8 大阪 田蓑神社 天王寺 松虫塚 住吉大社 すみのえ 浅沢神社 遠里小野橋 仁徳天皇陵 信太の里 蟻通明神 関西空港 1995/08/09〜1995/08/10 作成 2003/06/25
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電車の乗り継ぎで大阪の謡蹟を尋ねた。 |
天王寺の西に「田蓑」の地名があったようだが、地図で調べても見つからない。 |
天王寺と聞けば、謡曲「弱法師(よろぼふし)」が直ぐ出てくる。「さすが名に負ふこの寺の仏法最初の天王寺の石の鳥居ここなれや」の文句がある。
父に捨てられた子が、盲目になり、弱法師と呼ばれる乞食に落ちぶれ、芸を見せ天王寺で暮らしている。しかし、梅の香りに心を止め、悟りを開き得た所がすでにあった。父親は、人の讒言を信じて追放したが不憫に思い探しに出て、天王寺で再会し、故郷、高安の里に帰った。
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この塚の説明に、古来数々の伝説があるとして、この謡曲の松虫。松虫、鈴虫の姉妹の女官の話。才色兼備の琴の名人と言われた女が、鈴虫の自然の音に及ばないと琴を捨てた話。阿倍野の男が松虫の音を、生涯友として辞世の歌を残し て死んだ。の4つが示してあった。 古今集の序に「ふじのけぶりによそへて人をこひ、松虫のねにともをしのび・・・」とある。謡曲「松虫」は世阿弥の作だが、古今集から構想を得たらしい。 |
第一本宮 底筒男命(そこづつのおのみこと)、第二本宮 中筒男命(住吉大神、なかづつのおのみこと)、第三本宮 表筒男命(うわづつのおのみこと)、第四本宮 息長足姫命 (神功皇后、おきながたらしひめのみこと)、合計4つの同じ型の社がある。田蓑神社も同じ神様だ。 |
「升買って 分別かわる 月見かな」 芭蕉 住吉神社の「宝の市」で、名物の「升」を買ったが、弟子が予定したその晩の月見に、体調を崩し欠席した。本当は、分別が出てきて月見に行かなかったのではない。具合が悪くて行けなかったのである、の意味。今回、始めて知った。分別は思案をめぐらすの意味か。 |
住吉神社の近くの浅澤神社お参り。謡曲「富士太鼓」のシテ(楽人富士の妻)と子方(その子供)を祭った社と言われている。
「富士太鼓」は、天皇に召された天王寺の太鼓打ち浅間と、腕に覚えのある住吉の太鼓打ち富士が押しかけ競ったが、「信濃なる浅間の嶽も燃ゆなれば富士の煙のかひやなからん」というように富士が上だが、太鼓は浅間が上手と判定があった。富士が生意気に振舞ったらしく、浅間は富士を殺してしまった。富士の妻と子はこれを知って、狂い、敵は太鼓と打って悲しむすじ。 敵討ちは太鼓に向かいした。 謡曲「梅枝」はその後日談で、シテ(楽人富士の妻)は、毎日、夫の太鼓を打って心を慰めていたが、死んでしまい、その執心を弔えと僧に言って消えうせる。僧が読経していると妻の亡霊が夫の衣装をつけて出てきて、愛着の執心を述べ、懺悔の舞を舞 い消え失せるすじ。 |
謡曲「雨月」に「げに村雨の聞ゆるぞや。遠里(とおざと)小野の嵐やらん」とある。謡曲「岩船」にも「遠里小野の草葉まで、君の恵みによも漏れじ・・・」とある。 |
安部保名(やすな)は狩人に追われた白狐を助けたが、怪我をした。白狐は「葛の葉」と言う女に化けて介抱し、仲良くなり、子をもうけた。子が5歳になった時、正体がばれ、「恋しくば尋ねてみよ和泉なる信夫の森のうらみ葛の葉」歌を残し、信夫の森に帰ったそうだ。この子が成長して晴明になる。 |
「葛の葉の面みせけり今朝の霜」 芭蕉 「秋風はすごく吹くとも葛の葉のうらみがほには見へじとぞ思ふ」 和泉式部 境内には、樹齢2000年以上の楠があり、根本で二つに割れているので、夫婦楠とも言い、枝ぶりが四方に繁茂しているので、千枝(智恵)の楠とも言う。又清少納言の草紙に「森は信太森」と記して以来、和歌の題となっている。 |
紀貫之は玉津島明神に参る途中、蟻通明神の境内を下馬せずに通行したため、馬が暴れだし落馬した。このとき頭上の冠をとばし、そばの池に落ちた。(この池を「冠之淵」と呼ぶ小さな池があった) このとき、非礼を感じて、知らぬとは言え、ご無礼をした、と詫び、歌を奉納し、危難を逃れたそうだ。 「かき曇り あやめも知らぬ 大空に ありとほしをば 思ふべしやは」(曇った空に星があるとは思いませんでした。蟻通明神があるとは思いませんでした)。謡曲「蟻通」がある。この物語をとおして蟻通明神を讃え田内容だ。 |
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