は耳の病気の治るのを祈った。桔梗ヶ原の戦いとか、安曇族に関係ありとも言う、と説明あり。日本海から大町を通り、この地に住み着いた人達を安曇族と言うようだ。技術を持った大陸系の人達で、銅鐸もこの人達の生産した物だろう。 |
大門神社お参り。柴宮八幡、若宮八幡の地元の昔からの神さんを集めて、大門神社として、お参りしてあるようだ。 |
阿礼(あれ)神社お参り。こちらは随分古い神社。お祭りも盛大にやるとのこと。 |
塩尻宿の脇本陣、本陣は建物なしの土地だけ。古い建物に市の文化財の指定あり。松本へ行く街道を、五千石街道と言い、また、南へは三河道があり、中山道から分岐していた。 |
永福寺お参り。茅葺きの観音堂があった。義仲の信仰した馬頭観音を祭ってある。 |
東山一里塚。形の残っているのは、ここと平出の2箇所。平出は、平出の乳松が一里塚だったかな? |
塩尻峠。見晴らしのよい峠である。諏訪湖がまぶしい。危険クマ要注意の看板と「大帝の・・・・」の句碑(解読できなかった)。 |
1060mの峠を越えて、岡谷へ。途中、旧中山道の大石(おおいし)あり。ムジナとか、追いはぎが隠れたとか、の話があるとのこと。特別に大きな石が街道際にあったためだろう。 |
石船観音お参り。馬頭観音が船の形をした石の上に祭られていたので、こう言われた。足腰に効くそうだ。 |
今井の茶屋本陣と言われる、門構えの立派な家があった。姓は今井さんとのこと。きっと、今井兼平の縁者の子孫だろう。 |
下諏訪駅近くに魁塚(さきがけづか)あり。明治維新の偽官軍と言われた赤報隊が処刑された所。維新後、この塚は直ぐ建てられたそうだ。また、子孫が運動して、名誉回復して、靖国神社に合祀されている。 |
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