10 静岡 浮島ヶ原 愛鷹山 千本松原 霊山寺 黄瀬川対面石  柿田川

 1992/12/06 作成 2003/05/23

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 浮島が原は、沼津市から富士市にかけて東西に帯状に広がった湿原である。今は、排水が完備し、浮島の面影はないが、長い治水の歴史があった。

 湿原の北には、愛鷹山がそびえ、あまりに立派な富士山に隠れて、余り関心を寄せないが、謡曲「羽衣」には、「天の羽衣浦風にたなびきたなびく三保の松原浮島が雲の愛鷹山や冨士の高嶺かすかになりて・・・」とあり、昔から知られた地であった。金春流、金剛流には 能「冨士山」がある。

 沼津には、数十万本の松が連なる、千本松原が海岸に沿ってある。鎌倉時代の文献にも記述があるそうだ。何回か、消滅の危機があったが、今に続いている。

 平維盛の長男、六代は、ここ千本松原で斬られそうになったが、上覚上人が頼朝の教書を持ってきて助かった。観世流の三曲「初瀬六代」は、この六代の身を案じた母親が大和初瀬の長谷寺に参籠して悲しみと喜びを詠った物。

 沼津の霊山寺に平重盛(清盛の長男)の墓があるとの事で出かけた。三基の五輪塔があったが、昭和31年五輪塔の内部を調査した所、南北朝時代の僧侶の墓と判明した、と説明文にあった。平家都落ちの時、一門の墓を移したらしく、いつの間にか、この墓も重盛の墓になってしまったのだろう。

 清水町の八幡神社に、黄瀬川対面石あり。義経が奥州から駆けつけ、頼朝が、涙を流して喜んだ対面の場所。石が2つあり、綺麗に整備されていた。

 清水町には、富士山の伏流水の湧き水を水源にした、柿田川があり、莫大な量の湧水を見てきた。

 もこもこと砂と共に伏流水を吹き上げ水面を盛り上げていた。1日100万トンの水量。古い溶岩は水を通さず、新しい溶岩は、水を通すので、富士山に降った水が何年もかかり、その溶岩の中を通り、裾野で吹き出す。自然の恵み。

 

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