21 大宮 浦和 蕨 板橋 日本橋 東京 55km 1997/11/22〜1997/11/23 作成 2003/04/24 10 東京 氷川神社 轡神社 紅葉寺 1997/11/23 作成 2003/04/24
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11月22日
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JR大宮駅から歩く。 氷川神社の参道入り口を確認。昔の中山道である。 建物の切れ目のない市街地になってしまった。日本橋まで、あと30km。 |
高台橋(たかだいばし)。鴻沼用水の橋であるが、暗渠になり、用水は見えなくなっている。ここに、2体のお地蔵さんがあ った。右がお女郎地蔵、左が火の玉不動。この辺りは刑場跡で、刑死者供養のために付近の人達が建てたものとの事。 |
浦和宿にはいると、「御免 毎月二七市場定杭」の碑と小さな祠があった。市は太平洋戦争まで続いたそうだ。祠は慈恵稲荷。 すっかり、東京のベットタウン。 |
辻地区に一里塚の跡の碑があった。最近の物。 蕨宿に入る。本陣跡があった。 |
荒川の戸田橋を渡り、東京に。昔は戸田川と言い、戸田の渡しがあった。 清水坂(しみずさか)京へ上る時の最初の難所だった。また、街道で唯一富士山を右手に一望できる場所で、「右富士」と呼ばれる名所であった。坂の下には、間の宿もあった。地下鉄三田線が出来てから、すっかり変わってしまったとの事。 それでも、志村の一里塚が残っていた。 |
11/23 板橋から歩く。
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少し寄り道をして、鎌倉街道沿いの謡蹟を探索した。 板橋区氷川の氷川神社お参り。謡蹟めぐりの青木実氏の本で、石橋山で破れて安房に逃げた頼朝は、勢力を盛り返し、船橋に陣を張る。その場所が氷川神社と推定している。 |
中板橋駅近くの仲町の轡(くつわ)神社お参り。奥州で頼朝の挙兵を聞き、義経は鎌倉に駆けつけた。が、ここで、馬が風邪をひいて倒れてしまった。地元の人達が、代わりの馬を用意し、倒れた馬を丁重に葬った。その後、風邪が流行した時、この社に参り快癒を祈った処、霊験あらたかだった。 |
北区滝野川の紅葉寺お参り。門前の看板には、板橋の陣を敷いたとある。 中山道に戻り、巣鴨へ。 |
猿田彦大神庚申堂お参り。 |
高岩寺、とげぬき地蔵お参り。商店街を含めて人出が多かった。おばあさんのお地蔵さんと言う感じ。 |
江戸六地蔵の一つ、真性寺お参り。 境内に芭蕉句碑あり。 「しら露も こぼれぬ萩の うねり哉」 芭蕉 |
六義園(りくぎえん)を拝見。柳沢吉保が作った庭園。 |
ほうろく地蔵お参り。 |
東大の校舎を見ながら南下。赤門。 |
法真寺お参り。丁度、一葉忌が行われていた。樋口一葉が5歳から10歳まで過ごした通称「一葉桜木の宿」の隣に位置し、一葉関係の資料を収集し展示している。また、毎年11月23日には、文京一葉忌が催される。 |
昌平坂。 |
湯島聖堂お参り。 |
日本橋到着。約1年半を要した。上野、武蔵は開発が激しく、すっかり、昔の雰囲気が無くなっている。残念だが、やむを得ない所かな。 |
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