17 方広寺 煉瓦の家 六波羅探題跡 六波羅蜜寺 珍皇寺 建仁寺 都おどり 双林寺 西行庵 鳥辺山 2000/04/29
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ここ数年行こう行こうの都おどりでしたが、漸く今回、千秋楽の1日前の今日、行けることになりました。久しぶりの東山の歩きを兼ねて京都駅から往復ののんびり歩きのスタートです。
例の大鐘のお寺さんです。今まで、素通りに近かったので気が付きませんでしたが、「国家安康」「君臣豊楽」が白く色入れされて見やすくなっていました。徳川幕府が、よくこの字を見つけたものと感心し、また、まじまじと大きな鐘だなあと見上げて来ました。 |
初めての紙巻きたばこを作った所との説明がありました。現在の家主さんが、増設したらしい新しい煉瓦のアパートが裏にあり、古い物を大事にしてくれて居るんだなと感じ入りました。 |
少し行くと、洛東中学の校門。以前、この校内に何かあり、探そうとしたが、その時は学校の改修などの工事中で諦めた事を思い出した。 校門を入って直ぐの所に、平氏六波羅探題の跡の小さな石碑があった。 |
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席は2階の4列目、まあまあの場所だ。丁度時間に開演。満員だ。舞台一杯の舞妓さんとお姉さんの舞と、言葉の無い芝居で春夏秋冬の舞台であった。切りの良い、変化のある舞で、1時間飽きずに見ることが出来た。 |
西行さんのお寺さん。ここに、俊寛と共に鬼界が島に流された平康頼、室町時代の歌人頓阿、そして西行さんの3基の墓がある。近くに、西行庵、芭蕉庵あり。今は小さくなってしまったが、昔は大きなお寺だったと思われる。 二年坂、三年坂を通り清水寺へ。「熊野」「御法の花も開くなる経書堂(きょうかくどう)はこれかとよ」の経書堂をお参り。 仁王門の前の「熊野」「車宿り、馬留め(くるまやどりんまとどめ)」を拝見して、門前で清水さんに頭を下げ、南よりのお墓の道を降りる。 この道の両側は、今の人達のお墓が、坂を下りきるまで続く。ここが、平安以降の葬送の地の鳥辺野、鳥辺山だ。午前中の六道の辻、珍皇寺もお葬式の関係のようである。 坂の途中のお寺さんの山号が鳥辺山だった。 東山五条の交差点を南に下り、京都駅東の跨線橋近くの中華そばのいつも混んでいる店でラーメンを食べ、今日一日の終わりとする。16時でした。 |
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