11 神奈川 最明寺時頼墓 海蔵寺 化粧坂 景清塚 銭洗弁天 佐助稲荷神社 寿福寺 岩船地蔵 冷泉為相墓 鶴岡八幡 頼朝墓 文覚上人邸跡 宝戒寺 土佐坊邸跡 日蓮上人辻説法跡

1998/09/05 作成 2003/08/17

西行・一休など    能舞台の名所・旧跡へ


 

 初めて降りたJR北鎌倉駅から歩く。金曜日の出張だったため、1泊して、 土曜の朝、東京を出た。新宿駅で、新宿から乗り換え無しの鎌倉行きの電車を発見し、それに乗った。渋谷、西大井、新川崎、横浜の横須賀線経由の、宇都宮発の電車だった。空いていた。 1時間ほどで着いた。
 明月院お参り。紫陽花のある石段を上がる。北条時頼の建てたお寺、最明寺旧跡で ある。今は明月院のみ残っているとの事。臨済宗のお寺さん。
 紫陽殿(本殿)、最明寺時頼の墓をお参り。血で血を洗う鎌倉幕府、北條執権体制を確立した人だ。謡曲「鉢木」では、諸国徘徊の坊主で、登場する。「ああ降ったる雪かな・・・」で登場し、雪で往生 する。落ちぶれた東国武士、佐野源左衛門常世が、1度断った泊を考え直して、後を追い、

 「なうなう旅人お宿参らせうなう。余りの大雪に申す事も聞こえぬげに候。痛はしの御有様やな。もと降る雪に道を忘れ、今降る雪に行き方を失ひ一所に佇みて袖なる雪をうち払ひうち払ひし給ふ気色、古歌の心に似たるぞや。「駒とめて 袖うち払ふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮」・・・」とある。

 海蔵寺お参り。謡曲「殺生石」のワキ玄翁(げんのう)和尚の開基。 金槌の大きいのをゲンノウと言うが、これは和尚が、殺生石を二つに割った事から来ているそうだ。底脱(そこぬけ)の井があった。鎌倉は井戸が多い。
 源氏山公園を通り、化粧(けわい)坂を登る。短いが急な坂だった。化粧坂はかつての「七切り通し」の一つで、なかでも化粧坂は市街地から直接抜けられた ので、幾多の戦乱の舞台となり、新田義貞の鎌倉攻めの際は主戦場になったと言う。
 景清窟あり、平悪七兵衛景清は頼朝の命を狙った。謡曲「大仏供養」では、景清が大仏供養に来た頼朝を狙う話。鎌倉に捕らわれ石牢に閉じこめられた話が本当かどうか判らないが、ここがその石牢のあった所。石の上の石塔には、「水鑑景清大居士」と書いてある。
 銭洗(ぜにあらい)弁天をお参り。源頼朝に、巳年の、巳の月、巳の日の夜、この福水で神仏を供養すれば天下泰平に治まる 、と言う夢のお告げがあり創建した。その後、北条時頼が霊水で金銭を洗い、一家繁栄を祈ったので、銭洗信仰が始まったとの事。
 佐助稲荷お参り。頼朝が伊豆蛭ヶ小島に流されていた時、この稲荷が挙兵を勧めたと言う。助殿( すけどの 頼朝の事)を助けたので、佐助稲荷と言うそうだ。
 寿福寺お参り。頼朝の父親義朝の邸跡に建てた臨済宗のお寺。頼朝の妻、北条政子が作った。政子、実朝親子の墓あり。実朝は源氏最後の将軍だった。鎌倉時代、特有のやぐら(岩を掘って、貯蔵場所にした。)の中にあった。
 高浜虚子の墓があった。大佛次郎の墓もあるとの事。
 亀ヶ谷切り通しへの道とのT字路に岩船地蔵があり、お参りする。頼朝の娘、大姫の念持仏と言う。大姫は不幸な女だったらしい。
 浄光明(じょうこうみょう)寺お参り。頼朝の発願で、文覚 (もんがく)上人が不動堂を建てたのが始まりだ。足利尊氏、直義兄弟の帰依が厚かった。網引地蔵が、やぐらの中に鎮座していた。
 ここに、冷泉為相(れいぜいためすけ)の墓がある。謡曲「六浦(むつら)」に、為相が、先駆けて紅葉している、横浜金沢の称名寺の楓に、「いかにして この一本に しぐれけん 山にさきだつ 庭のもみじ葉」 と詠んだので、この楓は青葉のままで紅葉しなくなった話がある。「十六夜日記」の阿仏尼の子、祖父は定家。

 玉垣は水戸光圀が寄進した物との事。

 鶴岡八幡宮お参り。頼朝の先祖、源頼義が創った。頼朝は幕府を開いた時、今の地に移している。石段の左の銀杏の木は、頼家の子公暁(くぎょう)が、ここに隠れ、叔父である、将軍実朝を殺した。

 頼朝を訪ねた西行が、金の猫を貰ったが、門前で遊んでいた子供にやってしまった話がある。

 頼朝の法華堂跡にある白旗神社の横を登ると、頼朝墓あり。お参りする。
 頼朝の父義朝と家来の鎌田正清の遺骨を鎌倉に運んだのが、文覚(もんがく)上人だ。滑(なめり )川に架かる大御堂橋を渡った所に文覚上人邸跡の板碑がある。板碑のみである。
 宝戒寺お参り。後醍醐天皇が北条氏の霊を慰めるために、北条得宗邸あとに建立し、 後、足利氏に所領を安堵された。義朝の墓があるとの事で尋ねた。五輪塔が1其あった。正清の分とあわせて、2基のはずだが、見つからなかった。北條執権邸跡の板碑があった。
 土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)邸跡の板碑があった。土佐坊昌俊は正尊(しょうぞん)。謡曲「正尊」がある。正尊は、頼朝に言われて起請文を書いて、義経をごまかし夜討ちを掛ける。
 小町大路の日蓮上人辻説法跡を尋ねる。ここに立ち、法華教を広めるために説法をした。

 謡曲「鵜飼」、「現在七面」、「身延」に、日蓮が出てくる。

 

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