31ー4 綿の滝 歌占の滝 白山姫神社 富樫館跡 鳴和の滝 加賀梅田 福井 石川 富山 15km 2004/05/10〜2004/05/13
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2004年5月12日
今日は、天気良し。 白山は謡曲や万葉集に良く出てくる。信仰の山。 謡曲「藤」に「雪晴るる白山風も長閑にて・・」、謡曲「歌占」に「雪み越路の白山は夏陰いずくなるらん・・・」、謡曲「仏原」に「よそは梢の秋深き雪の白山尋ねん ・・・」。 謡曲「歌占」は、白山の麓の神官の話、その謡蹟を尋ねた。 |
義経記の一部
判官其日篠原に泊り給ひけり。明けければ齋藤別当実盛が手塚太郎光盛に討たれける、あいの池を見て、安宅の渡を越えて、根上の松に著き給ふ。是は白山〔の〕権現に、法施を手向くる所なり。いざや白山を拝まんとて、岩本の十一面観音に御通夜あり。明くれば白山に参りて、女体后の宮を拝み奉らせて、其日は劔の権現の御前に参り給ひて、御通夜ありて、終夜御神楽参らせて、明くれば林六郎光明が背戸を通り給ひて、加賀國富樫と云ふ所も近くなり、富樫介と申すは当國の大名なり。鎌倉殿より仰せは蒙らねども、内々用心して、判官殿を待ち奉るとぞ聞えける。 岩本の十一面観音(岩根宮)、女体后の宮(白山比盗_社)、劔の権現(金剱宮)、加賀國富樫(野々市町)を尋ねた。 |
手取川は白山を水源にしている。白山を水源とする川は、九頭竜川(福井)、荘川(富山)、長良川(岐阜) ここ鳥越村は、一向一揆の最後の砦となった鳥越城があった。一向一揆野村の看板があった。 |
白山をご神体としてきた古い神社。加賀一宮。国立公園白山は奥の院で3000haの境内があり、冬を除いた6ヶ月間登拝のため開山しているとのこと。 本殿。 |
「風かをる越の白嶺を國の華」 芭蕉 |
余りにも小さい滝で、見落としした。改めて南に下がり見つけた。高さ2m弱。謡曲史跡保存会の看板があった。 謡曲「歌占」は、この滝の上に住吉宮があり、歌で占う神官がいて、よく当たると言って評判だった。 ある時、この地に、父親を訪ねる子供がやってきた。村人は、宮に連れ行って占って貰う。小弓に付けた短冊を引かせると、既に会っていると出る。神官は驚き素性を尋ねて見ると、自分の子であった。村人は、再会を祝し、舞を所望する。神官は舞終わって、故郷の伊勢の国二見浦へ帰って行く。 伊勢の国二見浦の神職と言うが、どの神社かは、不明。二見輿玉神社かな。 |
本堂は、工事中だった。 「義経腰掛石」あり。 |
亀石は、説明が無く不明。、 |
辰口町岩本 県道から少し入った集落の中。駐車場無し。 鎌倉時代の「白山之記」に「岩根宮・宝殿拝殿・講堂・鐘楼、小社 巨多也 但奥宮ニ白鳥云 尼神也」 と沢山の建物があった様だ。 白山比盗_社の三社〔金釼宮、別宮、岩根宮〕の一つ、岩根宮の址だそうだ。なお、別宮は鳥越村にあるようだが、行かなかった。鳥越城の向かいとのこと。 境内に「義経通夜記念の碑」あり。義経記に「いざや白山を拝まんとて、岩本の十一面観音に御通夜あり。明くれば白山に参りて・・・」とある。 「通夜」:神社仏閣に参籠して終夜祈願すること。おこもりの事。 |
野々市町本町 北陸鉄道野々市工大前駅前。小さい駅で駐車場無し |
富樫氏が、富樫郷の総社として崇拝した富樫郷住吉神社が、他の八幡社を合祀して、今は、布市神社となっている。 境内に、「弁慶の力石」 。弁慶を富樫館に遣わした時、毬のように扱った石だそうだ。江戸時代、日照りの時に、農民が担ぎ廻ると雨になったので、「雨乞石」とも言ったそうだ。 |
平安中期の三十六歌仙の一人、猿丸太夫を祀った神社だ。猿丸太夫がここに逗留したとのこと。 「笠舞」と言う地名も太夫の笠が風で急に舞い上がった事から付けられたそうだ。 神戸には、墓所がある。 |
最後は、30分程度歩き、山裾にある住宅地(細い道が沢山ある所である。新しい家が多かったが、古くからの集落のようだった)の一番奥の山裾にあった。 自動車道に面した春日町に大きな石碑があった。これを見付けるまで30分以上を費やした。 写真:電柱と家との間に石碑。 |
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鳴和の滝の石碑。 謡曲「安宅」に「鳴るは滝の水。日は照るとも絶えずとうたり、・・・・」とある。 平安末期頃から流行った今様歌の1つだそうだ。 |
謡曲「鉢木」の主人公佐野源左衛門常世が、西明寺時頼から貰った土地である。その時貰った土地は、本領佐野の庄、三十余郷を返して貰い、加賀の梅田、越中に桜井、上野に松井田である。 常世は、雪の日に、北条時頼と知らずに、僧を家に泊め、秘蔵の松竹梅の鉢の木を焚き、暖を取った。その後鎌倉に帰り、時頼は常世の忠誠心を試すだけの「勢づかい」を行い、そのお礼をみんなの前で行った。 余談ですが、この常世の子孫が、私の故郷、静岡県島田市に、現在、在住しているらしい。 |
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