3 龍田神社 竜田川 面塚 法隆寺 法輪寺 法起寺 三井 藤木古墳

1994/04/30 作成 2003/06/18

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 龍田神社お参り。信貴山の山並みの南端で、際を南北に龍田川が流れている。謡曲「龍田」は、この龍田川を渡って河内の龍田大社に行こうとした僧が、川を渡るなと巫女に止めら、龍田明神(謡曲での名前表現)を案内してもらい、見事な紅葉を見る。後場は、明神の縁起と景色のよい所を褒めあげるすじ。むかしからの紅葉の名所である。 明神としたのは、龍田神社と龍田大社を同時に表せるようしたものと思う。

 ここは大和盆地の水の出口であり、龍田川も大和川に合流し、河内に出る。この道を、龍田越えと言い、多分、大和川沿いではなく、山越えと思う。 写真:龍田川

 面塚は、観世の発祥地、川西町結崎にあり、際に観世発祥の地の石碑もある。塚を囲った石柱に私の師匠すじの先生の名があった。

 なお、「金剛流発祥の地」の石碑が、龍田神社境内にあった。薪の一休寺には、金春流発祥後の碑があった。

 法隆寺の五重塔、大講堂、夢殿をお参り。修学旅行以来の法隆寺である。
 法輪寺お参り。山背大兄王(やましろのおおえのおう)が父、聖徳太子のために建立したと伝える。三重塔が美しい。
 法起寺お参り。法起寺は別名、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺と呼ばれている。聖徳太子は死ぬ時、宮殿(岡本宮)を改めて寺とするよう言い残し、山背大兄王は田四十町を施入したと言う。
 三井(みい)を尋ねた。聖徳太子が掘ったと言う。元は法輪寺の境内だった。法輪寺の呼び名「三井寺」、地名三井があるが、この井戸による。役立つよい井戸だったのだろう。
 藤木古墳に向かう古い道に、泥を塗った土塀があった。維持するのが大変だろうか。見る目には、周囲の気色に馴染み、快い。古墳は、調査中らしく、内部が見えないよう柵に囲まれていた。
 

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