16 城南離宮 羅生門跡 東寺 寺田屋 2000/03/20
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久しぶりの京都を歩いてきました。地下鉄で竹田へ。すっかり町になって舗装道路を10分ほど歩くと、安楽寿院。
鳥羽上皇念持佛の阿弥陀如来像を拝見のつもりが、公開されていないお寺さんの様で、戸が閉まっていた。事前に電話しておけば良かったのにと反省。 外回りを拝見し、鳥羽天皇陵、近衛天皇陵、白河天皇陵を参拝した。少し冷たい早い朝の梅にメジロが二羽遊んでいた。しばらく眺めていた。 |
あの保元の大乱の人々である。崇徳上皇は負け、讃岐へ。勝ち組の後白河天皇は美福門院と組んでいた。近衛天皇陵は鳥羽上皇が自分と並べて近衛天皇の母である美福門院のお墓とするつもりであったのが、どう言う訳か美福門院は高野山に葬られた。
四国遍路の途中、崇徳院、美福門院の陵とも、お参りしてきた。また、高野山の麓の天野の里に、崇徳院、後白河天皇の母の待賢門院のお墓と言う物があった。勿論、その土地の言い伝えだと思うが、これも丁寧にお参りしてきた。 |
安楽寿院は城南離宮の東殿を寺にしたと説明書きにあり。南殿は鳥羽殿と言い、西行さんが北面の武士として仕えた所のようです。
1kmほど西に歩き、城南宮をお参り。きれいな庭を拝見。こちらは人出が多かった。 謡曲では「忠度」「城南の離宮に赴き都を隔つる山崎や」、「融」「木幡山、伏見の竹田淀鳥羽も見えたりや」と謡われている。昔から交通の要衝で、離宮の在ったところから、歩きの良い目標物だったのかなと思う。 |
近鉄丹波橋で京阪に乗り換え、中書島で降り、伏見の寺田屋による。
柱の刀傷、竜馬の部屋、など見学。大変な人出。お寺さんより人気があるようです。月桂冠の酒作りを見て桃山御陵前駅へ。 東寺駅で降り、羅生門跡へ。今は、羅生門遺跡の石柱が立ち、小公園となっている。 謡曲「羅生門」がある。春の長雨の寂しい折柄、頼光らが酒宴を催している時、羅生門に鬼が住んでいる話となる。これを聞いた渡辺綱が退治に出かけ、腕を切り落とし名をあげる筋です。 |
東寺を参拝。空海、真言宗のお寺です。講堂等の拝観にお金が必要だった。以前は取らなかったと記憶しているが。
謡の「東方降三世。南方軍茶利夜叉。西方大威徳。北方金剛夜叉明王。中央大聖。不動明王」の仏さんが講堂に鎮座していた。五重塔、我が国最大、最高の塔とのこと。 羅生門の渡辺の綱は勇み立って、「鐘も聞ゆる暁に東寺の前をうち過ぎて、九条おもてにうって出で、羅生門を見渡せば」となるのである。
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