18 望月 八幡 塩名田 岩村田 小田井 追分 沓掛 軽井沢 碓氷峠 坂本 横川 長野 68km 1997/09/05〜1997/09/07 作成 2003/04/16 23 長野 大井山(岩村田) 遠近神社 離山 1997/09/05〜1997/09/07 作成 2003/04/16
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9月5日
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JR小諸駅から、バスで望月へ。 鹿曲川(かくまがわ)を渡り、上り坂に掛かる。瓜生坂である。登る途中、長坂の石仏群あり。 |
頂上には、新しい、大きな中山道瓜生坂の石碑と共に、念仏百万遍塔と仏像を彫った石標があった。1700年代初め頃の物とのこと。長い間、旅の人を見守ってきた。 下りの坂は、金山坂と言うらしい。勿論、峠越えは、旧道そのもの。 |
八幡宿(やわた)本陣跡に、当時の本陣の表門、古い立派な門があった。奥まった所に、新しい門、建物が見え、最近建て替えたようだ。 |
宿外れに、八幡神社が鎮守・武神として祀られていた。立派な門あり。また、境内には延徳3年(1491年)に建立された国指定重要文化財となっている、「高良社」がある。 高良社とは周辺に定着して牧畜を営んでいた朝鮮からの渡来人の社。延徳三年(1491年)に建立。こけら茸(杉板等で葺いた)など室町時代の特徴を持った物との事。 日本は、大陸から、いろいろな人達が移住して、先住民を追い出し住み着いた。鉄などの技術と力を持っていた。先住民は、アイヌの人達と思う。 |
千曲川を渡る。相当の暴れ川。川の中に「船繋ぎ石」があった。昔、船の上に板をひいた橋、船橋を留めた石との事。 右の写真の石には、船を留める穴が開いていた。 |
塩名田宿(しおなだ)の本陣。村の文化財。 |
駒形神社お参り。國の重要文化財だ。ここも、神様は、騎乗の男女2神像を安置している。牧場関係の神様だ。 |
岩村田(いわむらだ)の手前に、相生の松あり。背の低い若木だった。 謡曲「鉢木」に「吹くや嵐の大井山」とあるが、この岩村田のことである。大井姓の人が多いそうだ。 |
5月6日
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岩村田宿出発。宿はずれの住吉神社お参り。 |
皎月(こうげつ)原 。中山道の名勝地。ここも馬絡み。昔、皎月と言う官女が居たが、勅勘を受け、ここに流された。皎月は白馬を愛し、乗り回していたが、この白馬は、天の龍馬だったので、馬共に天に上り、平尾の吾妻山の上で、「我は白山大権現なり」と言って、岩に隠れてしまったそうだ。その後、時々降りてきて馬で乗り回した跡が草が生えず、「皎月の輪」と言われるようになったそうだ。 |
小田井(おだい)宿。問屋跡2軒。 |
本陣跡にも、1700年代に増改築された建物が残っているそうだ。 |
御代田一里塚をすぎ、追分の追分、分去(わかされ)に到着。常夜灯、道標、歌碑が並ぶ、中山道と北国街道の分岐点。 「さらしなは右 みよしの左にて 月と花とを追分の宿」と歌われている。 月とは、長野更科の田毎の月、花とは、吉野の花。 |
「世の中は ありのままにぞ あられふる かしましとだに 心とめねば」 新羅亭万象(平賀源内)もあり。 |
この100m程先に、桝形茶屋つがるや、が残っていた。 追分宿、諏訪神社お参り。高札場も復元してあった。 |
宿の中程に、有名な旅館油屋があった。元脇本陣だった。広い敷地の奥に、建物があった。 雰囲気のよい旅館のようだ。 なお、油屋と軽井沢の「つるや」は、満員で泊めてもらえなかった。 |
堀辰雄の愛した石仏があった。高さ50cm程の石仏、地元の人達は歯痛止めの神様として、慕われている。 奈良のお寺さんにも、有名な首を傾げた仏さんがあった。名前を忘れた。 |
浅間(あさま)神社お参り。境内に芭蕉句碑あり。 「ふきとばす 石も浅間の野分かな」 芭蕉 |
借宿(かりしゅく)に、遠近(おちこち)宮あり。お参り。古い社。 謡曲「鉢木」に「浅間の嶽に立つ煙、遠近人の袖寒く」とある、遠近神社だ。 沓掛(くつかけ)宿にはいる。 |
長倉神社お参り。境内の裏に、沓掛時次郎の碑があり。 「千両万両まげない意地も、人情からめば弱くなる 浅間三筋のけむりの下で」 時次郎 |
離山を、左に見て、軽井沢駅へ向かう。 |
電気機関車とその連結器。電車用と列車用の両方使える連結器だった。 |
停車ホームも人で一杯だった。 私も、明日、横川からこれに乗るつもり。 |
時間があったので、旧三笠ホテルを見てきた。 |
9月7日
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軽井沢からスタート。 朝早いため、人影もない。昼になれば、人で埋まるだろう。旅館つるや。 |
芭蕉句碑あり。 「馬をさへ ながむる雪の 明日哉」 芭蕉 名古屋、熱田で作られた句らしい。予期せぬ雪の朝、一面の白銀の世界では、いつもは見慣れた馬の過ぎ行く姿も新鮮なものとして目に入ってくる。 軽井沢と見れば、峠越えの行き来を見ていると、いろいろな人が通って行く。馬まで、普段と変わり面白い。 |
碓氷峠への道。 |
見晴台付近。 |
碓氷峠。標高1200m。軽井沢は1000m、200m程登った。熊野神社お参り。 霧が出てきたので、急いで下る。横川まで800m程下る。 |
思婦石(おもふいし)。群馬の国学者関橋守(せきのはしもり)が1857年に作った物で、 「ありし代に かへりみしてふ 碓氷山 いまも恋しき 吾妻路のそら」 日本武尊の故事を詠ったものだそうだ。 |
人馬施行所跡。江戸呉服の与兵衛が間口17間、奥行き20間のお休み所を作った跡との事。 |
子持山のすそを下る。 万葉集東歌に 「児持山 若かへるでの もみづまで 寝もと吾は思う 汝はあどか思う」 陣場が原、入道くぼ、山中坂、山中集落跡(今は無人)、山中茶屋、一つ家跡。 |
座頭転がし。急坂に付いた名前。 |
碓氷坂の関所跡、899年に設置した所。 |
弘法の井戸。 覗(のぞき) 坂本宿を見下ろせる場所で、一茶が「坂本や 袂の下の 夕ひばり」と詠んだ。 |
坂本宿。ここから山にはいると、霧積温泉がある。ぜひ、行ってみたい温泉だ。次の機会に是非行こう。 |
横川に碓氷関所跡。 |
横川駅から、信越本線に乗る。電車に、電気機関車2台連結して、この坂を登るのだ。スピードは時速10km位のゆっくり登坂。トンネルも多く 、谷も深い。凄い上り坂。 1997年9月30日 横川から軽井沢間は廃止、軽井沢から篠ノ井間は地元の鉄道に変わって存続。 |
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