11 兵庫 求塚 生田神社 えびらの梅 湊川神社 里程元標 神戸駅 琵琶塚 清盛塚 知章・通盛碑 猪俣子平太碑 生田川 布引の滝 1996/04/27 作成 2003/07/14
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阪神淡路地震から1年が過ぎ、復旧が進んでいる。又、TV,新聞などで、観光客の呼び込みをしているので、出かける事にした。表通りは、震災の影はほとんど見えなくなっていたが、一歩裏 通りに入ると、石碑が倒れたままとなっていて、復興には、まだまだ時間が掛かるだなと思った。 |
この地に美しい乙女(菟原処女(うないおとめ))が住んでおり、 求婚者が絶えず、特に熱心だった2人(和泉(いずみ)(大阪府南部) の“血沼壮士(ちぬおとこ)”と地元の“菟原壮士(うないおとこ)”) が武器を持っての争いとなり、 乙女は立派な若者を自分のために争わせたことを嘆いて死んでしまう。2人の若者もそれぞれ後を追って死んでしまう。 |
謡曲「箙」は梶原景季が活躍する、三勝修羅(かちしゅら)の1つである。どうも、能を初め、我ら日本人は、負けを扱う方が得意のようだ。負け修羅は12番ある。この梶原一族も、頼朝が死んだ後、殺されている。 |
越中前司平盛俊(もりとし)は生田の森で破れ、大将の知盛が落ちた後、落ちても仕方がないと、馬を控え、良い敵を待っていた。関東七ヶ国に聞こえた剛の者、猪俣小平六(こへいろく)が来たので、組み合いとなったが、盛俊は小平六を組み伏せた。しかし、小平六は降参すると嘘を言い、だまし討ちしてしまう。この後、小平六もこの附近で死んだと言う。 |
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