4 大阪 呉服神社 伊居太神社 江口君堂 西行供養塔 長柄橋 鵺堂 天王寺 1994/05/04 作成 2003/06/18
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池田市の呉服(くれはとり)神社お参り。謡曲「呉服(くれは)」でシテが「まづこの里を呉服の里と名づけ初めしも何故ぞ。われこの所に在りし故なり」。シテは呉織(くれはとり)と言う渡来人であり、この神社の神様である。秦(はた)一族である。 |
伊居太(いけだ)神社お参り。こちらは、呉織の妹、漢織(あやはとり)のお宮である。古い神社の風格のある神社。妹の方が格が上だそうだ。
多田源氏の頼光の頼光松があった。鞘堂に収まった枯れ木。源頼光が四天王(渡辺綱・碓氷貞道・ト部季武・坂田公時)をひきつれ大江山の鬼退治のとき、祈願に立ち寄ったといわれ、その時の頼光お手植えと言われている。 |
大阪、南江口の寂光寺の江口の君堂(きみどう)をお参り。昔、瀬戸内海の舟はここに着き、川舟に乗り換え、京に上った。遊女のいる港町だった。謡曲「江口」の地である。
天王寺へ詣でけるに、にはかに雨の降りければ江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ、よみ侍りける。 「世の中を いとふまでこそ かたからめ 仮の宿をも 惜しむ君かな」 西行法師 「世をいとふ 人とし聞けば 仮の宿に 心とむなと 思ふばかりぞ」 遊女妙 と返したが、泊めてくれたそうだ。謡曲「江口」では、遊女江口が出てきて、舟遊びをしている内に舟は白象になり、江口は普賢菩薩になって、白雲に乗り、西の空に行ってしまう。 遊女が菩薩になる。 |
境内に西行供養塔があった。
君堂の横は、淀川の堤防だ。海のような大川が横たわる。 |
淀川の長柄橋を渡る。謡曲「難波」「弱法師」に出てくる。今は立派な永久橋。 |
鵺堂(ぬえどう)お参り。能『鵺』の舞台。「淀川の。淀みつ流れつ行く末の。鵜殿も同じ芦の屋の。浦曲の浮洲に流れ留つて、朽ちながらうつほ舟の・・・」とある。
夜毎に鵺が現れて帝を悩ませていたが、侍臣の源頼政によって射殺された。この鵺は頭が猿、体は狸、四肢は虎、尾が蛇という姿をしていた。この鵺を丸木舟に乗せて淀川に流したところ、この地に漂着し村人の手によって埋葬された。その後、鵺の祟りを恐れた村人はこの地に祠を建て「鵺塚」と呼んでねんごろに祀った。 |
天王寺お参り。謡曲「弱法師」で「さすが名に負ふこの寺の仏法最初の天王寺の石の鳥居ここなれや立ち寄りて拝まん」とある。西大門は昔から極楽の東門と言われていた。門前が波打ち際だったので、日が沈むのを見て浄土を偲んだ。 有名な石の鳥居だ。 |
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