12 鎌倉 遊行寺 義経首塚 白旗神社 木曽塚 梶原景時墓 源太塚 18km 2001/07/22
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鎌倉街道を歩き始めましたが、遊行寺のお参りと遊行寺の川田順歌碑、街道を外れた謡蹟を尋ねるために今日は歩くことにした。 藤沢駅を降りて、北へ1kmほど歩くと、遊行寺である。先回、東海道歩きのとき寄った。境内は覚えがあるが、周りの道などはさっぱり覚えがない。まずはお参り。開祖の一遍上人は一生を歩いた人と覚えているが、本堂、庫裏、門構えが立派だった。 謡曲「遊行柳」のワキ遊行上人はこの寺から旅に出ている。北関東の遊行柳の地で、朽木柳の精に会う。西行の歌「道のべに清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちとまりつれ」の歌と遊行の僧と結びつけた曲である。 |
境内は広く、一遍上人の立ち像あり。歌碑がどこか分からず、庫裏に尋ねたらば、丁寧に教えてくれた。 川田順の歌碑もあった。石に刻まれた字が判読できず、写真に撮る。 |
白旗神社に向かう。義経の首は腰越の浦の首実検の後、この白旗神社に葬られたと説明文があった。また、遊行寺との途中に義経公の首塚の碑と首洗いの井戸があった。 |
藤沢駅に戻り、大船駅まで行く。大船5丁目の常樂寺には、木曽義仲の子清水冠者義高の塚がある。義仲が死んだとき、鎌倉を逃げ出したが、殺されているらしい。寂しい感じの墓だった。 |
鎌倉市梶原1丁目の深沢小学校構内の山の際に、「梶原景時墓」があった。丁度、大阪池田の児童殺傷の事件後のためか、門がすべて閉じてあり、ようやく1つ開いているところを見つけ、黙って入り、お参りしてきた。梶原一族は、静岡の狐ヶ崎で、皆殺しにあっている。 |
鎌倉市笛田に仏行寺があり、その裏山に景時の子、梶原源太景季の塚「源太塚」があった。きれいに整備された塚があった。山に少し登った場所のため、風があり、裸になって小休止した。汗をかいた後のため、実に涼しく気持ちよかった。だだし、気温は30度を超えていたはず。 謡曲「箙」のシテである。 |
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