14 山形 王祇祭黒川能

16km  2002/01/31 〜 2002/02/02

能舞台の名所・旧跡へ  舞台美術館の鑑賞


 

 櫛引町の王祇祭に参加してきました。当日は観光客としてではなく、お祭りを構成する一人として参加くださいとの趣旨を了解のうえの参加です。300人の応募があったが、収容人数から90人の参加に絞ったとのことでした。

 1/31 新宿23:09発の夜行電車「ムーンライトえちご」で鶴岡へ。1番バスには間に合わなかったので、また、地元の受付開始は9時からだったので、しばらく休む場所を探した。 夜行バスの人と一緒になった。

 駅で尋ねると、バスのターミナルに待合室があり、椅子があるから、休むに良いと教えてもらい、少し歩いてゆく。雪が凍り、滑る。へっぴり腰で歩く。

 次のバスまでは3時間待ち。9時前であったが、地元の受付に問い合わせしてみると、すでに受け入れは出来ている。仮眠も出来るから来いとのこと。タクシーを呼んでもらった。

 受付は地元の公民館だった。研修室が仮眠所、受付所。名前を名乗ると準備良く、書類など渡され、注意事項なども教えてもらう。 読んでみると、書類は読めば判る様になっている。

 凍み豆腐を頂く。名物とのこと。凍み豆腐は今夜の神事でも沢山使われるようです。

 仮泊所、食事、解説書は、事前に申し込み済み。写真撮影の許可腕章、参加名札を貰い、昼まで仮眠を取ることとした。慣れない夜行で、少し眠い。

 午後、春日神社をお参り。

 一面真っ白の中で、真直ぐ除雪されて黒々としている道の端を、へっぴり腰で1.5kmほど歩く。本殿の隙間から中を覗くと、舞台があった。

 神社際に、黒川能伝習館があり、拝観する。能舞台があり、狭いが見所もある。能面、衣装などが展示してあった。

 面、衣装とも、現在能のものとの違いは判らなかった。黒川能は、世阿弥以降のものとのこと。現在5流とは、全然別に地元の人達が支えてきた、生活に密着したものだとの説明があった。 それにしても、どんなエネルギーが続けさせたのだろう。

 上座、下座の家を確認するつもりが、時間がなくなり、受付所に戻る。

 3時。日程、注意事項などの説明。夕食の配給があり、持って出かける。食べながら見てよいと説明があり。お酒が1本付いていた。

 4時30分までに各座に案内された。私は、上座。先ほどの春日神社の先でした。

 公民館が、舞台。最近は家が小さくなり、上座は、今年、公民館になったとのこと。おかげで多くの人に見てもらえると地元の方が言っていた。 昨年は40人だったそうですので、今年は倍以上だったわけだ。

 舞台は、板敷きの組立舞台。どこへも運べるようになっている。前に、祭壇があり、舞台の周りには大きなローソクが7本ほど立っていた。

 舞台の前の祭壇は、多分、ここへ迎えた神様がおわす所であろう。着いてまもなく、舞台の裏の楽屋にこの祭壇が引越しした。いろいろ意味があるのだろう。

 6時、演能始まる。見所は、名札を首に下げている我々と報道機関の人達。地元の人、それに地元の人かどうか判らない 名札の無い人たちで、いっぱい。立つことも座ることも出来ない。

 写真を撮るため。 よく見える前の席を外し、後ろの壁際に移動する。地元の親戚席の表示の近くに居座る。レンズは望遠があるので、取り替える。フラッシュは禁止。NHKのテレビが、腰を据えてじっくりと撮影の構え。

 演能が始まる。大地踏(だいちふみ)。6歳の男の子が舞う。

 標縄を付けた白木の棒3本を紐で連ね、白布を付けて、開くと扇方になる、ご神体である。途中から、これが舞台に出てくる。幼児と一緒になり、いろいろな所作があった。 これが王祇祭(おうぎさい)の名の由来とのこと。

 後見が、実に良く面倒を見る。邪魔にならない程度に、面倒を見る。忘れた言葉を投げ返す。子供の動きがギクシャクするとすぐ立って、舞台に出て、子供を導く。これが後見の本当の役だろうと思う。

 続いて、三番叟(さんばそう)。白い尉の面、 白式尉(はくしきじょう)、黒式尉(こくしきじょう)の面を付けたり、外したりの所作あり。足踏みが多い。五穀豊穣を祈る、祝いの舞。

 能「絵馬」。

 老人夫婦が雨の絵馬と照りの絵馬を互いに掛け争ったが万民のため両方を掛けることになる。後場は天照大神ら3神が現れ、舞を舞い、天照大神が作り物の中に入って、天の岩戸の話をし 、天下泰平を祝福する。

 

 筋を承知しているので所作を見ていれば、大体、判るが、役謡(やくうたい)は全然判らない。地謡(じうたい)は台本を見ていれば、大体理解できるが、訛りのある発音と共に、言葉にしない謡い方のため判りにくいためかなと思う。

 狂言「末広」

 末広だと騙され傘を買って怒られる例の話。役の言葉は、訛りがあり、判りにくかったが、少しは理解できた。それにしても、わざと言葉にしていないように思える。

 言葉を伸ばすと語尾は母音になるが(生み字と言う)、その母音のみで歌っているように思える。言葉の調子だけで歌っているように思える。

 京都の「壬生狂言」、「嵯峨念仏狂言」、「エンマ堂狂言」、岐阜根尾村の能郷能、など、パントマイムが主ですが、民間の伝承、 プロ化しない芸能は言葉を失うのでしょうか。

 能「獅子」

 文殊菩薩:普賢菩薩と共に釈迦如来の脇侍で、獅子に乗って仏の左側に侍す。

 久世戸の文殊が獅子に乗って居ないので、釣りしている老人に尋ねると、「獅子を探しに行っている」と答え消え失せる。後場は国中探すが居ないので、天竺に行ってみると、沢山の花の中で戯れている獅子を見つけ連れて帰ってくる、と言う筋。

 観世流に「久世戸」と言う曲があるが、少し違うようです。

 ここまで拝見して、2時。

 眠気がしてきたので、後は諦め、宿所に戻ることにした。帰りに、下屋に寄ってみたが、こちらは、一般の家で、人で一杯であり、割り込み写真を撮る余地は無かった。 すぐ引き返す。

 後、能「遊行柳」「道成寺」「羅生門」「春日龍神」と良く知れた曲が続くが、諦めた。

 明け方まで続くとのこと。その後神事があり、2日は、春日神社での演能がある。

 2日朝、4時間ほど寝る。割合、頭すっきりである。食事をして、帰る準備を始める。春日神社の神事,演能は、今回は、欠席。

 もう1度、来たいと思っている。その時は、2泊3日以上の予定で来ようと思う。写真撮りは二の次にして、見に来ることにしよう。春日神社神事も2日夕方まで、しっかり見せてもらおう。

 10時の特急に乗る。新潟から新幹線。

 越後の山越えの雪山、冬の富士山を見るつもりが、目が覚めると、どの電車も降りる駅になっている。9時間ほどの乗車時間は居眠りの時間となってしまった。

追記

 今回の費用の約1割を、ユニセフに寄付しました。800人の子供の命が救われるようです。

 出来るだけ、他人に迷惑を掛けないで、我慢しないで、自分のやりたいことを、やること。

 出来る間は、ほんの少し、他の人が助かることをすることを続けること。遍路道の草刈も、その1つです。

 

以    上        TOPへ戻る