22 新潟 松山鏡 雲洞寺 良寛生誕地橘屋跡 国上寺 五合庵 弥彦明神 瓢湖 春日山神社 市振の長円寺 上路の山姥の里 境川 1996/12/29〜1996/12/30 作成 2003/07/25
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温泉への道は雪がほとんど無く、車は快適に走り松之山に着いた。温泉の人達は雪の少ない年越えと言っていた。ここは、有数の豪雪地帯。スノータイヤを着け、雪道の経験も少ないので、慎重に運転して行ってきた。
松之山温泉に泊り、松山鏡の鏡ヶ池を尋ねた。雪が深く、石碑まで行けなかった。 |
塩沢町の雲洞寺(うんとうじ)お参り。この寺
は平安時代初期、尼僧の姿をした藤原房前(ふさざき)大臣の母がこの地の村人の病気を祈願平癒したので、感激した村人が庵を作ったことに始まる。尼僧亡き後、房前
大臣が訪れ、庵跡に母君の菩提を弔うため薬師如来を本尊とする金城山雲洞寺を建立したとの事。
境内は、拝観料を納め、見せていたので、墓を見せてくれと頼んだが、断られた。 |
良寛生誕地橘屋跡を尋ねる。良寛の生家、橘屋の跡である。良寛堂が建っている。良寛さん の面倒を見る人達が沢山居るようだ。 |
國上山(くがみやま)の國上寺(こくじょうじ)お参り。真言宗のお寺。謡曲「小袖曽我」、「禅師曽我」に出てくる。「禅師曽我」は、国上寺が舞台である。曾我兄弟の弟がここにいたらしい。「越後の一の寺」とも言われている。 |
五合庵を尋ねる。良寛が20年住んだ所。 |
弥彦山の弥彦神社お参り。「越後の一の宮」。義経達 は、ここをお参りして、念珠ヶ関(ねずがせき)に向かった。 |
水原(すいばら)町の瓢湖 (ひょうこ)を見てきた。餌付けに成功したんだそうだ。鴨、白鳥が凄い量、すべて、野鳥だ。 |
直江津、今の上越市の越後国分寺を訪ねたが、場所を特定出来ないで居るとの事。あった事は間違いないが、確定出来る証拠がないの意味。
五智(ごち)に国分寺を訪ねてお参りしてきた。謡曲「柏崎」に「柏崎をば狂い出で越後の国府に着きしかば・・・」とある。 |
上杉謙信の居城春日山を訪ねた。城趾には春日山神社がありお参り。 |
親不知をあっという間に通り過ぎ、青海町(おうみちょう)市振(いち
ぶり)の長円寺(ちょうえんじ)をお参り。芭蕉は、ここで伊勢詣りの2人連れの遊女と同宿、旅の心細さから、道連れを切望されたが、断った。しかし、別れてからも遊女の心情を思いやり「哀れさしばらくやまざりけらし」と書いている。
作り話という見解もあるようだ。
「一つ家(ひとついえ)に 遊女も寝たり 萩と月」 芭蕉 |
青海町上路(あげろ)の山姥(やまうば)の里を尋ねた。大きな案内看板あり。 親不知が荒れた時、この上路を通った。 |
山姥神社お参り。金時手玉石あり。お手玉代わりに 使った石との事。金時の話もあるようだ。 |
又、石碑が幾つかあった。山姥の研究で知られる月橋氏の山姥の里石碑、小学校跡の句碑、作った人と内容の読めない山姥の碑。 |
謡曲「山姥」は、舞の上手な都の「百万山姥」と言う遊女が善光寺詣りの途中、上路の山中で、本物の「山姥」に会い、山姥は舞の奥義を教え名残を惜しんで、「山また山を山廻りして何処へともなく去ってゆく」 のがすじ。山姥は、仏教の奥深い教えを悟った鬼女(と言うより仙女だ)、また、村人に敬愛された心優しい仙女で、四季の風光を賞する優雅で神秘的な存在だった。 |
越後と越中の境成る境川の上流の1つが上路川。暴れ川らしい雰囲気の川だった。百万山姥はこの境川に着きにけり、から話が始まる。 |
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