6 千葉 君待橋 お茶の水 亥鼻城 大日寺 来迎寺 下立松原神社 那古観音 和泉式部供養塔 頼朝上陸碑 吾妻神社 景清陣屋跡 1995/02/10〜1995/02/11 作成 2003/07/03
|
千葉県の謡蹟を2日掛けて尋ねた。電車と歩きで廻ったが、当時は万歩計を持っていなかったので、距離の記録はない。 内海側を歩いてきた。 |
JR本千葉駅を降り、少し歩くと都川に出た。君待(きみまち)公園があり、新しいコンクリートの君待橋があった。町名にも残っているそうだ。千葉常胤(ちばつねたね)が、石橋山で負けて安房に逃げた頼朝を、待った橋。千葉氏は、よく源氏に付いたと思う。頼朝は運も良かったようだ。
元は、小さな川の別位置の橋だったようだが、地元の人の尽力で、元位置には、君待橋の碑があるようだ。 謡曲「七騎落」は、頼朝の石橋山から安房に逃げた経緯が詳しく謡われている。 |
亥鼻(いのはな)城の近くに、今も水の湧く「お茶の水」がある。頼朝にお茶を献じた時の水と言う。 |
千葉氏の居城、亥鼻城を尋ねる。現在は、本丸の一部が公園となり、二の丸には模造天守閣の郷土館がある。実の城は、天主はなかったとの事。 |
千葉氏の菩提寺、大日寺をお参り。真言宗のお寺。16基の五輪塔があり、千葉氏16代の墓碑と言われているそうだ。銘文は読めないが、鎌倉から室町にかけてのもの。 |
少し南に、来迎寺あり、お参り。浄土宗のお寺。ここも千葉氏の五輪塔があり、室町時代初期のものとの事。千葉氏の嫡流は、戦国時代に滅びている。 |
房総の最先端、千倉町の下立松原神社お参り。安房に上陸した頼朝が、頼義、義家の霊を祭って武運長久を祈ったと言う。頼朝経塚があった。 |
館山市那古の那古観音お参り。真言宗のお寺。古いお寺。この観音に頼朝が平家追討を祈願した。鎌倉に 幕府を建ててから、本堂等を寄進している。 |
那古観音の裏山に、和泉式部墓があり、お参り。子供の小式部内侍(こしきぶのないし)と共にあった。供養塔としてあった。なぜここにあるのかは不明。 |
鋸南(きょなん)町の頼朝上陸地を尋ねる。石橋山で負けて、安房に逃げ、ここに上陸した。本当の上陸地点は決めがたいようだ。地元の武士の出迎えがあったようだ。頼朝は、よっぽど、期待されていた、又は、祭り上げる価値があったのだろう。 |
富津市の吾妻神社お参り。日本武尊の身代りとして走水の海(はしりみずのうみ 今の浦賀水道)に入水した弟橘姫の遺品を祭った神社。
馬だし祭(うまだしまつり)がある。神馬の鞍に幣束を付け、青年が馬の口を持ち海岸に向かって疾走する。弟橘姫の遺品が流れ着いた場所で幣束を降ろし砂に埋める行事だそうだ。 |
木更津市の景清陣屋跡を尋ねる。上総守(かずさのかみ)だった平景清の陣屋跡が、小さな神社にあった。河川改修で、今の場所に移転したと説明があった。 |
以 上 TOPへ戻る |