15ー1 平林寺 堀兼の井 清水八幡 三芳野神社 養寿院 常楽寺 広徳寺 大蔵館址 源義賢墓 鎌形八幡 畠山重忠館址 畠山重忠廟 畠山重忠墓 猪俣小平六則綱墓 顔振峠 埼玉
車走行 396 km 歩き 31 km 2006/12/08〜2006/12/11
埼玉県、千葉県の、残していた謡跡を探しに行ってきた。ほぼ、10年ぶり。
12月8日、いつもの通り、早出して、大宮に9時過ぎ到着。レンタカーで出発。 |
![]() ![]() 武蔵野の面影が色濃く残るお寺さんとのこと。写真機を抱えた人が沢山居た。また、旅人より地元の人が多いと見受けた。 業平塚がある。業平の東下りの跡と言う。 休憩した、門前の茶屋に中年の二人連れがいた。恋人同士という雰囲気。特に、女の方が、髪振り乱し、目はキラキラとし、夢中と見えた。見ていて綺麗だった 。不倫かな。自分の意志通り生きる人を見て、羨ましく思う。 私は、夫婦が別れしたら、年金では、両方とも食っていけない。せいぜい、少しの冒険程度だ。 |
![]() ![]() 雑木林の紅葉、落葉。 |
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![]() ![]() 死者の供養と松平伊豆守の宣伝のためと説明があった。 川越城主の大河内松平家の墓所。 |
![]() ![]() 業平塚。伊勢物語には、三芳野(みよしの 川越の三芳野と思う)の記載があり、また、福島の信夫山があるので、業平は、このあたりも歩いたのかも知れない。 「むさし野にかたり伝えし在原のその名を忍ぶ露の古塚」の歌碑が、昔、在ったと言う。今はない。 |
![]() 日本武尊が、武蔵野の地で兵の渇きを癒さうとして井戸を掘らせたところ、掘っても水は出ず、掘り兼ねた。そこで竜神に祈って水を引かせたと言う。 武蔵野の台地地帯は地下水が深い。井戸を掘り兼ねたので、 武蔵野風土記にも記載あり、有名なところだったようだ。芭蕉は来ていないようだ。 「武蔵野の堀兼の井もあるものをうれしくも水の近づきにけり」 俊成 「汲みて知る人もあらなむおのづから堀兼の井の底の心を」 西行 井の底の様な我が心内を誰か汲んでくれる人があってほしいもんだ。 |
![]() 清水八幡神社は頼朝の妻北条政子が木曽義仲の子、源義高(清水冠者義高)を供養して建てた神社。 義高は、このあたりまで逃げたが、殺されたという。頼朝政子の娘の婿だった。 この時代、真面だったのは、奥州の秀衡ぐらいと思う。後は、権力争い。 戦国の終わりの真面なのは、光秀と三成と庶民のみ。50年前まで、殺し合いの毎日だった。 今も。そうしたい人が多くいる。特に、政治家。武力を持って使わない、生き方があると思う。 今、日本人は、何をすべき、なんて考えてみた。 |
![]() ![]() わらべ唄発祥地。 「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれる。川越城築城以前から当地にあったが、城内の天神曲輪に移された。 |
![]() ![]() 伊勢物語、「たのむの雁」の三芳野村。業平笠懸松もあると言うが、今回、確認できず。 蔵の町、川越の「時の鐘」。明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。観光客が沢山いた。小江戸の町として有名。 |
![]() 河越氏は関東の豪族で、河越太郎重頼、その子重房は武蔵七党の武士と共に義経に加わっている。 重頼の娘は、頼朝によって、義経の正妻になっている。義経は、正妻を疎遠にしたので、頼朝と仲が悪くなった原因の1つとも言われている。 重房は平の重衡を鎌倉に護送している。それを扱っているのが、謡曲「千手」です。 |
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![]() ![]() ![]() 河越氏館跡。 現在、川越市、常楽寺となっている。 新しい、河越太郎重頼供養塔があった。左右には、娘(義経正妻)と義経の供養塔。 |
![]() ![]() 「景清」のしころ引きの相手、三保谷四郎の墓だ。 三保谷は、美尾屋の字が当ててあった。此方が本当だろう。 |
![]() 頼朝の父、義朝が弟義賢を殺した。義朝の長男、義平が攻めた。理由は、皆目判らないそうだ。 その時、2歳だった義仲は、斎藤実盛によって、木曽の中原兼遠に預けられた。 |
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![]() ![]() この手洗い場の後ろ。目立たない。わざと置いたか? |
![]() ![]() 畠山重忠菅谷館跡の説明板と石像があった。 謡曲には、出ていないが、頼朝に重く用いられたが、その後の政争で、北条氏に滅ぼされる。 |
![]() ![]() ![]() 銅像もあり、小さな公園となっていた。 |
![]() ![]() 畠山重忠の廟。石碑右端の碑に、重忠廟と刻まれていた。 畠山氏の資料は、余り残っていないようだ。 |
![]() ![]() 猪俣小平六則綱の墓。百八燈は、近くの山に108の塚があり、お盆に灯をともす盛大な行事がある。猪俣党の慰霊のためと言う。 一ノ谷で、平家盛俊を討ち取っている。 |
![]() ![]() 義経と弁慶が京落ちで奥州へ逃れる際、あまりの絶景に何度も振り返ったことが名前の由来、とも言う。 地元周辺では、顔振(こおぶり)や(こうぶり)、(かあぶり)と言われることも多い。 |
![]() ![]() 写真撮影の人がいた。プロらしい。声は、掛けにくかった。 これで、埼玉県は、終わり。 千葉まで行き、泊まる。予約済み。 |
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