18 岐阜 円興

1994/07/18 作成 2003/06/21

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 岐阜青墓の延光寺を尋ねた。延暦9年最澄が青墓の大炊(おおい)氏の帰依を得て山頂に寺を創建し、聖観音像を本尊とした円興寺と号した。 その当時の七堂伽藍の金堂は七間四方の荘厳なものだった。織田信長に焼かれ、徳川に入ってから平地の今の位置に再建された。
 聖観音像は最澄が刻んだと伝えられ、國指定重要文化財となっている。本堂には、源義朝の都落ちの途中、青墓の里、朝長の母の里、大炊での絵が 掲げてある。
 荒削りの石の灯籠がったが、その意味は良く判らなかった。また、梁塵秘抄の石碑があり、何を表現しようとしていたか、忘れてしまった。
 朝長(ともなが)の墓は、山頂の元のお寺にある。

 謡曲「朝長」に朝長の最後の描写がある。「都大崩にて膝の口を射させ、とかく煩ひ給ひしが、夜更け人静まつて後、朝長の御声にて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と二声宣ふ。鎌田殿参り、こはいかに朝長の御自害候と申させ給へば、義朝驚き御覧ずれば、はや御肌衣も紅に染みて目もあてられぬ有様なり。・・・」。平家物語では、義朝に斬られたとある。

 

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